大峡谷
「これが……大峡谷」
このエルフの里――というか、サマーンとウィンターンの2カ国の間に横たわる巨大なその谷は、目視で見えるところいっぱいに広がっていて、終わりが見えなかった。
更に――
「大気の男神が吹き下ろす風は、谷底へ反射し、風の壁の強度を二重にしている。この風の壁は、伝聞によると、魔法大戦以降に出来たものだ」
と、僕らを見送りに来てくれた長が、説明してくれた。
僕とコーラとアプリ、ルートさんにウィンリィ……僕らを見送りに来てくれたノアとグレイは、荘厳な風の壁を見上げた。
ちなみに、イオとカイは、一度砦に戻り、僕らがエルフの里に帰還する頃合いでイオだけ様子を見に来てくれるとのことだ。
「ここを通れば、すぐにウィンターンなんだね」
アプリが大きな目を細めて谷を見つめた。
谷を避けて、海側まで回り込む行き方も考えたが、この谷を突っ切ればウィンターンの国境街アイスエッジの一の門まで最短の直線で行ける。
救出した50人を連れて帰る時こそ、この道を使わなければならない。
だからこそ、帰り路の練習も兼ねて、ここを通ることに決めたのだ。
それに、僕らの魔法を駆使すれば、渡れないこともない。
もちろん、風の壁に動きがあれば、ウィンターンを警戒させてしまうかもしれないので、アプリの魔力を借りて、風の壁全域に認識阻害もかけ済みだ。
「ここを突破するには、まずは、僕の反転結界で風の壁の衝撃を吸収反射して――」
僕は、ルートさんの顔を見た。すると、彼も僕に目を向けて頷き、
「その中を僕の電閃道で、一気に突っ切ろう」
そう。ルートさんの高速移動の魔法ならば、大きく裂けているとはいえ、この谷の幅ぐらいなら、飛び越えて進むことが可能だそうだ。
空を飛んだりは出来なくとも、電撃が空気を捉えることで、対象者を前に押し出していく魔法なのだろう。
「ふふ、アプリ、お父さんたち、頼もしいわねぇ」
「うん」
アプリは、信頼に満ちた瞳で僕の顔を見上げている。
娘の期待に応えねばと、術のイメージを固め始めた時だった。
「待って、サム。僕さ、試してみたい魔法があるんだ」
「ウィンリィ、試すって……もしかして、風の魔法?」
「うん。おじさんに教えてもらったやつで、この壁、僕らが通る分だけ、消すことが出来るかもしれない」
ウィンリィが風の魔法修行を初めてから、まだ二週間足らず。
本来なら、不確かな方法を採用したくはないが……
「サム、僕、出来ると思う。やらせてほしい」
いつも明るく笑っているウィンリィに真剣な顔で言われると、任せても良いのではと思ってしまう。
「やらせてみれば良かろう。その子は風に愛されておる。案ずるな」
ウィンリィの風魔法の師匠である長まで言うんじゃ、やってもらうしかないか。
「じゃあ、ウィンリィ、お願い」
「うん! 任せて! インターは、いつでも魔法作動出来るようにしていてね!」
「了解。みんな、僕に捕まって、サムはみんなが振り落とされないように結界よろしくね」
「分かりました」
アプリはルートさんが抱っこして、コーラと僕は彼の腕にしがみついた。
「アプリ……気を付けて、困ったら必ずサムさんたちを頼るんだよ」
「うん。私は……子供だから、ちゃんと大人を頼るね」
アプリが笑いかけても、グレイの眉は下がったままだ。
グレイは、危険が伴うことであっても、アプリのやりたい事をずっと応援してきたと思う。
しかし、下手をしたら国そのものを敵に回してしまう今回の作戦は心配でたまらないのだろう。
「アプリ、僕、こっちで修行頑張るから……アプリも頑張って……それで、絶対無事に帰ってきてね」
「うん。必ず50人助けて戻ってくる。行ってくるね」
ノア君は、危険な作戦に参加するアプリをもう止めたりしなかった。
アプリも、自分の意思をはっきりと伝えられるようになっている。
獣人の村を出るのをただただ反対していたノア君も、それを理解してもらうことを諦めていたアプリも、もういないのだ。
子供たちは成長している。僕も頑張らないと。
「それじゃあ、やるよ!」
ウィンリィは風の壁に両手を翳し、深く息を吸い込み、詠唱を始めた。
「我が生み出せし、澄みし大気よ、いま一度、この身の一部となりて、我の意のままにその姿を変えよ――
風の創造画」
翳した手が、風の壁をふわりと撫でた途端、風が揺らぎ、ゆっくりと歪んで――
消えた。
遥か上空から吹き下ろしていた風の壁が、僕ら五人が通れるほどの幅だけ、綺麗に割れたのだ。
瞬間、ウィンリィがルートさんの背中に飛びつく!
「電閃道!」
ルートさんの声と共に、僕らの周りに青白い光が走ったかと思ったら、ぐんっと、前に進んで――足元の地面が消失する!
あの時渡りの迷宮を二人で移動した時と同じ――電撃が空気ごと僕らを運んでいる感覚の中、あっという間に向こう岸へ着いた。
渡り切るのとほぼ同時に、また風の壁が復活する。
「はあ、良かったあ……渡り切るまでもって……」
後ろを振り向くと、風の向こうに両手を振るグレイとノア、仁王立ちの長が見えた。
僕らも振り返し、前を向く。
「それにしても、凄い魔法だったね」
母が――ウィンリィが拳闘士の魔法以外を使いこなしていることが僕は純粋に嬉しかった。
しかし、
「えへへ、長がさ、大気の男神にお願いする呪文を教えてくれたの」
「そっか。凄いの知ってるんだね、長は」
たわいない言葉を交わしながら、頭に疑問が過ぎる。
あの呪文は、"お願い'をする内容じゃあなかった。
風の精霊王の加護を持つ者特有の呪文なのかもしれないが……
詳しく聞きたい気持ちが沸き起こったが、今することじゃないと頭を切り替えて、僕はみんなの顔を見た。
「一の門付近までは、認識阻害をかけた状態で行こう」
「それで、他の旅行者が増えてきたところで、解除して紛れ込むのね?」
「うん。万一にも僕らが大峡谷を通ってきたことを悟られないようにしなくちゃいけないからね」
「ま、旅行者の中に合流できたら、気負わず、自然に入ろう。子供たちもいつもの調子でね」
「うん! アプリ、いつも通りで行こう!」
「うん。怪しまれないように全力で子供のままでいる」
アプリの言葉に、ウィンリィはにっこりと笑い、手を繋いだ。
アプリも、4歳の時よりも一回り大きくなった手で握り返す。
そうして、僕らは歩みを進めた。
30分ほど歩くと、エルフの里から海岸線へ回り込んで来た他の旅行者たちと合流した。
僕らがエルフの里に滞在していた時も、祭り開始まで残り三日を切ったところで、多くの旅行者が里を訪れていた。
見たことのある顔もちらほら見とめつつ、声を掛けてくれた人には軽く挨拶もして、とうとう――
ウィンターンの国境街、アイスエッジの凱門の一つ、一の門の前へと辿り着く。
門の中に入ると、広い受付ロビーがあり、滞在の許可待ちと思われる旅行者たちでごった返していた。
「ああ、異世界旅行者の方ですか……申し訳ないのですが、現在、入国審査が厳しくなっておりまして、精査しても許可が降りない可能性が高いです。それでも、受付致しますか?」
「えっ?」
まるで、受付しても無駄骨ですよと言われているようだった。
まさか、異世界旅行者が当たり前のこの世界で、それを理由に引っ掛かってしまうとは思わなんだ。
「ふむ。異世界旅行者絡みで何かあったのかな?」
不測の事態に、僕をフォローするようにルートさんが口を開く。
「あっ……と、そうなんです。異世界の魔導士と思われる男が揉め事を起こしまして、もう5年も前の話になるのですけど」
「へぇ……僕らはさ、まだこの世界に来て、8ヶ月くらいなんだ。自信を持って言えるよ? その旅行者とは無関係だって。あと……」
ルートさんは、腰に下げている銀製の札を、お姉さんの目の前で、手で掬いあげて見せた。
「それは……!」
「オータン王から賜ったSランク冒険者の証。ちなみに、僕だけじゃないよ?」
僕とコーラ、ウィンリィとアプリも、その札をお姉さんの前に出して見せる。
「ええ!? こ、こんな子供まで?? と、とりあえず、見識の魔法具に通します!」
お姉さんは、窓口の横に置いてある手のひらサイズほどの真四角の箱に、保険証を通すみたいに札を通す。
ぴぴっと短い電子音のような音が響き、箱全面に丸印が浮かび上がった。
「ほ、本物……ですね」
その後も全員分通して本物だと証明できた僕らは、無事、入国を許されたのだった。
ここから先、一歩でも間違えれば、僕らはこの国そのものを敵に回すことになる――それでも、絶対にやり遂げるんだ。
僕らを、僕とコーラを、この世界でも親にしてくれたアプリのために。
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