サムとルート
ダンジョンで気絶してから、丸一日。
目を覚ますと、そこは宿屋だった。
隣を見ると、ぐっすり眠るコーラがいて、その寝顔に安堵し、起き上がる。
すると、椅子に座って本を読んでいたルートさんと目が合い、今の状況を話してくれた。
アプリとウィンリィは、時間の掛かりそうな上難度の依頼を受けていて、帰りは明日になるそうだ。
日を跨ぐ依頼なんて、まだ4歳のアプリにさせたくはない。が、ウィンリィ――母が一緒だし、何より、頭の中がぐちゃぐちゃで、整理する時間が欲しかった僕には、好都合ではあった。
ルートさんからは、とにかく休んでと言われ、食事も食べられるようならと、サンドイッチを用意してくれたが、喉を通らず……僕はまた眠りについた。
夢の中、繰り返されたのは、あの過去のこと。
ルートさんが母にした酷いこと、しかし、彼が母の心を救ったこともあったこと。
手帳とエリィのことや、ジンと父――スノークの想い。
――見て来たことが一度に夢に出て来て、整理するどころか、目覚めたら、眠る前よりも頭がひっちゃかめっちゃかになってしまっていた。
過去の夢を見て、起きる度にコーラの寝顔で安堵するのを数度繰り返して、僕は、とうとう眠るのを諦めて、起き上がった。
そして、寄る辺ない気持ちをどうにかしたくて、妻の頬を手の甲で撫でる。
「……早く、君の声が聞きたいな」
―――――
「サム」
気分転換に、外のベンチで空を見上げながら、思いを巡らせていた僕は、母の次にどんな顔をして話したらいいか分からない相手に声をかけられた。
「……ルートさん」
彼は、スタスタと歩いて、僕の隣に静かに腰を下ろすと、僕の手の上に一本の携帯バーを落とす。
「少しでも、齧った方がいい」
「……有難うございます……」
今、隣にいるこの人は、優しい。
二国で、戦場に出ていた母に、
辛い思いばかりしてきた母に、
子供らしく過ごさせてやりたい一心で、恋心を封じて、保護者を演じきっている。
素晴らしい人だ。
分かってる。この彼は、あの彼とは、違う。別人だ。
それに、それよりも……
「サム、何を見てきた? その様子だと、リィ絡みだよね? 辛いだろうけど、話してよ」
話す? 何を? 何処から?
「ああ、勘違いしないでね、君が見てきたものに興味はあるけど、僕が話してほしいことはね、今、君が、何を不安に思って、何に苦しんでいるか、だよ」
「!」
なんで、なんで、どうして、この人が!
「……どうして、そんな、親、みたいなこと、僕に言うんですか……」
「親みたいなこと? そんな大層なこと言ったかな?」
隣のルートさんの顔を見る余裕はなく、僕は、顔を両手で覆い尽くしたまま、くぐもった声を出していたと思う。
こんな、分かりにくい僕に、いつものように情け容赦ない読心魔法をかけることもしない。
この人の優しさに頼ってしまいそうだ。
「ふう、じゃ、今だけ、サムの保護者になろうかな」
ふわりと、ルートさんの手が僕の肩に乗せられて、軽く体を引き寄せられる。
背の高いこの人にそうされると、平均身長程度の僕の頭は、自然と彼の肩に寄りかかる形になった。
「男の肩を抱くなんて、性に合わないんだけどねえ」
「……っ」
あ、まずい、これは、決壊してしまう。
そう思った時には、もう涙が頬を伝い、溢れていく。
「うっ、きっ、聞いて、もらえっ、ます、か?」
「うん。聞くよ」
「僕が飛ばされたのは、元の世界の過去でした。そこで、僕の、僕を育てた母の人生を見ました」
「うん」
「母は、僕が想像していたより、ずっと過酷な人生を生きていました。
その中で、仲間たちと共に、途方もなく強い思いで生き抜いて、僕を産み出してくれたことを知りました」
「……うん」
「ルートさん、けっこうやんちゃしていましたよ」
「……うん……ってそこ、今言う?」
「ルートさんが知りたいなら、今度話しますね。それよりも……」
そう、ルートさんの行いを置いておけるほどの恐怖が――今、僕の心を覆い尽くしている。
「あの国に、あの、子供を子供と思わない恐ろしい国に、娘を、ウィンディを置いてきてしまったことが、途方もなく怖いんです。早く、早く、あの子を逃さないと!」
今まで、何の疑問も抱かずに来たわけではない。
でも、
気丈な母の姿が、
仲間と過ごす掛け替えのない時間が、
衣食住に困らない生活が、
子供の頃から当たり前にあった訓練が、
隣人だった魔法が、
二国のおかしさ、理不尽さを、全て覆い隠していた。
「どうして、こんな簡単な事に気付かなかったんだ! 僕は、僕は! 父親なのに! 母は、僕を守るために、産まれる前から策を巡らせていたのに!
妹だって、他国に逃したのに!
僕は、ウィンディが産まれた時、産まれる前、何も危惧していなかった!
ただ浮かれていた……父親失格だ」
浅はかだった。何もかも……
僕なんかが父親じゃなかったら、ウィンディにもっと安全な場所を用意してやれたかもしれないのに、僕は何て愚かなんだ。
「……僕さ、実は子供3人いるんだ」
「えっ?」
突然、脈絡のない話をし出したルートさんに僕は、素っ頓狂な声を上げた。
「最初の妻、エリィと出会う前に、他の女性との間に二人産まれてね。いつも話してる育児放棄して、義父に預けてる息子と合わせると、三兄弟なんだ、僕の息子」
「……ルートさん、本物の育児放棄クソ野郎だったんですか」
「うん、最初からそう言ってるじゃない? で、そんなヤベー奴から、君に一言物申すなら……」
ルートさんは、一度言葉を切って、顎に手を当てて考える素振りを見せると、わざとらしく、ばっと手を開き、口も開く。
「僕に比べたら、普通に子供育ててる父親、みんな、とても立派だと思わない?」
す、凄い暴論だ!
「……極論過ぎます、ルートさん」
「うん。だって、サムさ、アプリのことなんて、いつも、過保護過ぎるくらい心配しててさ、ウィンディちゃんのことも、そんなになるまで考えて、どう考えても、良いお父さんなのに、自信無さすぎなんだもの……あとね」
言葉を切った彼は、僕の目を真っ直ぐに捉えて、真剣な眼差しを向けてくる。
「君は、二国で育った子供だった大人だ。
何の疑問も抱かないようにしたのは、国なんだよ。
君が不甲斐ないと感じる事象の全ては、君のせいじゃない。
君は、その中で最善の選択をしてきた。
君のお母さんも同じだ。
二国の環境が最悪ならば、君たち親子は、
『最悪の中で最善の選択』をし続けた、立派な親だと僕は、思うよ」
す、と、その言葉は、僕のぐちゃぐちゃだった頭に、心に落ちていく。
「二国のヤバさはさ、リィと半年、行動を共にしてきて、僕も痛感しているんだよね……
あの子を襲った悲劇も、それを立案した国も、加担せざるを得なかった子供達にすらも、僕は怒りを感じているけれど、あの子はさ、誰のことも悪く言わないんだ。
全て、自ら選択した結果だと思ってる。
あの子は、ウィンリィは、自分の選んだ結果にいつも自信を持って生きてるんだ」
はっとする。そうだ、母は、いつも言い訳をしなかった。
「だから、僕は悲観しないことにした。怒りは中々消えてくれないけれど、あの子を可哀想な子だと思うことはしない。
だって、失礼じゃない? 自らを持って、信じて生きている高潔な女の子にさ」
この人は、僕よりも母のことを分かっている。そして、尊重し、多分、尊敬している。
「ルートさんは、母のこと……」
「うん。好きだし、尊敬しているし、守りたいと思ってる。世界で一番、大事な女の子だよ、ウィンリィは」
「そこまで聞いてません……」
「あはは……スノークの息子の君からしたら、耳触りの良い内容ではないよねえ」
本当だ、全く。さっきまで組まれていた肩も、すっかり解放されて、僕は、隣のルートさんを改めて見る。
漆黒の髪も、黒曜石のような瞳も、スマートで、尚且つ、上背のあるスタイルの良さも、何だか凄く羨ましく思えた。
「何? じっと見てさ」
「母がどんな風にルートさんを見ていたのかなと考えていました」
「それって、君を育てたウィンリィのこと?」
「そうです……母は」
これをこの人に言うべきか、分からない。
しかし、僕の世界のルートさんには、伝える術はないのだ。
だったら、せめて……
「あなたのお墓を作っていました。僕の世界では、ルートさんのお墓があるんです。しかも、父の隣に」
彼は、目を見開いて、僕を見た。
「そうなんだ……自分の恋人を屠って、かつて愛した人の手でとどめを刺された僕の墓をね、それって、どんな心境なんだろう?」
母の最愛の人だったジン、ジンを屠ったルート、ルートにとどめを刺したスノーク。
全員、母を愛した人達だった。
愛し方は、違えど、気持ちの大きさに差異はなかったと思う。
「分かりません。でも、母は、ルート=インターの墓の前で、こう言っていました。
『エリィさんに会えた? 君の心が少しでも救われますように』
と」
これを告げた時のルートさんの表情は、とても形容しがたかったけれど、しいて言うなら、安堵と取れる顔をしていたと思う。
「そっか」
彼は、そう言ったきり、口を噤む。
僕らは、ただ、ベンチに腰掛けたまま、夕暮れを見ていた。
きっと考えるのは、互いに同じ人のこと。
言葉はなかった。
けれど――
その時間を、誰かと共有できていることが、
今の僕には、何よりの救いだった。




