第4章 変えられぬ過去と選ぶ未来 第16話 届いた銃弾と届かなかった未来
「さよならだよ、ルート=インター」
靡く桃色の髪は腰まで伸び、幼かった顔立ちは、もう少女のものではない。
手足はすらりと長く、息子の目から見ても、18歳の母は息を呑むほど美しかった。
対峙するルートさんは、諦め切った表情の中、瞳だけは光を持って、ウィンリィを見つめていた。
見惚れていたのだと思う。
その好意を実らせるでも、告げるでもなく、彼はただ、殺されるためにここに来た。
ここまで来たら、きちんと見届ける。
その決心が揺らぐことはない。
それでも、この二人に穏やかな未来が来ないのだと思うと、まだ受け入れ難い自分がいた――
――――――――――
三人でルートさんを討つ軍命が下った直後。
母――ウィンリィの決意を見届けて、僕は中庭へ出た。
『母さんの決意は固い……もうどうしようもないんだ』
わかりきっていたことなのに、二人が戦うのをもう見たくないと思う自分がいる。
『早く帰って、13歳のウィンリィとその保護者のルートさんに会いたいな……』
ここでは現実逃避に過ぎない考えだけど、そう思わずにはいられなかった。
沈む気持ちのまま、しばらく中庭をぼんやりと眺めた。その時、入ってきた人物に目を見開く。
「スノーク、ウィンリィはルートを殺せない」
殺せない? でも、母さんは――
二人連れ立って現れたのは、ジンと父――スノークだった。
僕は、ベンチに並んで腰掛けた二人のそばへ寄る。
「それは何故? さすがのリィも、もうやる気なんじゃないの?」
「俺もそう思ってた。でも、違った。ウィンリィには、見えてるんだ。エリィの幻影が」
ジンも知っていたのか! エリィの存在を。
「エリィ?」
「少し長くなるけどな、説明するから聞いてくれ」
ジンは、ルートさんとウィンリィのこれまでを全て父に話した。
『ジン、本当にずっと母さんのこと、見ててくれたんだな……』
ココがまだ生きていた頃、彼がリアさんに宣言したことを思い出す。
『ウィンリィのことも、俺に出来る範囲で気にかけるつもりだ』
あの時の彼の言葉に二言はなかったのだ。
「ルート=インターがやたら付き纏っているのは知っていたけど、まさかそんなややこしいことになっていたなんて……」
「ウィンリィはな、14の時、多分ルートのことが好きだったんだ」
「はあ?……男の趣味が悪過ぎる……」
「ははっ! それは俺たちも含まれるのか?」
「……」
「おい、否定しろよ」
意外だったが、恋敵である二人の仲は悪くはないようだった。
「まあ、とち狂った奴しか知らなかったら、そう思うのも仕方ねえか……
ルートは、あいつにとって初めて自分を肯定してくれた恩人なんだ。
あの手帳の精神安定魔法も――あの軍命で傷付いたウィンリィの心を支えてた」
"軍命"という単語に、父の表情が固まる。
彼の心情は、想像するに難くないが、僕はそれよりも、エリィのことを考えていた。
ルートさんだけでなく、母の心をも救ってくれていた彼女。
母が手首を飛ばされても諦めなかった理由が、ようやく分かった気がした。
「……だとして、仲間ないし、恋……人の命もかかってるのに、リィが判断を誤るとは思えないよ」
「ずっと誤ってるんだ。チャンスはたくさんあった。それこそ、数え切れないくらいにな。それで俺も、あいつのことを改めて観察してみたんだ。そして、分かったことがある」
ジンは、一度息を吸い、吐いてから、口を開く。
「あの手帳には、もう一つ魔法がかけられていた。あれを手に取って開いた者が、ルートに危害を加えられなくなる魔法がな」
――確かに。母は、ルートさんに攻撃をしかけこそすれ、それが彼に致命傷を与えられたことは一度もない。
でも、それじゃあ、ウィンリィがやっとの思いで決意した意思も、無意味だということか?
「手帳を手放しても、あいつの目にはエリィの姿が見えているようだった。なら、魔法の効果も消えていない可能性が高い」
ジン曰く、それで止まるようなウィンリィではないが、ほんの一瞬、心が揺らいだだけで、一撃与えられるだけのチャンスは無くなる。
強者であるルートさん相手では、その一瞬があれば、回避には充分ということだった。
「だからな、俺たちでやるぞ。作戦を立てたから、耳を貸せ」
父は、渋々ジンに顔を寄せた。
その眉間に、深く皺が寄る。
「それ、ジンが一番危険じゃない?」
「まあな。でも、これしかない。それに、お前を信じてる。きっと上手くいくさ」
父は、はあ、とため息を漏らした。それは、やれやれといったような、長い年月を共にした戦友に向ける――呆れのようなものに感じた。
「やるだけやるよ。俺も、リィにこれ以上無くさせたくない。彼女の幸せだけが俺の生きる意味だから」
『父さん……』
ジンは、目を見開いた後、満足げな笑みを浮かべ、父の肩を抱いた。
「なんだよ」
「ははっ! 俺はさ、お前があいつを長年無視してたのが、どうしても許せなくてさ。本当は言いたくなかったんだけどよ……」
本当に言いたくなかったのだろう。ジンは言い淀み、息を吐いてから言葉を紡ぐ。
「お前を尊敬してる。ウィンリィを思う気持ちだけは、お前と俺は同じだからな」
今度は、父が目を見開いた。いつもは、分厚い睫毛に覆われて、見えにくい灰銀の瞳が顕になる。
「ジンがおかしなこと言うから、目見開き過ぎて、ゴミ入った……」
「あ? 何だよ。その無駄に長くて多い睫毛でガードしとけよ……お前、男のくせに綺麗過ぎって、仲間達に言われてんぞ。背後に気をつけろよ、割と真面目に狙われてっから」
げげ……と顔を歪めた父に、ジンは、ぷっ! と吹き出し、笑い出す。
「お前さ、ウィンリィとベリー以外の仲間にも目を向けな? 性的に狙ってる奴ら以外にも、お前に絡みたがってる奴、けっこういるからよ」
「はあ、ジンのその兄貴風、吹かせる場所、間違えてるよ。まあ、でも、この任務を終えたら考えてみる……歩み寄り?ってやつ」
「ああ! 是非そうしてな! ウィンリィも喜ぶと思うぜ? 多分な」
多分なのかよ……とぼそっとこぼす父の姿は、ジンのことを心置きなく話せる相手として認めているように感じた。
「よし、話も終わったし、飯でも行こうぜ! たまには外のさ」
父は答えなかったが、黙って立ち上がり、施設の出口に向かって歩き出す。
その姿に苦笑しながらジンも、後を追って行った。
きっと、二人で生き残れる未来があれば、彼らは恋敵だった禍根を乗り越えて、親友になれたのだと思う。
でも、そんな未来は来ない。
それでも作戦そのものは、成功した。
父――スノークは、分体魔法が使える。
そのことを知るのは、一部の隊長格だけで、母――ウィンリィですら、知らなかった。
力も綺麗に分散されて、尚且つ、どちらも本体というその魔法は、三対一とはいえ、ルートさんを相手にするには危険に思えた。
しかし、狙いはそこにあったのだ。
―――――
「スノークっ! 目を、目を開けてよ……」
母が、事切れたスノークの分体を抱いて叫ぶのを父は一人、木の上に潜んで、静かに見ている。
傍には辺りを警戒するジンの姿。
木の上の父は、遠距離タイプの狙撃銃を構えて、その時を見逃さぬよう、眼に魔力を集中させている。
三人を相手どったルートさんは、ガレットから受けた魔法毒の後遺症もあり、以前ほどの力は出せない。なので、面と向かって姿を現し続ける戦い方ではなく、木々に隠れて、撃ち合うような戦い方をしていた。
母達も、同じように木々を隠れ蓑にしながら戦っていた。
しかし今、母もジンも、木々が途切れた開けた場所にいる。
父があえて、ルートさんの目につく場所に出て、撃たせたのだ。
スノークが倒れれば、ウィンリィが助け起こす――その彼女を追って、ジンが現れれば、ルートさんは必ず撃ってくる。
撃ってきたら、そこからルートさんの正確な位置が判明する。そしたら――
ルートさんの弾丸がジンを貫く前に、父の弾でそれを撃ち落とし、そのままルートさんをも穿つ。
優秀だった父――スノークには、造作もないことだったと思う。
しかし、父の魔力探査は、ルートさんの魔力を捉えられなかった。
「!?」
「えっ? ジン?」
ドサリ、と母の目の前で、くずおれたジン。
撃ち抜かれる直前、彼の背後に現れたのは、flowersにしか使えない筈の遠距離魔法紋だった。
そこからゼロ距離で撃たれた弾丸を、父が撃ち落とせる筈もなく――ジンの胸は撃ち抜かれた。
『ルートさんには、二国の血が入っているのか? そうだとしても、魔法紋は、赤ん坊のうちに固定しなければ扱えないはずだ……そんなことが出来るなんて――』
ルートさんは、一体、何者なんだ?
「あっはは……これで、君は僕を」
パァン!
呆気なく現れたルートさんを間髪入れずに父が撃つ!
「くたばれ。ストーカー野郎」
「はっ、やる……ね……リィっ……!」
ルートさんは、リィと呼びながら、母とは違う方向を見据えていた。
もしかしたら、死の間際の彼の目に映ったのは、亡くなった妻、エリィだったのかもしれない。
ルートさんが動かなくなったのを確認して、父は木上から降り立ち、母に駆け寄った。
「スノークっ!? ジンがっ! ジンをっ! 助けて!!」
母は、もいだ頭花を父に渡し、懇願する。
しかし、銃弾はジンの心臓の真横を貫いていて、回復士ではない父のそれでは、到底完治出来る筈もなく――もちろん、母にも無理だ。
「僕らじゃ……もう……」
「!!」
それでも父は、二人の前に膝を付き、可能な限り、傷口に治癒を施す。
『だめだ……半端に治しても、余計に苦しませるだけ……』
それでも、きっと父は、ジンが母に何かを言い残す時間を作りたかったのだと思う。
「お願い……やだよ……ジン……」
涙をいっぱい溜めている母に胸が締め付けられる。
変えられないと、エリィに免罪符をもらって、未来を変える術を探さなかった僕の頭の中は、目の前の現実にぐちゃぐちゃだ。
「ぐっ……がはっ……ウィンリィ……」
「! ジン!」
ジンは血を吐きながらも、母の頬に手を伸ばし、母もすぐにその手を取った。
「大丈夫だ……ちょっと、ココのとこに顔出してくるだけだから……」
「ははっ! それはもう、浮気じゃない。今はもう許さないよ、君は、私の、最愛なんだから」
母の声は震えている。
「そしたら、お前もこっちにきたら、3人で暮らそう……ココのクッキーまた食べたいだろ? だから……」
「っ……」
「また会えるから……悲しまなくていい……悲しい別れじゃないんだ……これは……」
涙がポロポロと母の瞳からとめどなく溢れた。
「ウィンリィ……愛してる……だから、生きて……」
ちら、と父へ目配せするジンに、黙って頷く父。
「……ジン?」
その仕草を最期に、ジンはもう動かなくなっていた。
「ジン? ジン、ジン、ジン、ジン……」
母の目から更に涙が溢れて、声も滲んでいく。
「うわあああああああー!!!」
泣き叫ぶ母の横で、父は、分体に手を触れて、元に戻る。
ジンの遺体を抱きしめて泣き続ける母を抱き寄せもせずに、静かに立ち尽くす父。
それでも父は、泣き続ける母の涙が枯れるまで、黙って側に居続けた。
―――――
ルートさんもジンも死んだ世界で、母を救った二人を失った世界で、どうやって母は、これからを生きるのだろう……
「……一緒に」
パサリ、と、棺の中の赤に桃色が落ちていく。
ジンの葬儀で、母は長く伸ばした髪を切り、彼の棺へそれを入れた。
火葬口に入って行く棺を見送りながら、涙を流す母の肩を、リアさんが抱寄せた。
チュラさんは任務で不在だが、一人でも母の側に居てくれる人がいて良かったと心底思う。
そして、母は――
「ジンと付き合う前の、"僕"に戻ろう……それで、彼のことを忘れてでも――生きなくちゃ」
ジンのことを忘れることを決めた。
彼の最後の願いを叶えるために。




