息子と母とその保護者
冷えるな……
足下を流れる冷気に、これから先の困難を想像する。
僕らは今、世にも恐ろしい分解系のアメーバ魔物を倒して、最終階層へ向かう階段を下っている最中だ。
防寒着を纏っているとはいえ、あまりにも底冷えするので、小さなアプリは、コーラが抱っこしている。
「コーラ、アプリの抱っこ代わるよ」
先頭を歩いていたウィンリィが、振り返り、僕とコーラの所まで戻って来た。
「ウィンリィ、有難う」
「ありゃ? 寝ちゃったんだね」
すうー、すうー、と寝息を立てる4歳のアプリをコーラがウィンリィの手の中に移そうとした時だった。
カタン! と僕の足下のタイルが一段下がって、バランスを崩した僕は、横壁に手を付いた。
「わっ!」
その瞬間、手が壁をすり抜けて、あっという間に僕の体は、壁の中へと落ちて行く。
『サム!!』
みんなの声を壁越しに聞いたのを最後に僕の意識は暗転した。
―――――
「サム! 起きて!」
「……ん、かあ、ウィンリィ?」
目覚めると、見覚えのある天井をバックに心配そうな母の顔。
「あれ? ここは……」
「壁を抜けちゃったサムの手を掴んだら、物凄い吸引力で、僕も一緒に落ちちゃったんだ」
僕は、部屋を見渡して、驚く。
ここが、僕が4歳まで母と過ごした家の子供部屋だったからだ。
「子供部屋かな? それも、結構、小さな子のだよね?」
部屋の片隅にある小さな棚から、振ると音が鳴るおもちゃを手に取り、リンリンと鳴らすウィンリィ。
「……そうみたいだね、でも、何でこんな……」
僕の記憶を読み取ったとでも言うのか?
だとしたら、この迷宮の最下層にあるという『時渡りの部屋』も、入った人間の思考を元にした過去に飛ばす恐れがあるんじゃないのか?
今、僕が最も興味のある過去は……
考え得る可能性にざわつく心を抑えて、母――ウィンリィを見る。
僕が知る最後に見た大人の母とは打って変わった13歳の子供の姿。
この異世界で、出会った過去の母は、未来の自分があつらえたであろうこの部屋に何を思うのだろうか。
「サム、この部屋さ、初めて見るのに、何だか懐かしいんだ……何でだろう?」
不思議そうに、部屋の調度品を手に取っては、小首を傾げるウィンリィに、僕は、何て言ったらいいのか分からなかった。
「深層心理を読み取って迷宮が作った部屋なんじゃないかな? それより、みんなと合流する方法を考えないと」
僕は、ウィンリィが紅葉のフロアでやっていた壁壊しで、物理的にみんなの魔力の方向に進むことを提案する。
しかし、彼女曰く、ここは気配からして、すでに最終階層冬のフロアだと言うのだ。
「冬のフロアは、止むことのない猛吹雪のフロアなんだ。壊す壁を間違えば、その中に飛び込むことになる。そんな場所で、みんなを見つけて合流するのは、不可能だよ。
だから、元の階段の場所まで、正規ルートで戻るしかないと思う。あと……」
ウィンリィが言葉を一度切り、
「最終階層が近いからだと思うんだけど、ここの壁は、ライト先生並みの硬結界なんだ……壊せないこともないけど、魔力消費を抑えたい今は、やらない方がいいと思う」
その言葉に僕も納得して、二人、部屋を出た。
ウィンリィは、探索があまり得意でないため、僕が仲間たちの魔力を頼りに、歩を進める。
しかし、ライトとは、僕の後輩のリーン=ライトの親類だろうか?彼女も優秀な結界術師で、僕が使う反転結界も彼女が編み出した術式である。
「ライトって、結界術師の家系の、あのライト家かな?」
「そうだよ。でも、僕にとっては、僕らに戦場での生き方を教えてくれたチーフ指導教官――ロア=ライト先生でもあるんだ」
知っている。二国の歴代最高の結界術師であるとともに、『裏切り者のロア』という不名誉な通り名を持つ人だ。
「……その顔、未来のライト先生に何かあったんだね」
しまった! 顔が険しかったのか、ウィンリィに要らぬ憂いを与えてしまった!
「ごめんごめん、そうじゃなくてね、僕の後輩のリーン=ライトのことを思い出していたんだ。そいつ、飛んだ問題児でさ」
「へえ、ライト先生のお子さんか何かなの?」
「確か、姪とかだったかな? 多分……」
「……そうなんだ。元気かな? ライト先生」
寂しげな表情に、ロアへの親しみを感じた僕だったが、大人になったウィンリィから彼女の話は聞いたことがない。
今の様子から考えると、僕が一切、ロアの話を聞かされていないのは、変じゃないか?
「ごめん、それは聞いていないんだ。リーンは、ちゃらんぽらんな奴でさ、酒とタバコのことしか話さなかったから」
あと、如何様にして、仕事をサボるのか、とか。
「そっか。面白いね。面倒見の良いライト先生の姪御さんがそんな人だなんて」
ふふっ! と笑ったウィンリィに、心の中で僕は、ほっと胸を撫で下ろす。
そして、ずっと聞いてみたかったけれど、聞けなかったことを聞く決意をした。
「ねえ、ウィンリィ、『時渡りの部屋』に到達する前に聞いておきたいんだけど、君は……元の世界に戻る気はあるのかい?」
母の今までの様子を見て、帰りたくないのでは? と僕は考えているが。
「……ごめんね。今は、まだ、はっきりとした事は言えない。でも、必ずちゃんとするから」
しょんぼりとしょげて見えるその姿は、大人に注意されて、落ち込む子供のようだ。
「本当はね、僕が帰ったら、救える命があるって分かってる。だって僕は、二国一の高魔力保持者だから。
だから、僕の所在には、責任があるってことも、分かってる。でも、でもね、ここにいる間は、子供らしくしていたいんだ。
初めは、インターが怒るから、そうしていたんだけど、今はね、楽しいからそうしたいんだ。
だから、今だけ、今だけは、そうしててもいいかな?」
ウィンリィは、今にも泣き出しそうな表情で僕を見上げた。思わず僕は、彼女を抱き寄せる。
喉の奥が苦しくて、言葉が出ない。
だけど、これだけは言わなくては。
「いいに決まってるよ、ウィンリィ」
「……ありがとう、サム」
それから程なくして、僕らは無事にルートさん達と合流出来た。
ただ、僕の目で彼等を見つける前に、向かえに来てくれたルートさんのお陰だったが。
―――――
結局、合流に丸一日使ってしまった僕らは、最終階層手前だというのに、もう一晩、休むこととなった。
階段横の横道に入り、手頃な小部屋に落ち着くと、またルートさんだけ、見回りに出ると言うので、僕もそれに付いて行く。
「ルートさん、僕のこと、子供になった自分の母親を抱きしめる変態だと思ってますか?」
「あはは、気付いてたの? 僕が見てたこと」
「姿は見えなくても、気配はずっとあったので」
そう。みんなの魔力を探索した時に、ルートさんのだけ、すぐ近くに感じていたのだ。
「流石だね。リィにはさ、僕の魔力を染み込ませた紙を持たせてるんだ。彼女は知らないけどね」
聞けば、母の靴底に認識阻害を掛けたその魔力紙を貼り付けているとのこと。
本当に、何もかもが抜かりない保護者だと改めて思う。
「……で? 僕のこと、変態だと思ったんですか?」
「思わないよ。あの場で、ああするのは、満場一致で正解だよ。ただ……」
ルートさんは、一息ついて、
「僕がしたかったけど」
曇りなき眼で言い切る敵国の筆頭魔導士に、もはや畏怖は感じない。
「ルートさん、タグ付け以外で、母に変なことしないで下さいね」
「安心して。大人になるまでは何もしないから。ずっと隣には居るけどね?」
「母さん、逃げて、超逃げて!」
ルートさんの冗談にも大分慣れた僕に、彼も解けた顔を向けてくれている。
「ルートさんは、母……ウィンリィは、元の世界に戻るべきだと思いますか?」
「思わないよ」
即答した彼の言葉に、僕は、愚鈍な頭を思い切り殴られた気がした。
「あの国で育った君にこんなこと言いたくはないけれど、あそこは、子供を子供として扱わない非道な国だ。
僕の国も大概だけど、13で戦地に送るなんて外道なこと、してないよ?」
更なる追い討ちに、頭の中が真っ白になる。
「僕は、敵国の魔導士だけど、あの子と一緒にこの世界に飛ばされたんだ。
これはね、縁だと思ってる。関わった以上、リィが子供らしくいられるように全力を尽くすよ、大人としてね」
実の息子を育児放棄しているこの人の方が、僕よりも、立派に保護者として、ウィンリィを守ろうとしている。
僕は、自分が情けなかった。保身のために、ウィンリィに、「戻らなくていい」と言えなかった自分自身が。
「……ルートさん、僕は……」
「ま、サムはさ、リィが戻らなかったら、自分が産まれてこれない、ひいては、娘ちゃんも産まれてこれないかも……と思ってるんでしょ?」
図星だ。コーラと話した時は納得したが、それでもやっぱり、ウィンディのことは、万が一があるのでは? と思うと怖い。
読心魔法を使わなくても、僕の考えなんて、彼にはお見通しなのか。
「だからさ、仕方ないよ。それにさ、君は子供らしく過ごしたいというあの子の希いを、否定せず、肯定したんだ。それで充分、リィは救われたと思うよ」
そう言って、ルートさんは、にっこりと微笑んだ。
「ルートさん自身はどうするつもりなんです? 元の世界に帰らないのですか?」
「あれ? この前の話だと、君は、僕とリィが異世界に残るのを望んでいるのかと思ったけど?」
「確かに、それが一番、安全な方法だとは思っていますが……でも、ルートさんには、その、息子さんがいるじゃないですか」
「覚えてたんだね」
「そりゃあまあ、覚えてますよ」
「息子のことはね、勿論、忘れてないよ。今だって、どうしてるかな?って思ってる」
言って、黒曜石の瞳がほんの少し揺れた。
「でもさ、サム、君も、スノーク――お父さんがいなくても、立派に育ってるじゃない? それと同じでね、僕の息子もね、僕がいなくても、大丈夫なんだ」
訝しむ僕に、ルートさんは察したのか、言葉を続けた。
「適当なことを言っているわけじゃないよ。息子には、義父がついているんだ。彼が、ウィンリィが君に注いだものと同じものを息子にくれるって、僕は信じてる……ま、僕が無責任なことには変わりないけどね?」
「……そう言われてしまうと、僕は何も言えないです……母のしてくれたことを誇りに思っていますから」
でも、僕とコーラは、絶対に娘に、ウィンディにもう一度会うという強い願いを抱いている。
だからかな、ルートさんに同じ意志がないことが、少しだけ、寂しい。
でも、それ以上に、この人に母の側にいて欲しいと願ってしまうのだった。




