第1章 転移と喪失 第2話 初めての他者
他者の気配を感じて、意識が浮上する。
交代で眠る筈が、いつの間にか、2人で寝入ってしまっていたらしい。
慣れない異世界で、娘も置いて来た。肉体も精神も疲労は限界。とはいえ、戦場なら即死のミスだ。
しかし、慌てることなく、冷静に侵入者を見据えると、魔力を研ぎ澄ませた僕の気配に、腕の中の妻も目覚めたようだった。
次の瞬間、目にも止まらぬ速さで、侵入者の体の背後に回った彼女は、瞬時に魔力で形成したナイフを首筋に突き立てる!
「うわっ! 何だ!? 暗殺者!?」
「あなたは、誰? 私達に何の用? 危害を加えるつもりなら……」
つうっ……と、大柄な男の、太い首筋に赤い線が入り。
「ひいっ!」
「深く刺すわよ? どうする?」
普段は、優しい声音の妻の、低くドスの効いた声に、夫の僕ですら、身が縮む。
その時、窓から陽の光が差し、2人の姿を照らし出した。
「お、俺は、この小屋の持ち主です! あんたらに危害なんか加えません! だから、殺さないで! お願いします!」
半泣きで訴える彼を見て、妻は悪いことをしたと、自身の行いを悔いているような表情を見せる。
が、ナイフを下ろす決断は、出来ずにいるようだった。
それは、彼の姿が原因であるとしか言えない。
服からはみ出した灰色の体毛。
そして、その顔は狼そのもので、手にも足にも、殺傷能力の高そうな立派な爪が見てとれた。
獣人――僕らの世界にもいるにはいるが、天然記念物扱いの幻の人種だ。
「サム、どう思う? 私は、その、個人的には、この人に謝りたい気持ちでいっぱいなんだけど……」
「うん、僕も概ね、同じ気持ちだよ。あの、お兄さん、妻の非礼をお詫びします。すみません。
僕ら、身の安全をどうしても、優先しなくちゃいけなくて……と、とりあえず、首の怪我、治しますね」
恐怖のせいか、声も出せずに、怯えた瞳を向ける彼に近付く。
そして、ナイフの上から、その内側の首に向けて魔力を放った。
獣人に回復魔法を使うのは初めてだったが、魔力の通りは良く、瞬時に傷は癒えた。
「えっ? あれ? 何か、体が軽いような……」
「ごめんね、お詫びに疲労回復の魔法もかけたんだ。それで……」
「ゆ、許してもらえるかしら?」
ナイフを外した妻が、僕の隣に来て、本当に申し訳なさそうに声を上げた。
その時の表情は、美しく整った細い眉をこれでもかと顰めて、長い睫毛にほんのりと涙を乗せた
――つまり、美人渾身の謝罪顔である。
そんな妻の様子に、驚いて、目を見開いた後、顔を赤らめて、こくりと彼は頷いた。
うちの奥さんは、普段、容姿を活用して、人を籠絡するようなことはしない。
しかし、この時ばかりは、強引にでも許してもらう必要があると判断したのだろう。
夫としては、大変、複雑ではあるが。
―――――
「ここは、俺の家が所有、管理を任されている村の狩人のための休憩所なんです」
今、彼は暖房器具の上で持参したパンを焼き、木の実のプラリネを塗ってくれている。
あんな事をした僕達に、朝ごはんの用意をしてくれるなんて、余程温厚な方なのか。
それとも、何か頼みたいことでもあるのだろうか?
小上がりに腰掛けて、並んで座る僕らに、パンを手渡すと、彼も僕の隣に腰掛けて、食べ出した。
お礼を言って、パンを齧ると、カシューナッツのような甘みのある味がして、中々に美味しい。
隣の妻も、同じ感想を抱いたようで、美味しそうに食べていた。
「すみません。僕ら旅の途中で、色々あって、旅費もなくして、気持ちに余裕が無かったんです。本当に申し訳ない」
「あ、いえ、純粋な『人族』にとっては、俺ら獣人に単独で出くわすのは恐怖でしょうから、奥方の対応は、間違っていないと思いますよ」
あはは……と頭を掻きつつ、妻を見る彼の顔は緩みきっている。
妻の美貌を認めてもらえるのは、嬉しいけども、デレデレされるのは、夫として、あまり良い気持ちはしない。
僕は、妻を庇うように、なるべく体を張り出した。
「この辺りだと、そうなのですか? 僕らの故郷には、獣人の方はお見かけしないので、よくわかりませんが……」
「あ、そうでしたか。じゃあ、オータンから来たんですかね?ここ、スプリーンは、ほぼ獣人の村と街で構成されてるんです。何故か、スプリーン国王が、あまりそれをよしとしないので、他国には、人主体の国だと公言しているのですけど」
何だか、複雑そうだな……人と獣人の関係性も、この国の王の考えも……と思っていると、妻がくいっと僕の服の袖口を引っ張った。
3回それをする妻。これは、合図だ。
「あの、もし良ければなのですが、お兄さんの住む村に立ち寄ってもいいですか? そこで、出来れば、少し仕事をして、路銀を確保したいのですが」
「なるほど! 旦那様のような回復魔法の使い手は少ないので、稼げると思いますし、奥様もお強そうなので、村としては大歓迎ですよ。滞在時の宿も、うちにくれば提供出来ますしね」
大きな口で、にっこりと笑む彼からは、何の含みも感じない。
だが、強い妻を歓迎する理由が見えてこない。
村ぐるみの頼み事だとしたら――危険な匂いがする。
しかし、
「サム、お言葉に甘えましょう。お兄さん……えと、お名前は?私は、コーラと申します」
「僕は、サムです」
「コーラさんにサムさんですね。俺は、グレイです。獣人は、基本呼び捨てで呼び合うので、それでお願いします。ただ、灰色狼でグレイなんて、安直だと思いますが、笑わないで下さいね」
大きな口で、後半は恥ずかしそうに小さく話すグレイに、僕らは好感を感じた。
名前の安直さも、人のことを言えない。その分、妙に親近感が湧く。
だが、殺されかけた彼が、何故こんなにもあっさりと、僕らを許したのか――
この後、案内された獣人の村で僕らは、その理由を目の当たりにすることになるのだった。




