第1章 転移と喪失 第1話 帰れない夜
その日、僕らは――
娘を置いて、異世界に飛ばされた。
そして僕は、
この日、娘を軍の保育園に置いてきたことを、
死ぬほど後悔することになる。
帰る方法は分からない。
どれくらい離れたのかも、
いつ戻れるのかも――
そして――
小さな娘を抱き上げる日は、
二度と来なかった。
――――――――――
「ウィンディ、今日は何をするのかな?」
「オプシーとあそぶ!」
「うーん……オプシーは孤児院にいるから、今日は会えないかなあ」
「えー! いつならあえるの??」
「保育園がない日、今週の土曜日に、お父さんが連れて行ってあげる」
「それって、あした?」
「ええとね……今日が月曜日だから、5回寝て起きたら会えるよ」
娘のウィンディを保育園に連れて行くのは、僕の日課。
平凡な魔導士の僕と違い、上級魔導士の妻は、いつも一足先に職務に当たっていたためだ。
妻に遅れて出勤した僕に告げられたのは、唐突な前線復帰。
敵対する第三国の魔物が、市街地に入らんとする勢いで進行しているという。
抗議の声を上げる間もなく、妻は既に現地入りしていると告げられた。
彼女の身が心配になった僕は、すぐに転移紋を使って駆けつけた。
現地で妻とかつての仲間達に合流し、皆で生きて帰ろうと硬く決意を交わす。
そして、各自魔法紋を展開して、戦いに参じた。
その最中、急に攻撃が途絶え、辺りが静寂に包まれた。
この嫌な感じを、僕らは知っている。
即座に仲間達全員で、防御結界を幾重にも張る。
すると時を置かず、一瞬の閃光が走った。
反射的に妻の腕を掴んで引き寄せた次の瞬間、凄まじい衝撃波に襲われる。
命が消えてしまうと覚悟する暇もなく、意識が途絶えた。
まさかその後、戦争に参加する以上に大変なことに巻き込まれるとは、思いもせずに。
――――――――――
体中の痛みで目を覚ますと、目の前に巨大な竜がいた。
「っ!」
逃げたくても体が動かない。
回復魔法をかけるが、残存魔力が足りないのか、発動すらしなかった。
竜は腹を空かせているのか、涎をダラダラと流し、僕の体をその大きく開けた口に収めようとしている。
妻と娘の顔が過ぎる中、もうダメだと思ったその時――
竜の胴体が大きく凪ぎ、巨体は真っ二つになり、大きな音を立てて崩れ落ちた。
「はあ、はあ、はあ、サム、無事?」
「コーラ!……ありがとう」
妻は、魔力で出来ているその刀をピッと振り、血を払った後、右手の甲の魔法紋に収納する。
そして僕に駆け寄り、上半身を助け起こしてくれた。
「ごめん、魔力足りなくて、回復も出来なくて」
「分かってる。今、分けるから、じっとしてて」
妻は、頭に咲く魔力結晶――頭花を一つもぎ、僕の口に押し当てる。
それを口内で溶かすと、体中に魔力が行き渡るのを感じるのと同時に、回復魔法を発動させた。
「っ……もう大丈夫。立てるよ。君は怪我はない?」
よろよろと立ち上がる。
僕の両肩を支えてくれている妻の手は無傷に見えたが、見えないところに怪我を負っていてもおかしくはない。
「私は大丈夫よ。それより、ここ、何処だと思う? それと……」
妻が先程屠った竜を見やる。
すると、あれだけの巨体だったはずの亡骸は、さらりと風に溶けて消えてしまった。
消えた後には何も残らない。
しかし、きらきらと魔力の筋が妻に伸び、彼女の体が光を放つ。
「! これって!」
「ええ、倒した魔物の魔力が自動的に吸収されているみたい。私も目覚めた時は、ほとんど魔力が底を尽きててね」
辺りを警戒するように見渡してから、妻は続ける。
「何とか振り絞って出した小刀で、小型の魔物から何体も倒していって、やっと魔力を満タンに出来たの。で、魔力探索であなたを見つけたところよ」
さすが、自他共に認める優秀な上級魔導士だ。
この状況でやるべき事を明確に見定め、僕を救ってくれたというわけだ。
それに引き換え、僕は助けてもらってばかりで、立つ瀬がない。
情けないが、今はそんなことよりも気にすることがある。
「僕等の知る魔物の在り方じゃないね……」
「そうなのよ。魔石も出ないし、何より、これ……自然繁殖していると思うの」
今回の任務で討伐していた魔物は、生物兵器だ。
当然、自然繁殖はしない。
「つまり、ここは……」
「ええ。私達のいた場所とは、根本的に世界が違う可能性があるわ」
ひゅううと、冷たい風が頬を撫でる。
陽が傾き始め、森は少しずつ暗くなっていた。
その冷たさに、僕らは自然と身を寄せる。
「コーラ、一先ず落ち着ける場所を確保して、交代で休もう」
「そうね……今日はもう、帰れないのよね」
分かりきったことを、あえて口にする。
それは、彼女らしくない行動だった。
けれど、その理由は痛いほど分かる。
「大丈夫。ウィンディなら軍の保育園にいるし、あそこにはライト家の結界師もいる。それに――」
「いざとなったらオーレンに頼んであるものね。きっと大丈夫よね……分かってはいるんだけど」
言葉は返ってくる。
だが僕は、見逃さなかった。
娘の名を出した瞬間、彼女の瞳が揺れたことを。
本当なら、今すぐ抱きしめたかった。
僕自身も、不安を押し潰されそうな身を抱き留めて欲しかった。
でも今は、安全の確保が第一。
戦場で感傷を優先して、亡くなっていった仲間達を、僕らは何人も見てきた。
それでも完全に合理的にはなれず、僕らは話し続ける。
不安を、少しでも誤魔化すために。
「……戦争、いつ終わるのかしら?」
「この前、第一国と冷戦状態になったと思ったら、第三国の砲撃だ……きっと、まだ終わらないよ」
「分かっているけれど、あの子が13になるまでには終わって欲しいわ」
「そうだね。ウィンディが戦争に行かされるのなんか、想像したくない」
僕らの国の魔導士は、10代半ばで魔力量の全盛期を迎えるとされている。
最も兵力になれる時を逃さないために、魔力持ちは皆、13で強制的に戦地に送られることが決まっているのだ。
「ねえ、あなた。私、あの場にいた仲間達の姿が掻き消えるのを見た気がするのだけど……」
「そうだね。はっきりと消滅するのが、僕にも見えたよ……」
「どうして、私達だけ五体満足なのかしら……」
「僕にもさっぱり分からない。でも、君が無事で本当に良かった」
僕らの国は、もう何百年も戦争をしている。
親や仲間を失うのは、珍しいことじゃない。
僕と妻の両親も、もうこの世にはいない。
けれど――残してきた娘は、まだ4歳なのだ。
彼女が親を失うには、あまりにも早すぎる。
ひとしきり、娘は大丈夫なはずだと確認し合い、僕らは小さな小屋を見つけた。
中に入ると、六畳ほどの空間に、魔法具らしき暖房器具があった。
妻が試しに魔力を流すと、暖かな火が灯る。
夜を過ごすには、十分な快適さだった。
小屋の床は途中から小上がりになっており、そこに腰掛けて、僕らはようやく一息つく。
それから、アイテムボックスに入れていた携帯食糧を食べ、交代で眠りについた。
知らない世界に二人きりの不安よりも、残してきた娘にまた会えるかという不安の方が大きかった。
考えても仕方のないことを、何度も繰り返してしまう。
それは、コーラも同じだったと思う。
軍の招集を突っぱねればよかったのではないか。
前線投入に抗議すべきだったのではないか。
いっそ、娘も連れてくればよかったのではないか。
そんな考えが、頭の中を巡り続ける。
それでも、眠りにつくことはできた。
一睡もできずに朝を迎えることは、その日のパフォーマンスを著しく損なう。
13の時から戦場を駆けていた僕らには、「休める時に休む」という習慣が染みついていたからだ。
しかし、この時の僕らは思いもしなかった。
この帰還の旅が、途方もなく長い旅路になることを。




