プロローグ 帰れない僕らの朝
早朝――肌寒さに目を覚ます。
隣にいたはずの妻の姿がない。
慌てて、簡易テントの外へ出ると、鼻に届いたのは、焼けたパンの良い香り。
「巻くの僕やりたい!」
「……私もやりたい」
「はいはい、一個やるから見ててね。こうやって、くるくるーっとね」
目の前に飛び込んできたのは、焚き火を囲んで、朝ごはんの準備をする仲間たちの姿。
木の棒にパン生地を巻き付けて、焼いているところのようだ。
「あれ? コーラは?」
妻の姿が見当たらず、辺りを見回す僕に、子供たちにパン生地を託したルートさんが、テントの前にまで歩いてくる。
「サム、おはよう。コーラなら、近場に果物採りに行ってるよ」
朝日を浴びてもなお、深い黒を帯びた彼は、僕ら夫婦と同じ歳の魔導士だ。
「ああ、そうですか……良かった」
「君にしては、おそようだね? 昨日、眠れなかったのかな?」
「いや、そんなことはないのですけど、ただ……」
「ただ?」
夢を見ていた。とても幸せな、心地よい夢。
「娘ちゃん……ウィンディちゃんの夢でも見たのかな?」
「……はい」
もう、半年以上も会えていない娘。
――あの子は、今も無事だろうか。
ひとりで、泣いてはいないだろうか。
「昨日、コーラと二人きりでたくさん話せたからかな?」
「そうだと思います」
最近は女性陣だけで眠ることが多かったが、昨日は夫婦の時間も必要だろうと、ルートさんが気を回してくれた。
「夢の中のウィンディちゃんは、笑ってた?」
「はい。良いものを見れました。ルートさんのお陰ですね」
「あはは。そんな感謝されるほどのことでもないよ。僕も、狭いテントでの男二人寝にうんざりしていたところだったしね」
二人、思わず笑い合う。
「サム見て! 上手く焼けたよ!」
焼き上がった棒付きパンを籠に入れて、ウィンリィもこっちに来た。
「はは、ありがとう。明日は僕も準備をするね」
「いいよ、サムはさ、頭使うからたくさん寝ないと、それよりもね、これ」
はい、とこんがりきつね色に焼けたものを一本渡してくれる。
「アプリがサムにって、一番上手く出来たやつ」
焚き火の方を見ると、未だ、パン生地と格闘する小さな"娘"の姿。
「アプリ! ありがとう! 頂くね!」
声をかけるも、大きな赤い瞳は、棒にパン生地を巻きつけるのに必死なようで、こちらを見ることはなかった。
集中すると、周りが見えなくなるその姿が、会えなくなって久しい、もう一人の娘、ウィンディに重なる。
「集中してるんだ。可愛いねえ、アプリ」
大きな桃色の瞳を細めて、微笑むウィンリィ。
13の少女だが、その美しい顔立ちは、娘とまるで同じで、僕は、今朝の夢を鮮明に思い出した。
その時、
「サム、起きたのね……ほら見て、野いちご。あなた、赤いフルーツ好きでしょう?」
籠いっぱいの野いちごを掲げて、微笑む妻の姿。
「コーラ、起こしてくれても良かったのに」
置いていかれて、少し拗ねた気持ちの僕は、妻のサイドテールをさらりと、手に取る。
チョコレートのような色の艶やかなその髪は、さらりと、僕の手から滑り落ちていった。
「あっ! サムとコーラが珍しくいちゃいちゃしてる!」
「しっ! リィ、そういうのは、黙っておくものなんだよ?」
ウィンリィとルートさんのこのやり取りを見るのも、何回目だろう……
「あなた、寂しかったのかしら?」
「少しね」
言って、籠の中のイチゴをひとつ摘んで口に入れる――少し酸っぱいな……
穏やかに過ぎる朝の一幕。
だけど、常に胸にあるのは、元の世界――
そこに置き去りにしてしまった4歳の娘のこと。
「コーラ、これ半分もらうね? ちゃちゃっと、ジャム作るからさ」
「やった! ジャムパンだ!」
はしゃぐウィンリィを伴って、アプリのいる焚き火に向かうルートさん。
背の高いルートさんを見上げて喋るウィンリィの目は、彼を信頼し切ったもので、それに応える彼の瞳も、とても穏やかだ。
そう遠くない未来で、殺し合う運命にあるとは、到底思えない。
「ふふ、敵国の魔導士とは思えないわねぇ……」
「そうだね……このまま、敵に回らないことを願うよ」
五人で囲む、当たり前みたいな朝。
僕たちは、帰り道を探して旅をしている。
たとえ――
帰り道を見つけた先に、
この穏やかな時間を失うことになるとしても――
それでも、僕たちは帰る。
帰らなければならない。
――あの子との時間を、取り戻すために。
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この物語は最後まで書き切る予定ですので、よければサム達の旅を見守っていただけると嬉しいです。




