エリィの手帳①
『これね、僕のお守りなんだ』
昔、迷宮内の温泉に来た時に、ルートさんが話してくれたことを思い出す。
脱衣所で、細いチェーンの付いた小さな手帳を大事そうにアイテムボックスに仕舞い込む彼に、余程大切なものなのだろうと当時の僕は思った。
それは、ルートさんと亡き妻エリィとの交換日記帳であり、エリィが彼のためにかけた『精神安定の魔法具』でもある。
その効果は、ルートさんの心だけでなく、共にいるウィンリィの心をも今日まで癒してきた。
そんな大切なものを彼はウィンリィとアプリを守るために手放してしまった。
――――――――――
テレポート魔法で僕らは廃国跡の王宮内へと転移した。
行ったことのある場所で、竜の巣穴から遠過ぎず、隠れられる場所があり、誰にも迷惑がかからないのはここ以外に思い付かなかったのだ。
着いてすぐ、コーラとウィンリィに辺りにルアの気配がないか聞いたが、感じないとのことで、僕はほっと息を吐く。
しかし、エントランスから、二階の寝室へ上がる階段の途中で、ルートさんが膝を付いてしまった。
「インター!」
「リィ……大丈夫……ただの魔力切れだから」
「これ、食べて!」
昨日まで三つ咲いていたウィンリィの魔力結晶の頭花は、竜との激しい戦闘で残りたったの一つになっていた。
ウィンリィはそれをもぎ取ってルートさんに渡そうとしたが、僕はそれを手で制して告げる。
「ウィンリィ、君も重症だ」
頭から流れた血はまだ渇き切らず、生々しさを放ち、彼女の桃色の髪を赤く染めていた。
「そうだよ、リィ。僕のは寝てれば治るからさ、心配しないで」
「嫌だ、心配だよ。お願い、食べて」
今にも泣きそうな顔で懇願するウィンリィに僕らは折れてしまいそうになった。
が、冷静に考えてみて、これを今食べるべきは僕かなと思い、ウィンリィの手から頭花を手に取り自分の口に放り込む。
「えっ? サム!?」
「ルートさんは魔力容器が傷付いているんだ。先ずはそこを治さないといくら魔力を補充しても流れてしまうからね」
「えっ……魔力容器が……」
事態の深刻さを察して青褪めるウィンリィを安心させようと、僕は笑みを向けた。
「大丈夫。頭花一個分の魔力で治せるからさ。ルートさん、もうここで回復かけちゃいますね」
「ありがと……サム」
本当は、無限の魔力を持つアプリから魔力を分けてもらって使った方が良いんだろうけど、娘は今もコーラの腕の中で眠ったままだ。
離脱のためのテレポート魔法ではやむなくもらってしまったけれど、アプリ自身の体のダメージも分からないし、今は使わない方が無難だと思う。
その後、僕らは魔力回復効果の高いチーズ――クセロティリを口にして、すっからかんだった魔力も通常使用する分には差し支えないほど回復した。
ただ、ルートさんとアプリは、しばらくベッドで安静だ。
けっきょく、ルートさんの魔力容器には何箇所もヒビが入っていた。
回復魔法で治したとはいえ、魔力容器は魂と一体化しているとても繊細な器官。しばらくは安静にしていないと、またヒビが入った時、今度は魂まで届く恐れがある。
アプリは、体に異常は無かったが、眠り続けているということは、疲労が大きいということだろう。自然と起きるまで寝かせてやりたい。
「ウィンリィ、頭の傷見せて」
「待ってサム。インター、君、さっき手帳を投げたよね?」
ベッドに仰向けになっていたルートさんは、無理をして起き上がり、ウィンリィの方へ向き直ると、
「そうだけど、ただの魔法具だよ?」
なんでもないことのようにそう告げた。
「本気でそう思ってる?……そんなわけないよね?」
ウィンリィの最初の言葉は、責めるようだったのに、二言目は泣きそうな声だった。
「インター、どうして? あれは、君の……」
そこまで言って、ウィンリィが黙ってしまったので、僕は回復を彼女にかけた。
「リィ、あれしか方法はなかったんだ。聡い君なら分かるよね?」
「……」
ルートさんの諭すような声音に、ウィンリィは俯いて眉間にこれでもかと皺を寄せ、涙を堪えているようだった。
あの手帳がルートさんにとってどれほど大切なものなのかは、僕も知っている。
ウィンリィは、自分のために、それをルートさんに手放させた事がやるせないのだろう。
「よし、ウィンリィ、見えるところは全部治したと思うけど、痛いところはない?」
「……ないよ。有難う、サム」
「今日は食べて、すぐに休みましょう」
コーラはいつの間にか外に出て、食べられるものを探しに行ってくれていた。持ち帰った採集用の大きな布袋の中は、フルーツや木の実でいっぱいだ。
いつもなら、食いしん坊のウィンリィがいの一番にそれを漁るはずだったが、今日は俯くばかりで、視線すら向けない。
「ほら、ウィンリィも、流れた血は魔法では回復しないわ。食べましょうね」
「あっ、うん、ありがとう、コーラ」
コーラに、殻を剥いたハシバミの実を口元に押し当てられ、ウィンリィはそれを口に含んだ。カリッコリッと小気味良い咀嚼音が鳴る。
「美味しいね……僕、ナッツ好きなんだ……」
「ええ、知っているわ」
帰ってきてから、初めてウィンリィが微笑んで、僕とルートさんはほっとして目を合わせた。
こういう時、やっぱり女性は……コーラはとても頼りになる。
その後、皆、泥のように眠りについた。
大きな王族用のベッドに前回泊まった時と同じように五人全員で横になる。
でも、前回と違う点が一つだけあった。
いつもは、アプリの隣で寝ることを譲らないウィンリィが、ルートさんの隣に滑り込み、頭から布団を被ったのだ。
ルートさんは、そんなウィンリィの様子に、優しく微笑み、布団の上から頭を撫でた。
夜中にトイレで目覚めた僕は、ベッドの隅で眠る二人を横目に見た。
ぴったりと寄り添って眠る二人が視界に入る。
スノークの息子だというのに、その光景を見てもなんら不快な気持ちにならない。
それどころか、二人の様子に安堵して、微笑みすら浮かべている自分に気付いてしまった。
この時、穏やかな顔で眠るルートさんが翌朝、急変するとは、露ほども僕は考えていなかったのだった。
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