神獣
「晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、照らす陽光、この手の中に――光の清浄」
白く淡い光が、ソファに横たわる娘を包み込む。
光が収束すると、汗で額に張り付いていた白い髪がさらりと流れ、雨に打たれたかのように濡れていた衣服もふんわりと乾いた。
「有難う、サム。本当に便利な魔法ね」
「そうだね。教えてくれたアルテに感謝しないと」
神獣を目撃した衝撃で、アプリの体は汗だくだった。これでは気持ち悪いだろうと、コーラが魔法をかけるよう提案したので、僕は二つ返事で娘の快適な眠りのためにそれを施したのだ。
「それさ、本来は悪霊とか、瘴気汚染に使う『浄化魔法』でしょ? よく物理的な汚れに使おうと思ったよねぇ、アルテ」
「あはは、ものぐさなところがありますからね……」
エルフの里で田んぼから上がって泥を落とすのにアルテが使っていたのが、この魔法だった。
側にいたアルテの親友ヘカテは、「洗えば済むのに、浄化魔法だなんて……」と苦言を呈していたが。
「はあ、僕も使えるようになりたかったなぁ、ソレ」
「あはは、それこそ本来なら、光属性の魔力を持つリィは使えるはずの魔法なんだけどねぇ……」
ウィンリィは、相変わらず、拳闘士としての身体強化魔法と、風の精霊王から賜った加護で使えるようになった風魔法以外は、眠りの魔法と認識阻害を見破る魔法しか使えないままだ。
ルートさんの言う通り、本来、ウィンリィは光属性の魔力持ち。
なので、同じ光属性のエルフであるアルテの使う光魔法は得意なはずなのだが、いくら詠唱してイメージをさせても発動させることは出来なかった。
元の世界で僕を育てたウィンリィもそれは同じだったが、僕の祖国では呪文の詠唱を行わずに済む『職性魔法』を極める傾向にあるので、そのせいだと思っていた。
しかし、この世界に来て、呪文を唱えて魔法を発動させる術を学んだウィンリィにも発動出来ないのは不自然だ。
何か、理由があるのかもしれないと思うが……
「アプリ、とても怯えていたね……」
労わるような声に、目線を向けると、ウィンリィが眠るアプリの顔を覗き込んでいた。
すると、流しているだけの桃色のセミロングがアプリの顔に落ちる。
それに慌てたウィンリィが髪を耳にかけると、コーラが後ろに回り、赤紫色のシュシュで髪をポニーテールに纏め上げた。
「ありがとう、コーラ」
「ふふ、ウィンディとお揃いよ。よく似合ってるわ」
「えへへ……」
まだ見ぬ孫とお揃いだと聞いたからか、ウィンリィは照れ臭そうに頬を掻く。
その仕草も、顔も髪型もウィンディによく似ていて、ウィンリィが自分の母なのか娘なのか分からなくなりそうだ。
「それでサム、どうする? ルアが捕らえられているとふんで、ウィンターンに探りを入れるかい?」
「そうですね……出来るなら、先にイオに報告したいところですけれど……」
「ここから一度、海岸まで出て、海を越えて竜の砦のあるスプリーンまで行くのは現実的じゃないね」
「ですよね……」
イオは、僕たちがエルフの里を出発する時に、「私たち竜は、やる事がありますので、しばらく砦に戻りますね」と言っていた。
やる事、とはおそらく行方不明の竜、ルアに関する事だろう。
「サム、捕らえられているとして、ウィンターンのどこにいるのかもわからないのだから、あの神獣の跡を追うのが一番の近道よね?」
「うん、その通りなんだけど……」
僕は、娘の顔に目線を移す。
魔法をかけるまで顰めていた顔は、緩く解かれていて、いつもの規則正しい寝息を立てている。
「イオのことを考えると、アプリも彼らを追うことに賛成するだろうね。でも、その前にこの子を安心させてやらないと……」
「そうね……」
皆が、アプリの寝顔を覗き込む中、ルートさんだけがゴソゴソと自身のアイテムボックスを漁り出した。
「みんな、とりあえず情報を整理しよう。これを見て」
ルートさんが取り出したのは、古びた分厚い本。
「世界種族図鑑?」
「そう。ここの図書館で見つけてさ、拝借してきちゃった。『神獣』のこと、載ってるかもしれないよ」
生活史だけでなく、こんなものまで持ち出していたとは……
抜かりないルートさんの行動に、僕は苦笑しつつそれを開く。コーラとウィンリィも一緒に覗き込んだ。
「……あった! 『神獣』と『神獣の獣人』について」
そこには、神獣が魔獣を――つまり、魔力を食べる種族だったこと。
獣よりも強い魔獣を制することが出来る神獣は、竜と魔族を除けば、生き物の中で最も強い種族として認識されていることが書いてあった。
「獣人も、神獣の獣人も、魔法大戦以降に生まれた種族で、獣人は――獣と人の合成生物、神獣の獣人は――神獣と人の合成生物……」
「魔力を目当てに魔獣を捕食する『神獣』と、獣や植物を捕食する『獣』は、元々、全く違う存在のようだね」
確かに、同じ『獣』とつく生物なのに、在り方が違い過ぎる気がする……
「今は、肉体固定魔法があるから僕たちも魔獣を食べる事が出来ているけれど、昔はそうじゃなかったって書いてあるし、たしか、今でも、獣が豊富な土地では魔獣を食べる習慣はないんだよね……」
ルートさんの言葉と図鑑の文字を追っていくと、ある考えが頭をよぎった。
「まさか、魔獣を食べる生物がいなかったから、神獣が生まれた、とか?」
「かもしれないね。ていうか、そう考えるのが普通じゃない?」
「ええ……二人とも当たり前のように答えを出してるけどさ、僕、そこまでの考えに至らないよ」
「大丈夫よ、ウィンリィ。私も至らないわ。サムとルートが普通よりも賢くて、尚且つ、気が合うだけよ」
ルートさんはともかく、僕は普通だと思うし、何より、気が合うというのも納得がいかないな……
とにかく、生まれた経緯が何であれ、神獣が魔獣を捕食出来るほどの上位種で、神獣の獣人は、並の獣人たちから、逆らってはいけない存在として認識されていることは確かなのだ。
特に、獣人の中ではか弱いうさぎのアプリが、神獣への本能的な恐怖を果たして払拭出来るだろうか?
「ねぇサム、この図鑑の情報さ、何処にも神獣の獣人に対して並の獣人は逆らえないとは書いていないね?」
「あ……そうですね、書いてませんね……」
シルバーがアプリに伝えたのは、ただ単に生物として敵わないから、逆らうなという教えなのだろうか? それとも、神獣が魔力を糧にする生き物だから?
「シルバーは、アプリにだけそう話したのではないかしら? 神獣が魔力を糧に魔獣を襲うなら、魔力豊富な『魔力の子』は恰好の餌食だわ」
「僕もコーラの言う通りだと思うな。だってシルバーって、ノアのお父さんで、アプリを赤ちゃんから育てた人なんだよね? アプリのためにもノアのためにも、『獣人は逆らってはいけない』って教えるしかなかったんじゃないかな?」
「確かに、その線はありそうですね……」
アプリを『魔力の子』じゃなくて、普通の子供として育てていたシルバーなら、ノアとアプリに教えることに違いが出ないように、そう教えることもありそうだと僕にも思えた。
「ふむ。どちらにしても、アプリのあの恐怖心は、本能から来るもののように僕には感じたよ。ともかく問題は、アプリが恐れることなく追跡出来るのか、だけど……」
言い淀んだルートさんが僕に目を向ける。普段から僕は娘に対して過保護過ぎるとみんなに言われているが、今回ばかりはそんな僕の意見に同意してくれそうだ。
「もし恐怖心を克服出来なくても、イオのために無理をすることは目に見えていますし、追跡には連れて行かない方が無難かもしれません」
恐怖ですくむ体では、いざという時に動くこともままならない。俊敏さが長所の一つでもあるアプリならば、尚更だ。
「置いて行っても、この子なら追いかけてくると思うわ」
最も説得力がある母親としてのコーラの意見に、僕らは沈黙した。
アプリが目覚めた時、説得するしかないと僕が考え始めた時、
「僕も、アプリはどうしたって付いてくると思う。なら僕は、出来る限りのことをしてみようと思うんだ」
声を上げたのはウィンリィだった。
「出来る限りのことって? どうするつもりなの? ウィンリィ」
「魔力を満タンにする」
ウィンリィの桃色の瞳が真剣味を増して光る。
その様が、自分を育てた方のウィンリィとぴたりと重なった。
僕は思い出す――『時渡りの迷宮』で見た、母のことを。
身も心も削って戦い続けた強く優しい魔法少女の半生を。
明日は『幕間』の投稿になります。
本編ではありませんが、今話に関連する内容ですので、よかったらお読みくださいm(_ _)m




