ノアの努力
フローガの家を後にした僕とコーラは、長の家に帰らずに、ウィンリィとノアくんの修行を覗くことにした。
「アプリが、ノアくんが無茶をしていないか心配なのですって」
「ふうむ。長が見てるんだから、平気だと思うけどね……」
ノアくんの、獣濃度を100%にして戦闘力を上げる修行は既に達成出来ていて、後は実践を積むことが目下の目標だと長が言っていた。
その相手に、拳闘士タイプのウィンリィは最適だったので、長は二人の修行を一手に引き受けているのだが――
「ウィンリィ、行くぞ!」
「うん! 来い! ノア!」
気合の入った二人の声が森の中に響き、僕とコーラは、邪魔にならないようにと、気配を消して身を潜めた木陰からそれを覗いた。
腕組みをした長が見守る中、二人は、俊敏な動きで組み手をしている。
獣濃度100%のノアくんの体に、いつもの可愛らしい少年の面影はなく、代わりに、鋭い狼の眼光を宿した闘争心溢れる獣がそこにはいた。
対して、ウィンリィは、隊服を身にまとっていること以外は、いつもと同じだ。
傍目には、生身の女の子に、全身毛むくじゃらの立派な二足歩行の狼が一方的に蹴りやパンチで襲いかかっている恐ろしい光景に見えた。
ドンッ! ドゴッ! バキッ!
生身同士の組み手とは思えない激しい打撃音が森中に響き渡り、風が吹かずとも、木々が衝撃で揺れ、僕とコーラの体まで、ビリビリと空気の振動が届く。
それだけで、ノアくんの連撃の凄まじさは十分に伝わってくる。
けれど、ウィンリィはびくともしない。
柔らかそうに見える拳も脚も、拳闘士タイプの魔導士が纏う堅固な魔力で覆われていて、狼獣人の重い拳も蹴りも、全くダメージにならなかったのだ。
ウィンリィは、しばらくの間、やまない連撃を受け止め続けていた。
しかし、ノアくんの顔に、一瞬だけ疲労の色が浮かんだ時――パンチを横に流したかと思えば、体勢を崩した横腹に、すかさず一撃を入れた!
ドンッ!!
と大きな音とともに、ノアくんの体にめり込むウィンリィの拳。
「そこまで」
長の静かな声とともに、ノアくんが膝をついて、荒く息を吐く。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
見る間に狼の耳と尻尾だけ残していつもの少年の姿に戻ったノアくんに、ウィンリィは目を輝かせて肩を叩いた。
「凄い! 凄いよ、ノア! そこらの魔物や魔獣よりも頑丈だよ!」
確かに、ノアくんは、ウィンリィに一発もらったはずの脇腹を抑えて痛がる様子もなく、ノーダメージに見えた。
しかし――
「頑丈なのは、お前の方だろ? しかも、手加減してるな……舐めるなよ、僕が格下だからって」
その声には、悔しさと焦りが滲んでいて、これがただの負け惜しみではないことが伝わってくる。
「ノア、そんなこと……」
ウィンリィは困惑していたが、長は、何も言わずにノアくんをただ見つめていた。その視線に気がついた彼は、バツが悪そうに下を向き、
「……ごめん、頭冷やしてくる」
「あ、ノア――」
ノアくんは、ウィンリィと長を後にして、その場を立ち去ってしまった。
―――――
「コーラ、そっとしておいた方がいいんじゃない?」
「アプリが心配しているのよ? 自分の修行で忙しいあの子の代わりに、様子を見るのが親の務めじゃなくて?」
「そ、それはそうだけど……」
コーラの言い分も分かるけど、男の子の気持ちとしては、ほっといてほしいんじゃないかと思った僕は、今、渋々後を追いかけている。
ウィンリィたちの気配を感じないくらいの場所まできた彼は、川を目の前に、ドサっと地面に仰向けに寝転がり、木々の隙間に見える青空に目を向けていた。
「あとで、ウィンリィに謝らなくちゃ……」
「へぇ? 殊勝だね?」
「! ウィンリィのお父さん!」
何と、僕らがいる方向とは反対の森から、現れたのは、ルートさんだった。
「お父さんじゃなくて、保護者だって何度も言ったよね? ノア?」
笑顔なのに目が笑っていないルートさんに、ノアくんは慌てて体を起こす。
そんな彼を、ルートさんは立ったまま頭からつま先まで観察するように眺めた。
「あの、な、何か用ですか? アプリの修行は、見てなくていいんですか?」
ノアくんと同じ疑問を感じて、僕とコーラも顔を見合わせる。
「アプリはね、今はお昼を食べているよ。僕は、水を汲みに来たところなんだ。それより君さ、さっきリィに一つも攻撃を当てられなかった理由が何かわかる?」
おや、ルートさん、水を汲みに来たとか言いながら、ちゃっかり、ウィンリィとノアくんの組み手も見に来てたとは、相変わらず、ぬかりない人だなあ……
「え……それは……僕があいつより、遅いから?」
「うん。概ね正解」
「概ねって…他にも理由があるんですね!? 教えて……あ、いえ、先ずは自分で考えます。えっと……」
ぶつぶつと呟きながら、一生懸命考えるノアくんの姿に、僕は、かつての自分を思い起こす。
コーラに頼られたくて、必死に努力したあの日々を。
コーラも、思うところがあるのか、優しくそれを見守っている。
「……ウィンリィは早い。でもそれだけじゃない、しなやかで、関節の可動域も広いから、捉えたと思っても、柔軟に避けられて、攻撃が当たらない?」
気付きを得たのか、ノアくんは、顔をぱっと上げて、ルートさんを見上げた。
「あの、ただ、攻撃を繰り出していただけだから、柔軟なウィンリィには、届かなかったんだと思います」
「まあ、概ね正解かな。じゃあ、それを攻略するにはどうしたらいいと思う?」
「一撃目を、避ける場所を誘導するように入れて、間髪入れずに二撃目を、避けてくるだろう位置に入れます! タイミングさえ合えば、当たる確率は上がると思います!」
間髪入れずにノアくんは答えていた。
どうして当たらなかったのかだけじゃなく、どうしたら当てられたのかまで同時に考えていたことに僕は驚く。
「ふふ、さすが、狩りを得意とする狼獣人だ。よく見てるね、相手の動きを」
「当たり、ですか?」
「うん。大正解。これなら、あれも上手く使えそうだな」
「? あれ?」
「うん。今まで教えた基本の魔法じゃない。君の戦闘力を底上げできる魔法だよ」
「それって、どんな魔法なんですか!?」
ルートさんを見上げるノアくんの瞳に光が灯るのを見て、僕とコーラは安堵した。
さっきまで、悔しさと焦りが滲んでいた表情も、すっかり希望に満ちた明るいものに変わっている。
そんなノアくんの様子を見て、僕はまた、幼い頃の自分を思い出した。
諦めなければ、僕にも、手を差し伸べてくれる師がいたことを。
そして――
「ふふ、あなたも、あんな風に励んでいたわね……」
「そ、そうかな……」
「そうよ。私、ずっと見ていたもの、あなたの努力をね」
そう話すコーラは、豊かな笑みを浮かべている。
僕は、続けた努力が実り、コーラの隣にいられる今を噛み締めたのだった。
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