人魚の子の帰る場所②
川遊びに子供たちを連れて行った日の夜。
夜中にトイレで目覚めた僕は、コーラとアプリを起こさないようにそっと抜け出し、リビングにあるトイレへ向かった。
用を足し、トイレから出て手を洗っていると、洗面所の小窓の前を人影が通るのが見えた。
「? こんな時間に誰だろう……」
心を病んだ子供たちのうちの誰かが夢遊病を発症したのかもと不安になった僕は、外に出て、人影が向かった方向へ目を向けた。
驚かさないように静かに小さな影の後をつける。
しばらく歩くと、影は、川の前で立ち止まり、立ったまま、動かなくなった。
「……トト?」
「! サ、サムさん……」
影の正体はトトだった。日中は暑いとはいえ、夜中は少し冷える外に、薄手の半袖短パン姿は、肌寒そうに見える。
「風邪引くよ? 今度からは羽織るものを持って出てね」
「怒らないのかよ……夜中に出歩いてって……」
「怒らないよ。誰にも一人になりたい時があるからね……ごめんね、君たちのお家、全員寝室が同じで」
男性陣で建てた魔力の子の家は、50人分のベッドが置いてある寝室と、それ以上に広いリビングのシンプルな造りだ。
みんな回復してきて、ベッドで過ごす時間が減った今、部屋数を増やしてあげなくちゃなあと思っていたところだ。
「そんなの、あんなでかい家、建ててくれただけで充分だっつの……」
「あはは、そう言ってくれると嬉しいな。一生懸命建てたからさ」
その時、ひゅうううと風が吹いて、僕らは思わず身震いをした。
さすがにこのままじゃ風邪を引くと思い、アイテムボックスからタオルケットを取り出して、二人で羽織る。
「悪い……ありがとうな、サムさん」
「ははは、気にしないで」
そのまま、川を見つめて、沈黙したトト。
僕は、昼間の川遊びの時の曇った表情を思い出した。
「あのさ、昼間、見たよな? モモの姿……」
「うん。人魚だったんだね、この世界にいることを初めて知ったよ」
あの後、長から聞いたのだが、人魚とは、獣人が産まれるよりも、ずっと昔から存在する海人と呼ばれる種族の一つなのだそうだ。
つまり、獣人であるトトと人魚であるモモは、全く別個の種族ということ。
「俺も、話には聞いていたけど、モモが変化するのを見て、本当だったんだって、思ったんだ」
暗闇に目が慣れてくると、川をただ見ていただけと思われたトトは、見ているのではなく、睨んでいるような目をしていた。
「俺さ、それまでモモは、俺たちと同じ魔力の子で、ずっと地上で暮らすんだって思ってた。でも……」
川を睨みつける瞳が、悲しげに揺れて、トトの寂しさと恐怖が僕にも伝わってくる。
「水の中で、見たことのない生き生きとした表情で川を跳ねるように泳ぐモモを見てさ、これがあいつのいるべき場所なんだって、思い知った」
そこまで話して、トトは、川から目を逸らし、俯く。僕は、かける言葉が見つからず、彼の肩に手を置いた。
「海の底には、きっと、あいつが一緒にいるべき仲間もいるよな……俺は、そこまで付いていけない……そのことが、何だか、たまらなく寂しくて、どうしようもないんだ」
「トト……」
トトは2歳の時から、モモは0歳の時からあの領主邸の地下で共に生きてきた。
全属性魔力によって、手足が崩れても、二人が笑っていられたのは、きっと互いがいたからなのだろう。
その絆は、血の繋がった兄妹以上に強固なものに僕には思えた。
「ははっ、情けないよな、俺、一応、あいつの兄貴みたいな立ち位置なのに、心弱くて、かっこ悪いや」
「そんなことない。トトは立派だよ。アイスだって、川遊びだって、自分のためじゃない、みんなのために言い出したんだろ? こんなに人のことばっかり考えてる子供なんて――」
言いかけて、脳裏にウィンリィの顔が浮かんだ。ああ、そっか、トトは、ウィンリィに似ているのだ。
「滅多にいないよ? 君は凄い。自信持って」
「……そうかな……」
トトは、泣きそうな顔をしていたが、涙を流すことなく、堪えているようだった。
これが、ウィンディやアプリなら、無理しないで泣くことを促すのだが、トトの様子に、今はその意地を無理に崩したくないと思ってしまう。
「……とりあえずさ、明日、モモがどうしたいのか聞いてみようか」
「っ……うん……そうだよな、本人に聞いてみないと分かんないよな……」
―――――
翌日、雨が降った。
修行も外遊びもお休みになった子供たちは、長の家のリビングに集まって、各々お絵描きやら、カードゲームやら、読書を楽しんでいる。
トトとモモは、長所蔵の世界図鑑を開いて、二人で仲良く見ていた。
「ここ、エルフの里から一番近い海のことを、四大陸の海と呼ぶ……だってさ」
「ふうん……ぽんと蹴る! かあ……変な名前だね!」
「微妙に違うだろ……」
「ポントケルには、人魚がいるのかな?」
「……」
一見微笑ましい二人の会話だが、トトの気持ちを想像して、僕はいたたまれなくなってしまう。
すると、そんな二人に近寄る白い影!
「ポントケリアに人魚はいるよ」
うちの子だ!
「そうなんだ!」
「アプリ、何でわかんだよ? お前、海の中を見たのか?」
「見たことはないけど、友達が言っていたから」
すると、部屋の角で、長の指導の元、ウィンリィと組み手をしていたノアくんも駆けつけて、
「僕らが育った村には、海人が住んでるんだ。そいつがポントケリア出身でさ、よく海の底の話をしていたよ」
ああ! あの子か! 旅立つアプリの見送りに、ノアくんを引きずって来た青い髪の男の子のことだ。
「モモ、いつか一緒に会いに行く?」
「えっ? 連れてってくれるの!?」
「うん。いつか、私とノアが里帰りする時で良ければ、連れて行くよ」
「やったあ! 行きたい! 会いたい!」
同族に会える未来にはしゃぐモモを、トトは何処か遠くを見るような瞳で見つめている。
その表情があまりにも寂しげで、僕は胸が痛んだ。
「……トトも来るよね?」
「えっ? な、なんで」
「モモが行くんだもんな、当然付いて来るだろ?」
「え、ええ、え?」
アプリ、グッジョブ! 我が娘ながら、なんて気の利く良い子なんだ! ノアくんも見事なナイスアシストだぞ!
「トト、付いて来ないの? やだよ、トトが来ないなら、私、行かないもん、寂しいし」
「行く」
こんな綺麗な即答を僕は聞いたことがない。トトは、兄貴分でも、仲間でもなく、ただの男の子だったようだ。
「決まりだな、まあ、まだ先の話だからさ、それまでは、ミヅキから聞いた深海の話を教えるよ」
「ふふ、先ずは、エビフライの話からしようよ、ノア――」
二人の話を、目をキラキラさせたモモが聞いている。その傍らで、トトも同じ話を聞いていた。
その表情は、満面の笑みではなかったが、昨日の夜に見た寂しげなものではなく、大切な存在に頼られている誇りが垣間見える――そんな顔だった。
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