(66) 時間飛行士
「ボーイフレンドとかさ」
と、尾見がぼやいたので、結日……結日るると名のっていたゲルトヒーデルは「いやいや」と、かるく応じた。
「いないわよ。そんな人は」
言ってから、ちょっと言いかたがむずがゆかったか、と、訂正する。尾見昼子は、カラーコンタクトをしているらしい黒い目をあげてそうなんだ、と言った。ゲルトヒーデルは、ウィッグをちょっと気にするように言った。
「けっこう家がきびしいの。ってのも、言いわけだけど。やっぱりそういうことは考えられないってのもある。学生だし」
「そっか。……そういうの気にしなさそうだなとも思ってたんだけどねー」
「そうかな?」
ゲルトヒーデルは話のついでのように言って、ペットボトルのお茶を飲んだ。緑茶は実家で慣れていて苦手だった。が、いまは飲みたい気分……そういうこともある。
尾見は砂糖のたっぷりきいた缶のコーヒーを飲んでいる。
「次、なにやろっか」
「ガンシューティング! 思いっきり連射したい」
「いいね!」
尾見が乗り気で言う。
しかし、ガンシューティングの台はちょうどふさがっていて学生くらいの男子二人組がいた。ゲルトヒーデルと尾見は、台が空くまで格闘ゲームの台で対戦した。
尾見は色々なキャラを選択するわりに、どれもあまり上手くない。が、ゲルトヒーデルの腕も尾見とどっこいくらいで、最近は対人戦をかさねているせいか、ほんのちょっと操作や戦術がマシにはなっていた。
尾見の選んだマッチョな男性キャラが、つたない操作でゲルトヒーデルのしなやかな女性キャラを優勢ぎみに追いつめていく。いわゆる立ちガード状態をすりぬける投げがやや強い男性キャラに、ゲルトヒーデルが単純に攻めあぐねたためだ。
が、勝負の結果は三回中二回をゲルトヒーデルがとるのに終わった。ああ〜、と、尾見ががっくりする。ゲルトヒーデルは笑って、もう一戦しよ、と、尾見をさそった。尾見はキャラ選択に入った。
尾見昼子、は、つい三週間まえに初対面したばかりだった。
もともとゲルトヒーデルにはこそこそと変装してまで、ゲームセンターにかよう習慣があった。そんなに長い趣味ではない。中学二年生のころ、思春期特有のこじらせた心理状態に見まわれていたゲルトヒーデルは、祖父や、それにかかわる諸々の事情に対して猛烈なストレスを抱えていた。これでは爆発しかねないと思っていたころ、ちょうどそのころ、爆発的に流行っていたゲームセンターという文化に誘惑され、眼鏡、帽子、髪型を変えるなどの処置をして、当の施設へ足をふみいれた。
ゲルトヒーデルの家が、テレビゲーム、携帯機ゲームといったものに対して禁止するほど厳格だったかといえば、そうでもない。
実際、それまでにも、とある球団にハマってグッズの購入などしにいくくらいゲルトヒーデルは野球観戦に前のめりであったし、祖父や家人も、それにはなにも言わなかった。ただ、祖父や花園のようなずいぶん世代が上の人間にコンプレックスを抱いていたゲルトヒーデルにとって、なにも言われなくても手をだしにくい、興味を持ちにくいものではあった。それにあえて具体的には思わずとも、そういうたぐいのものに手を出している自分に、言わずとも祖父は眉をひそめるだろうという意識はあったのだ。
だが、実際にふれてみると見事にハマってしまった。
それまでの趣味にはない熱狂だった。
思うところあって、実家から出奔した前後ごろには、さすがにそれどころでなくなっていたが、自分にとっての事態が落ちついた高校一年生の冬ごろには寒風のなかをゲームセンターにちょくちょく通っていた。通う学校からははなれた店を選んでいて、変装などする必要があったかわからないが、すでに性分だった。ウィッグやカラーコンタクトまで用意する念の入れようになっていたのは、ゲルトヒーデルにとって変装という行為そのものが、なにか刺激的であったかもしれない……というのは否めない。
尾見とは当然通っていた店で出会った。
最初、目に止まったのは、自分も変装している、というやましさからの意識だった。
つまり、尾見という少女も変装しているようなのが見うけられた。
カラーコンタクトについてはあとで気がついたが、どこかヨーロッパのものを思わせるくせのあるチームロゴの入ったキャップ帽、黒縁の無難な眼鏡、うしろで一つにまとめた黒髪。白っぽい肌がどことなく日本人のようで日本人でない。
それがアーケード台のコンソールに不用心に硬貨を積んで、じっと画面をにらんでいる。本人が思っているよりもそれは目立っていたが、日本人に共通の特性として、そういうものに会ったときは反射的に見ていないふうな態度をとるものだ。
ゲルトヒーデルは近い親戚の縁が海外にあることもあり、多少、そういう特性は弱かった。
それでも気にはしなかったが、その少女が悪戦苦闘して、不注意で硬貨をこぼしてしまったときは、すっと近よっていた。
「ねえ。これ、おとしたわよ」
と、百円硬貨を二、三枚、拾ってやる。話しかけるときは英語で言っていた。
「ありがと」
と、少女は日本語で返してきた。「日本語、大丈夫……ありがとう」と、きまり悪げに言ってきた。ゲルトヒーデルもきまりは悪かったが少女の対応で、好ましい印象はのこした。
「英語うまいんだね?」
と、少女はとりつくろうように言った。それが初対面だった。
自己紹介したのは、それから三日後のことだ。
同じ店で再会して、少女のほうから雑談をふってきた。ゲルトヒーデルもそれに応じた。
「名前は……私は昼子。尾見昼子って」
「ひ」を発音するまえに「フィ」とか、「フウ」とか言いかけるようすで昼子は言った。それで、なんとなくゲルトヒーデルは偽名ではないかと思った。
ゲルトヒーデルも偽名を名乗ったのは、本当の名前を言う必要を感じなかったというのがひとつ。その場の空気に流されたところがあるのがひとつあった。
「結日」
というのは、半分は嘘ではない。父方の実家の苗字だった。るる、とは、信じがたいが従兄の名前だった。今年二十八になり、イラストレーターをやっている。昔はゲルトヒーデルはその従兄によくなついていた。ペンネームとして「阿久度井るる」を名乗っているが、本人もるるは実名と言うと驚かれることをとても気にしている。
周囲の人間はそれを苗字で呼んでいるが、ゲルトヒーデルは(小さいころの話だし)るるお兄ちゃん、と呼んでいたはずだ。
両親がその名前にしたのはなんでだか……たしかに、変わり者ではあるが。
ゲルトヒーデルも、偽名にそれを持ちだしたのはそれだけインパクトがあったからではある。
ともあれ、そんなどっちもかくしごとを持った状態から、彼女との変な関係ははじまった。
変、というのはおたがいに嘘を言っているのはわかるのに、妙にあけすけになれた……共犯関係と呼ぶのかもしれないが。
だから、だれか外から「君たちはおかしい」と一度でも指摘していたら、関係は終わっていたはずだ。
「あなた嘘ついてるわよね」
とは自分たちでも言わない。結果が見えているからだった。不健全な関係といえば、不健全な関係だった。
「次、あれ」
関係は良好だ。
いくつかの対戦とスコアで、ゲルトヒーデルが負けている以外は。
店内でも目立つレースゲームの台に座り、ハンドルを握った。




