(67) エイリアンエイリアン
「二名だけで、行く」
と、ウェルフが指示したのはそれほど大胆なことではない。
指示どおり、人員のほとんどは対象の宗教施設のまわりに配置された。ウェルフは最終的には、ひとりだけでそのなかの、白い施設にはいった。そこはつい最近来たばかりのときに、冨地原という代表者に案内されて理路整然とした丁寧な説明を受けたところだ。事前の偵察の結果によれば、現在施設のなかで人がいるのはその建物のなかだけであり、そのとおり、ウェルフが入ると、こちらに背を向けて身体の後ろでゆったりと手を組んだ男性が一名立っていた。
とりあえず、ウェルフはかまえていた銃口を、両手で保持しながら、しっかりとその人物にむけた。
男性は気づいていなかったわけでもないだろう。
しかし、余裕をもってウェルフを見すえた。それほど力のある眼光ではないが。
「何用ですか」
「警視庁公安部の指示で来ました。あなたを連行します。冨地原治見さん」
「これはまた率直な」
「同行していただけますか」
冨地原は、ふむ、と言って、首をかしげた。
「もちろん。そういうことでしたら構いませんが。しかし、銃口を向けるというのはおだやかでない」
「こういう状況に慣れがおありですか?」
「そらまあ、海外経験がありますから。一度や二度は強盗に遭いました。治安のおとなしくない地域も知っています」
それじゃ、行きましょうか、と冨地原は言った。ただ、言ったもののその場にぴくりともせずに立っている。それは緊張しているようではなかった。むしろリラックスしている、ずっと。憎らしい顔で、ウェルフの言葉を待っている。
「なにも――」
ウェルフは言ったとたん、言葉を切った。
白い部屋の床から、なにかが跳ねてその顔めがけて襲いかかったからだ。ウェルフは油断などしていた様子もないが、そのなにもなかったはずのところから跳びあがったものには反応できなかった。クモのようなカニのような、サソリの尾のような背骨状の甲虫の尾をもったそのまがまがしいものは、地味でありながら毒々しく狡猾な物陰色の身体をはげしくうねらせ、ウェルフが、とっさにあげた片腕ごと彼の顔面にはりついた。
ものすごい力のようだった。それでいて、野生生物特有のためらいや知性のない疾さだった。
ウェルフはもがいたが、やがてもう片方の腕をふりあげると、その顔面にぴたりとはりついてなにごとかしようとするものに、ざくりとなにかを突き刺してひるんだすきに、床にたたきつけた。
ウェルフの手には、どこかから一瞬であらわれた刃物がにぎられていた。それは銀色で美しく均等なかたちをした刃物だった。あまり有名でないチンクエディア、五指剣、とよばれるものによく似た剣だった。
剣をかまえ、ウェルフが身構えるのに、冨地原はほうと、感心した。
「いまのは? 一瞬であらわれたが」
「そういうものだ」
「エイブリーね。なるほど、きみたちのよく使うものだ。かくいうわたしも一振り似たようなものは持っている。今は手元にないが」
冨地原は同じ調子で言った。姿が変わったわけではない。室内のようすがなにか変わったわけでも。
白い壁、リノリウムかなにかがはりめぐらされたなめらかな床。奥には炎が燃えていた。器のように大きく、大人が両手でようやく持てるほどの杯、とも取れる固定された聖火台が、低く曇った午後の光ににぶく座っている。
室内はそれほど広くない。狭くもないが。そう、だからこそ恐ろしいといえるが……。
ウェルフの剣の一撃で、貫かれた生き物は、意外とあっけなくひっくり返っていた。それはやはり巨大で人の頭を、左右対称についた節足でつかんでしまえるほど大きいものの、虫に類するもののようだった。もちろんウェルフの知識にそんな巨大で、奇妙で凶悪そうな虫はいなかったが。
そのなかのどこかからいつまた虫が跳び上がってくるか。あるいは、それ以外におそるべきことが起きるのか。
とはいえ、ウェルフは一割ほどは護身のために剣をかかげていた。
「こちらは一人ではない」
「それはそうだ。何人でかかろうと同じなら、必要な人数を投じる。一人より二人を」
「わかったふうなことを言う」
「なるほど。わたしに聞きたいことでも?」
「話が早くて好感が持てる」
と言っても、と、冨地原は唇をあまり動かさずに言ってきた。声は明朗だった。
「きみたちに教える義理のあることなど、わたしにはなにひとつない」
「こちらへうかがったのは、秩序の国に関係して、行方不明になった「らしい」十数名の方のことについてですが」
「それは……不幸なことだった。とはいえ、もちろん私が積極的に関係したことのためでもない。で、ないのなら、とっくに団体に警察の捜査が入っているから」
「まるで疑惑の浮かないかたちでなら、そのすべてにかかわっていた?」
「イエスだ」
「だが、本当に不幸なことだったんだ……「そう」なってしまった人たちについては、できるなら賠償をしたい気持ちでいる。証拠も何もないから、やらないですがね」と、冨地原は肩をすくめた。
ウェルフは顔色を変えずにうなずいた。
「私たちの用件も、そういうことではありません」
「そうかね」
「あくまで不誠実なあなたがたの行いが、私たちの大切にしている人材に、具体的で深刻な影響を与えています」
「わたしたちの非を挙げる前に、きみたちは己の非を省みてはどうだろうか? きみたちはそれが必要で緊急避難的な内容だからということを免罪符に、結局多くの人の善良な、あるいは無知な目をあざむいている。その人たちが無知であるのは、結局、きみたちが必要だから最初に欺いたことが原因なのに。マッチポンプはいつでも人間の世間を円滑にするのに必要だが、罪なき人々に舌を出しながら、自分たちの活動をするきみたちは、実に都合がいい。どれほど言葉をならべたててもな」
「社会正義ですか? すいません。今ちょっとそのことについては話せません」
「いや、人間らしく非難してみただけだ。気に障ったのなら謝罪する」
冨地原は天井をちらりと見た。すると、ガサ、と、大きな、人間ほどもあるような蜘蛛が、自分自身は無音だが巣に引っかかったものに触れて音を立ててしまったかのような物音がした。
ウェルフは、上を見なかった。
冨地原は続けた。
「わたしたちもまた都合がいいのだ。ただし、きみたちと違う点が二点ほどあって、わたしたちは、この地上の何者の手でも滅びる可能性がない。また――あるいは、滅びることがないということこそがその前提かもしれないが――消極的だ。人間にしたら無気力でさえあるかもしれない。それがわたしたちがそれほど、害されず、また害することもなくやってこれた理由だが……わたしたちも、それでも盟友とよべる存在は大事にする。丁重にする。いま、わたしが理由にしている盟友は残念ながら数年以内に……いや、その気になれば十数年生きるかで生物として死んでしまうが、やれやれ。あの本が、アズーの本が、真に価値のない益体もない子供だましであったら、こうはならなかった。この町での深き深き、「ふかや」血脈がめぐりめぐって、異郷の収容所で開花した、あの書」
「……価値あるものだったのですか」
「違う。価値はないし益体もない。ただほんのすこしずれていたし、影響があった。特殊で限定的な影響が。それがわが盟友を、殺してしまった。残念だ。わたしたちが深宇宙に帰るときも、盟友は帰れない。この星で死んでしまうだろう」
が、「しかたのないことだ」と、冨地原は手を下ろして、また身体の後ろに組んだ。
「そう。そうなってしまったことは仕方がない。私は盟友である者のやろうとしたことを、せめてこの街でやっている。それだけだが、これがなかなか重要でね」
「心中はお察ししますが……」
ウェルフはやりかえすように言った。
「ご友人を思いやる心があるなら、犠牲者をないがしろにする言いかたに、ご友人の存在を使うべきでない」
「ごもっとも。友人のたばかりごとも、はかばかしくいかなかった、とわかった今となっては、それに巻きこまれた被害者と言ったら……」
「結果を出せなかったのなら、もう手を引くということですか?」
「手は引くが、後始末はわたしではできない。後始末を考える配慮もわたしにはない」
冨地原はあごをなでて、少し考えるようにした。
「きみの心配する人材であるところの、ゲンコ・オブライアン女史については、あのままだよ。だが、きみたちなら困ることはあるまい。きみ個人の反応はそうではないようだが、個人的な問題とはすべからく私事だ。仕事にもちこむべきではないときみたちはわかっているのではないか? その稚拙な兵器を、聡明な頭で、本来身内と呼んできたものに対しても下してきたのでは? 人でなしと言われるものになってきたのでは? それこそ、わたしが犠牲にした犠牲者の数より、そのことの犠牲者はおびただしいほどの数になって、歴史に横たわっているだろう。きみたちの仕事の歴史に」
「ま、「わたし」の知ったこっちゃない」と、冨地原は言った。ぬるい風が建物の中に吹いた。腐肉の臭いのような激臭が充満した。ウェルフは、冨地原から目を外さないまま、つい口をおおった。
甲高い音がした。
鳴き声のようではあったが、ウェルフはいままでこの仕事に就いてからも、こんな不快で怖気が同時に立つ鳴き声は聞いたことがないと感じた。
「巣は今度も完成しなかった。わたしは谷底へ引きこもるとする。ここでやることは終わったからな」
冨地原は言った。その顔から表情が消えうせた。頭が動いたと思ったら、それはぐらつきに変わり、そのまま後ろへなすすべなく倒れた。
ウェルフは頭上を見た。暗い天井には、何もいない。なんなら天井があるだけだった。
神々は去った。




