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インナースペース・ネクロノミコン 〜ポケベルと白い血肉と円卓の騎士  作者: ジ・エモン


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(61) 悪夢





 心造達右衛門(しんぞう・たつえもん)、という人物がいた。

 戦中のころである。



 当時のもろなおちょう市――戦中(第二次大戦下、太平洋戦争当時のこと)はもろなお町、の、町の有力者であり、土地の名家、心造(しんぞう)家の当主であったと記録されている。

 責任感があり温和で、やや調子がいいが、そのぶん気前もいい。そこそこの人望と人気のあった人で、戦中のさなか、当節はやりだった軍の後押しをつよく勧め、自分の一人息子もふくめて、町の男たちを、町をあげて大々的に戦地に送りだしたりもしていた。

 このため軍が勝っていたあいだは、心造氏のはぶりもよかったが、まもなく戦況はあやしくなり、やがて悪化の機運はすぐにもろなお町の田舎にも、さしてきた。

 庶民は負け戦の気配に機敏で、表面上は異議を唱えたりしないものの、イドバタ会議に戸は立てられないものだ。

 いよいよ雲行きがあやしくなりはじめたとなれば、戦争に賛成した町の有力者という位置は、不幸にも一番の鼻つまみ者となり、心造氏の周辺の人はだれもかげではそっぽをむきはじめ、心造氏本人もそれを敏感に感じとった。

 この非難の色あいがあらわれはじめたころ、心造氏の一人息子も、配属先で戦闘に巻きこまれ、生死不明のあつかいとなり、そのしらせは心造氏にとどいていた。戦争を後押したからこそ、戦地の最前線の状況には、彼は人一倍耳ざとくもあった。

 そして、このころ心を病んだのか、心造氏の身の回りには不穏な変化があったという。

 近所やつきあいのある人間には、いつもどおりらしくふるまうこともあったが、自宅である屋敷にこもりがちになり、人と会うことが目に見えて減った。軍の後押しの関係で会っていた人間もいたから、自然なことではあったのだが、やがて、それは必要最低限なものをのぞいて、または必要最低限なものもしだいに、と、推移した。

 このころ、心造氏がつけていた日記がのちに回収されていて、その参考によると、屋敷にこもって本を読んでいたらしい。

 もともと趣味人でもある。戦中にはさすがに自重していたが、その以前には国外から英字の本や雑誌をとりよせ、収集し、若いころつてがあって学んだ英語のリーディング能力を駆使して読んだりもしていた。

 気晴らしということであったのだろう。

 もっともこのころ読んでいたのは、英字の本ではない。古文書ともいうべき戦国時代ごろの文献だった。

 名家心造家は、そのころから祖先をいただく正真正銘の古家(こけ)であった。戦国の中ごろ、中世のもろなお町に、諸事情から根を下ろした武士の家であったらしい。

 そして文献とは、その戦国中期ごろの記録であった。

 蛸さぶらう、という怪奇にまつわる話である。

 こういう話だ。もろなお町には、かつて小さな港町があり、立地も相まって戦国の中ごろに栄え、発展していた。しかし、いつからかこの町に異常があらわれた。

 ある日をさかいにどこからか異様なほどの磯臭さが漂うようになり、住民の中には、それだけで気分を悪くして病む者も出るほどだった。

 そして、臭気が漂うようになったころ、町の発展もなぜか次々と頓挫し、有力者が怪死、変死、自死する事件が不審に起こった。

 人々は衰退する生活に非常な不安をおぼえ、しだいに目も虚ろ、言葉は怪しくなり、町からは人がどんどん離れていった。

 残された病人、老人、耳目や手足の萎えた者たちは困窮し、いつからか海から来た人魚の侍を崇めるようになったという。

 「蛸さぶら(ろ)うどの」、と呼ばれるこの侍は天狗の面にぼろぼろの黄色い皮膚、下半身と喉から蛸のような無数の肢を生やしていた。

 また鰓(えら)と鱗(うろこ)が、裸の上半身にあったとされる。

 蛸さぶらうは、海からやってきて、「こはいるか」「つまはししたか」と、人語を話し、二ヶ月に一人は生贄を欲し、ささげられた生贄にはい寄ると、首に巻きついて首の骨を折って殺し、亡き骸を海に運びさってしまう。

 彼が静まりかえってしまったあと、しばらくは同様に海も死んだように凪ぎ、釣り竿を垂らすと魚が狂ったように食らいついてくる。

 住民はこれをおもな食料として命をつないだ。  

 が、この町の外から来た人間には、この海から取れた魚は生臭さが強すぎて、しかも、身体の一部が必ず腐っているなどして傷んでもおり、とても食べられるものではなかった。

 やがて、町では、蛸さぶらうを崇拝する教団が建てられ、うばや食いぶち減らしの捨て人、遺骸もどこからか寄せられるようになり、深刻な疫病が発生し、しかし、この海で取れる魚を食う者 (あるいは物。犬猫虫獣)は病みはしても決して死なず、身体が腐っても生きつづける。

 町は捨てられた。

 そして疫病の発生源となり見過ごせぬとして、ほどなくして、近くの武士団が村を焼きはらって失くしてしまった。

 教団の合言葉は「ふかやもろなお」「てそふかきもろなおさま」であった。

 この話が失伝したのは、旧日本軍の画策による。

 もともとひどく昔の、荒唐無稽な言い伝えである。それでもその伝説は、当時、焼き討ちののちに滅びた村に変わって住み着いた人々をひどく怯えさせたのか……どうなのか。

「もろなお町近隣のやまいぬ山の山頂の神社に、鎮祀して置かれてあるほどには」信じられていたらしい。

 戦時中、当時のもろなおちょう市に住んでいた、町の有力者がスパイの疑いをかけられ逮捕された。

 有力者の家からは、大量の密輸品である英語の怪奇小説集、詩集を写本した書物、また名状しがたい獣の絵が彫られた桐箪笥をはじめとした怪しい品が発見され、有力者はなにか特定の不明な対象を崇める宗教に傾倒していた。

 言動は怪しく、神経衰弱の兆候も見られ、「この様子でスパイなど務まるとは思われない」と軍側には真っ当な見方があった。

 ところが、先にも言ったが当時は軍が戦争の形勢不利を悟りはじめたころでもあり、軍は結局スパイであることが明白、と発表してこのおぼつかなくなった有力者を表舞台から下ろすのに一石二鳥と判断し、真相に近いものを闇に葬り去った。

 さらには、有力者……つまりはくだんの心を病んだ心造達右衛門氏が、おそらくはこの不明な対象の宗教じみたものに傾倒し、正気判断力を失ったのではないかという訴追がされそうになるのをおそれ、彼の家に、戦国の中ごろから伝わっていた「ふかやもろなお」「てそふかきもろなおさま」の村に関する資料を見つけだし、隠ぺいのため、すべて破棄させた。

 神社史跡の隠ぺいに関しては、取り壊し、管理放棄、敵のスパイの破壊工作に見せかけた爆破まで提案されたが実行されず。

 神社内にあった都合のわるい物品をあらかた撤去し、べつの言い伝えを広めるよう情報工作がなされるにとどまったとされる。

 戦後になると、この事実を知った陸軍のさる高級官僚が、もろなおちょうなどと言う名前が残っているのはよろしくなかろう、と言うことで、町の有力者に呼びかけ、名前を改める運動を興させた。

 もちろん、この官僚も裏では隠ぺいに関わり、もろなお町などと言う名前が残っているのは、都合が悪く……なによりそっぽを向いたまま放っておける限度ではなかった。

 これが現在伝えられている都市伝説と符合する。

 ふかやもろなおの怪物退治の伝説が残っている事情とも、符合する。

 このとき、関係者の変死事件が起こった。

 くだんの高級官僚も事件の最中、突如として切腹して死亡した。 

 その死体には左目が片方だけなく、屋内であるのに鴉についばまれたかのような痕があった。

 

「というしだいだ」


 教えろと言ってもいないのに、男は言ってきた。夢のなかで。

 ゲンコは当然聞いていたが、いつもの夢の中であるから、忘れてしまう。

 いつもの夢のあとには、いつもくりかえし、あるいはとめどなくやってくる悪夢が再開される。

 ゲンコはやはり眠りが浅いまま、ぼんやりしながら、これを罵った。





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