八話 心の形
エリオットは王城の地下にある牢へ幽閉されていた。
それも死刑囚の証である黒い囚人服を着せられて……。
彼の幽閉される牢に、一人の武官が訪れる。
「エリオット」
「やぁ、君か」
暗い表情の文官を、エリオットは儚い笑顔で出迎えた。
この武官は、アルマンドであった。
「何故、このような事になってしまった?」
「王の不興を買ったのだから致し方ないでしょう」
アルマンドは忌々しげな表情になる。
「お前ならば、もっと上手く立ち回れたはずだ。王に疎まれる事もなかっただろう」
「我が身を一番の大事だと思うならばそうしましょう。しかし私は、私以上にこの国の行く末を案じていたのです」
「王はなんと愚かなのだろう……。忠臣をこのような場所に押し込め、佞臣を重用するとは」
一年程前、丁度ヴィブルとの戦いが終わった少し後の事。
ヴィブルを退けた国として、カルースには多くの人材が詰め寄せた。
その時に、一人の文官が雇い入れられた。
名をテリオス・クレオといい、今はエリオットに代わってカルース王の側近となった男である。
この男は人の心理に通じ、言葉を操る事に長けていた。
最初こそしがない下級文官であった彼だが、持ち前の優秀さを示す事ですぐに王のそばへ立つ事を許されるようになった。
すると巧みにカルース王に取り入って、すぐさま重用された。
あのヴィブルに勝った事実を度々言葉にし、巧みに王の自尊心を肥大させた。
戦勝国である事の誇りをくすぐり、驕りを植えつけていったのである。
戦勝国の王であるならば、それらしい暮らしをせねばならないと贅沢を薦めて出費を強いた。
玉座には美女を侍らせ、各国の珍味や酒を取り寄せ、美術品なども買い集め、城の改築もした。
財にあかせて、考え付くかぎりの贅沢をカルース王に行なわせたのである。
エリオットはそれを常に諌め続けていた。
財政の逼迫で税が上がって民の不満を呼ぶ事、慢心を他国に衝かれぬよう驕りを捨てて謙虚である事を説き続けた。
しかしそれがカルース王の怒りを買った。
それどころか、ヴィブルの間者であるという疑いすらもかけられ、死罪を言い渡されたのである。
「いや、あれは責めるべきものでは無い。あの者は、ヴィブルの間者でしょうから。贅の限りを尽くして国庫を枯らし、それを補うための課税で民心を遠ざけた。今の野心を捨て去った王では、戦う力もいずれ失おう。あの者の取った策は、このカルースの国力を弱らせる手段として見事なものです」
「何だと? 何故それを王に言わなかった? それが本当ならば王にそう進言し、諭さねば……」
「証拠がありません。手を尽くしましたが、彼がどこの何者であるか、それを示す物は見つからなかった。それに、今の王では、聞く耳を持たぬでしょう。それよりもむしろ、君はこの国から逃げるのです。こうなってしまった以上、この国も長くは無い」
「しかし……」
「私に付き合う事はありません」
柔らかく、しかし強い口調でエリオットは言う。
「これも、私の知が破れたからこそ……。見事な物だ。戦の巧だけが知略では無いと思い知らされた」
「慢心した者には、甘言こそが響くのだ。決して、お前が負けたわけではない」
エリオットの言葉に、アルマンドは慰めの言葉を返す。
「ありがとう。もう、行きなさい。私と関わり過ぎては、君も逃げられなくなりますよ」
「……いや、それはおまえの行く末を見てからでも遅くは無い。王がこのまま考えを変えぬなら、その時こそ俺はこの国を出て行こう」
お前を連れて。
とは口にしない。
言えば、それを止めろと諭されるだろうから。
だから連れ出すその時まで、黙っていよう。
それだけ言うと、アルマンドはその場を後にした。
再び一人になった牢で、エリオットは目を瞑る。
もうそれほど日も掛からず、自分の人生は潰える事だろう。
恐ろしくないわけではない。
ただ、怯えていたとしても何ら意味は無いと彼は知っていた。
そのような時にあって、彼の脳裏に浮かぶのは一人の女性の姿だった。
エミーヌ殿……。
この二年、寂しさを覚えていたのはエミーヌだけではない。
エリオットもまた、彼女のいない喪失感に苛まれていた。
……本当は、帰したくなかった。
初めて彼女を見た時、エリオットはその姿に見惚れた。
武人として、その強さに目を惹かれたのは確かだった。
しかし同時に、彼女の姿に美しさを覚えたのも確かだった。
巧みな手綱さばきで馬を操り、斧を振るう彼女の姿。
それは荒々しく、だが繊細だった。
これは英雄だ。
千年に一度現れるかどうかの天賦の才だ。
自分は英雄の活躍する時代、その戦場を見ているのだ。
そう直感し、感動に打ち震えた。
このような人間をそばで見てみたい。
叶うなら、言葉を交わしてみたい。
そしてできるなら親しくなりたい。
そう思った。
だから彼女の助命を嘆願し、俘虜とした。
自分の屋敷に住まわせ、彼女と接っする機会を得た。
そうして実際に関係を持てば、彼女の人となりに女性としての魅力を感じた。
彼女の心はひたすらにまっすぐで気持ちが良く、本来なら苦手とする兵法にもひたむきに取り組む努力家で、好きな食べ物を食卓に見つければ表情を綻ばせる愛らしさを持っていた。
そんな彼女に、惹かれていくのは当然と言えた。
きっとこれは、愛情と呼ぶ気持ちだろう。
そしてそんな気持ちを抱いたからこそ、エリオットは彼女を帰さざるを得なくなった。
……本当は帰したくなかった。
しかし、彼女は願っていた。
自分の国へ帰る事を……。
大切な存在だからこそ、望みを叶えてやりたい。
そう思えばこそ、エリオットは彼女へ帰る機会を与えた。
ヴィブルを撃退するのに、本当はエミーヌの力など必要なかった。
その方法など、いくらでもあった。
それでも彼女の力を頼みにしたのは、彼女を帰すためだ。
彼女が帰るための条件を出し、そしてその条件を満たせる場を用意する事にした。
そして、彼女は望み通り帰る事ができた。
思えばあの時、彼女を引き止めようとする王を諌めた事。
あれが不和の原因となったのかもしれない。
しかしそれでも、後悔は無い。
彼女の望みを叶える事ができたのだから。
ただ、これから死を迎える身としては……。
「もう一度、叶うなら……」
その姿を一目見る事、願わずにはいられなかった。
たとえそれが、叶う事のない願いであっても……。
メロードの王城。
エミーヌが姿を現すと、玉座の間は騒然となった。
国王夫妻を前に跪いた彼女は、全身を真っ白な装いに包んでいた。
それはカルースにいた際、彼女が貰った鎧である。
そしてそれだけでなく、彼女は背に四本の戦斧を背負っていた。
「これはどうした事だ?」
その仰々しい姿のエミーヌを見て、内心戸惑いながらもメロード王は仰々しく訊ねた。
「はっ。少し、暇をいただきたく参上した次第です」
「暇だと? そのような戦へ赴く姿で、願う事ではないように思えるが」
「必要かと思いましたので」
「詳しく話すが良い」
エミーヌは深く頷き、答える。
「救いたい者がおります。その者は、カルースにて私に世話を焼いてくれた恩人。そして今、その者は獄に繋がれ、処刑を待つ身との事。救い出すには、戦いも已む無しと思いました。この国に迷惑をかけたくないので、私個人として向かう所存。故に、暇をいただきたいのです」
そう、エミーヌはエリオットを一人で助けにつもりなのである。
その答えに、メロード王は驚いて立ち上がった。
「カルースに単身乗り込むつもりなのか!」
「如何にも」
「如何にもではない! そのような事を許可できるわけはない」
「無理は承知です。しかし、どうしても助けたいのです」
真剣な眼差しを向けるエミーヌに、メロード王は眉根を顰めた。
長い付き合いでわかる。
この目をしたエミーヌは、絶対に言う事を聞かない。
メロード王は大きく溜息を吐き、玉座に座り直す。
そして口を開いた。
「これを許可するという事は、お前を失うという事でもある。余はそう思っている。恩人とはいえ、敵国の者。それも罪人だ。そのような者のために、そなたを失うわけにはいかない」
「そう思ってくださる事、とても光栄に思います」
「だから、行かせるわけにはいかない。これは王としての勅命だ」
「陛下……。私に、恩人を見捨てろと言うのですか……?」
「そなたはこの国の宝と言ってもいい大切な将だ。そのような理由で失うわけにはいかない。わかってくれるな?」
メロード王の言葉に、エミーヌは俯いた。
一息吐く、わずかな間だけの逡巡。
すぐさま顔を上げ、メロード王の目を見据えた。
声を上げる。
「言ったはずです……。私は暇を貰うと……。それは、この国とは無関係の人間になるという意図があっての事です。なれば、その命を訊く必要もない!」
その声が玉座の間に響くと、そこにいた家臣達がざわめいた。
「むちゃくちゃ言いやがって……」
カルース王が、誰にも聞きとれないほどの小さな呟きを漏らした。
エミーヌとメロード王。
二人の視線が交差したまま、無言の時が流れた。
やがて、エミーヌが口を開く。
「私は、絆を分かち合った者を見捨てたくないだけです」
「敵の将だぞ?」
「関係ありません。国を出るとなれば、その区別もない。これにて、失礼仕る」
言うと、エミーヌは立ち上がった。
踵を返し……。
「ちょっと待って。そんな悲しい事を言わないでちょうだい」
不意に、今まで黙っていた王妃が口を開いた。
エミーヌが振り返ると、王妃は微笑んだ。
そして、王に向けて言葉を発する。
「いいのではないかしら。行かせてあげても」
「何を言い出すんだ? 死ぬかもしれないんだぞ?」
「でも、このままじゃ私達と袂を別ったまま、彼女は命を落とすかもしれない。そんな悲しい事はないわ」
「そういう話ではない。余は、エミーヌに死んでほしくないのだ」
「それは私も同じだけれど……」
王妃は、エミーヌに視線を向けた。
「エミーヌは、きっと何を言っても聞かない。彼女にとって、その人はとても大切な人なのでしょうから」
「大切な友人よりもか?」
「ええ。そうよ。……エミーヌは今まで、いつも私達のために頑張ってくれたわ。昔、森で熊に襲われた時も助けてくれたし、ファラオンの戦いでも国のために誰よりも力を振るってくれた。ずっと、私達のために彼女は戦ってくれていた。だから、彼女が自分のために戦いたいというのなら、それを許してあげるべきだと思うわ」
王妃の言葉に、メロード王は黙り込んだ。
幼い頃よりの友人を死地に送りたくは無い。
しかし、王妃の言う事もわかる……。
悩んだ末、メロード王は答えを出す。
「いいだろう。行くがよい」
その言葉に、エミーヌの顔が喜色に綻ぶ。
メロード王に跪く。
「はっ。ありがとうございます」
「だが、国を去る事は許さん。必ず生きて帰って来い。無事で帰って来い。いいな」
「本当に、帰って来ても良いのですか?」
エミーヌは、メロードとは無関係の人間としてカルースへ向かおうとしている。
それは、その責任がメロードへ圧し掛からないようにするためである。
しかし、帰って来てしまっては無関係とは言いがたくなってしまう。
カルースとの和平が壊れるかもしれないのだ。
それに思い至らない王ではないだろう。
「構うものか。余もまた、お前との絆を断ちたくないのだ」
「! ……お約束します。必ず帰って来ると。その暁には、優秀な軍師を推挙致します。たとえカルースと戦になったとしても、容易くその戦を制する事のできる神算鬼謀の軍師を!」
「ああ。楽しみにしている。行ってこい! エミーヌ!」
「はっ!」
エミーヌが威勢よく返事をすると、次は王妃が声をかける。
「エミーヌ」
「はい」
「その人は、あなたにとってとても大切な人なのね?」
「はい。恩人です」
「私にはそれだけに思えないわ。あなたは多分、今恋をしているのね」
「恋、ですか?」
エミーヌは困惑する。
思いもしない言葉だった。
「ただの勘だけれど、ね」
「はぁ……」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「はい」
エミーヌは玉座の間を後にする。
外へ向かう廊下で、王妃の言葉を思い起こす。
恋……。
恋か……。
驚くほどしっくりするな。
ああ、そういう事なのか……。
これが、恋か……。
王妃の言葉が、この気持ちに形をくれた。
その形が、今まで感じた事のない心の滾りを伝えてくる。
形というものは、本当に大事だな。
エミーヌは実感した。
「はははっ」
大笑して歩く姿は、これから死地に向かう者のそれではなかった。




