七話 交わらぬ道
カルースがヴィブルを退けてから、三ヶ月が経った。
その日の早朝。
王都の城門前に、エリオットはいた。
彼がここにいるのは、ある人物を見送るためである。
その見送られる人物は、愛馬に乗って城門の前にいた。
エミーヌだ。
彼女は今日、メロードへと帰るのである。
そんな彼女を長く共に暮らした家から、エリオットは歩いて付き添ってきた。
「ここでいい」
「そうですか」
エミーヌが言い、エリオットは答える。
ヴィブル軍との戦いで戦果を挙げる事、それがエミーヌをメロードへ帰す条件だった。
そしてその条件は十分に果たされたと言ってもいい。
しかし、十分過ぎたとも言えた。
本来ならヴィブルとの戦いが終わってすぐに帰されるはずだった彼女が、三ヶ月を経てようやくその約束を果たされたのはカルース王がエミーヌの力量を惜しんだからである。
そんな王をエリオットは諌め、どうにかこうして帰る事を許された。
「名残惜しいですね……」
「もう少し、滞在しても良いとは思うが」
エミーヌが答えると、エリオットは首を左右に振った。
「いいえ、それはなりません。カルース王はあなたをとても惜しんでおりました。このままでは、気が変わって帰してもらえなくなるかもしれません」
「それは、困るな」
そうは言うが、不思議とそんなに困った気分にはならなかった。
もう少しばかり、ここにいたいとも思うのだ。
「だから早く帰るといいでしょう。長くいては、本当に帰れなくなります」
「だが……」
「待っていてくれる者がいるのでしょう?」
言われて、エミーヌはメロード王の事を思い出す。
幼馴染にして親友である王、そしてその妻。
彼らは心配している事だろう。
この無事な姿を見せて、安心させてやりたい。
その気持ちは確かにあった。
しかし……。
同時に、帰りたくないという気持ちもある。
いや、帰りたくないのではない。
エミーヌはエリオットを見る。
きっと、一緒にいたいのだ……。
エミーヌは小さく息を吐き、エリオットに問いを発する。
「エリオット殿……。あなたはどうして、私を助けてくれた?」
一度、投げた事のある問い。
もう一度、それを問う。
次こそ、違った答えが聞けるのではないか。
そう思えた。
エリオットは口元を羽扇で隠した。
そして答える。
「……惜しいと思ったのは本当です。あなたを死なせたくないと思った。私はね、戦場で戦うあなたに、見惚れてしまったのです」
見惚れた……。
「それは……どういう……? いや、いい。忘れてくれ」
エリオットは、武人としての功績に見惚れたのだ。
それでいい。
それ以外の答えを返されても、帰り辛くなるだけだ。
そうエミーヌは思う。
しかし、何故帰り辛くなるのか、その心情の機微に関してエミーヌは理解していなかった。
なんとなく、だ。
「知っていますか? あなたはヴィブルの大軍を一人で相手取り、勝利を収めた天下無双の豪傑として名が知られています。戦斧の一振りは十の首を刎ね、通った後には血の轍が長く途切れる事無く続く無慈悲なる死の担い手……」
ヴィブルのみならず、その噂は多くの国へ知れ渡っていた。
「噂の中の私はもう人間ではないな」
「そうですか? 実物とあんまり変わらないと思いますが」
この、とエミーヌが拳を振り上げる動作をすると、エリオットは頭を庇う動作をした。
そして、どちらともなく笑い合う。
笑い声が収まると、少しの間が空く。
「良い……出会いだった」
呟くように、エミーヌは言った。
「ええ、本当に……」
「ただ一つ惜しいのは……」
一つ問題があるとすれば、その良い出会いの相手が別の国の人間である事……。
それも今後、敵となる可能性のある国の人間だ。
「いや、何も言うまい」
「ええ、そうですね」
「……また、会えるだろうか?」
「それは……いえ、止めておきましょう。今後、あなたはこの国に来ない方がいい」
思わぬ拒絶に、エミーヌは少し寂しくなった。
「何故?」
「もし今度ここに来れば、もう二度と帰れないかもしれない」
カルース王の事を言っているのだろう。
エリオットは自分の事を思ってそう言っているのだ。
そう思えば、その言葉を素直に受け取れた。
「わかった」
「それと……」
「ん?」
「もしかしたらあなたの勇名を頼りに、メロード王はカルースへの侵攻を画策するかもしれません。ですが、それは必ず諌めるようにお願いします。私には、あなたを打ち破る策がありますから……。私はあなたを殺したくありませんし、再び捕らえようとも思いません」
どのような形であっても、この道はもう交わらない。
交わらせない方がいいのだな、とエミーヌは悟った。
「どうであれ、そのような事をさせるつもりはない。私だって、お前の敵になりたくないのだから」
エミーヌは馬に乗り、カルースの王都とエリオットに背を向けた。
「さらばだ」
「はい。お元気で」
短く言葉を交わすと、二人は別れた。
エミーヌは一度も振り返る事なく、しかし馬を急がせる事もしなかった。
エリオットはその遠ざかる背中が見えなくなるまで……。
見えなくなっても、しばらく地平の彼方を見つめ続けていた。
メロードへ帰還したエミーヌを王は歓迎した。
ヴィブルとの戦い。
その話はメロードにまで届いていた。
それもあり、エミーヌは王のみならず多くの将兵達に話を強請られた。
長く国を離れていて帰る事に少しの心配をしていた。
帰った所で歓迎されないのでは無いか、と不安にも思った。
しかしそれは杞憂であるらしかった。
エリオットの言う通り、メロードの王はカルースへの侵攻を企てた。
しかし、エミーヌはそれを強く諌めた。
曰く。
「将兵だけが相手ならば、それがどのような大数であっても私は負けぬでしょう。しかし、あの国には、私の武では遠く及ばぬ知を持った方がいる。そのたった一人に率いられた少数の兵に、私は負けるでしょう」
との事だった。
それを聞いたメロード王は、侵攻を断念した。
再びメロードの将となったエミーヌは、軍へ戻るにあたって伸びた髪を切った。
軍務に支障が出る事もその理由の一つであるが、伸びたままであればカルースでの日々を度々思い出してしまうからだった。
それはある種の決別を意図した行為だったのだろう。
そして彼女は、少しずつメロードでの生活を取り戻していった。
兵士達の鍛錬に、治安維持のための警邏、山賊達の討伐。
カルースにいた時と違い、やるべき事は多々あった。
自分の力を遺憾なく発揮できる場である。
しかし少しでも時間に隙間があると、エリオットがいない寂しさを覚えた。
ただそれを埋めようと、何度か国境の砦へと警備に赴いた事がある。
あの国と最も近い自国の地だ。
もしかしたら会えるかもしれないという期待があったからだ。
そんな事はありえない。
本心では思いつつも、彼女は砦からカルースの方向を眺める事が多々あった。
そうして、彼女が再びエリオットの名を耳にしたのは、帰還から二年後の事だった。
それは、エリオットが王の怒りを買って投獄されたという話であった。




