六話 形、成る
撤退したヴィブル軍は陣を敷いて軍議を開き、一度カルースから撤退する事に決めた。
奇襲が成功したとはいえ、まだ数的な優位がヴィブル軍にはあった。
カルースも、退いた相手にわざわざ追いすがる事は無いだろうと臨時で決められた新たな総大将は判断した。
自軍よりも多くの兵を擁する大軍に勝利したのだ。
それで相手が退くなら、カルースも満足するはずである。
だがそれをカルース軍は黙って見ていなかった。
行軍の最中、再び白い鎧の武将が現れたのである。
騎馬部隊を率いるそれに待ち伏せ、奇襲され、ヴィブル軍は再び混乱した。
ヴィブルの兵士達にとって、あの白い鎧の武将が次々に味方を殺していく悪夢のような光景は今も記憶に新しい出来事だ。
白い鎧の照り返す光を目の当たりにすれば、身が竦んでも致し方のない事だった。
奇襲は騎馬部隊による一度の突撃で終わり、混乱が冷めやらぬ内に白い鎧の武将はその場を離脱した。
思ったよりも被害が少なく、ヴィブル軍の総大将は胸を撫で下ろした。
しかし、カルースの攻勢はこれだけに留まらなかった。
また次の日、再び待ち伏せを受けたのだ。
奇襲部隊を率いていたのは、白い鎧の武将である。
夜の闇の中にあって、その白はくっきりと見えた。
兵士達の目は、迫り来るそれに釘付けとなった。
すくみ上がる兵士達はそれでも迎撃しようとするが、恐れの方が勝っているのは明白だった。
あれが出てくれば、必ず誰かが命を摘み取られる。
出会ってしまえば、成す術もない。
あの戦斧が振り下ろされるのは、次こそ自分の頭骨かもしれない。
そう思えば恐怖に支配されるなという方が難しい。
何よりも、兵士を鼓舞すべき指揮官がその白い武将へ恐れを抱いていた。
奇襲はそれから、何度もあった。
その度に、白い武将は現れる。
恐れを向けるべきはその武力のみならず、神出鬼没さもまた一因である。
行軍の先には、常に白い武将の姿があった。
行軍のルートを正確に読まれ、なおかつ先回りされていたのだ。
その動きはヴィブル軍を上回り続けた。
そして奇襲は、待ち伏せの場所と機の選び方が巧みであった。
来るかと思えば来ない。
来ないかと思えば来る。
人の心理を捕らえ、油断した時を絶妙に測ったようなタイミングで訪れる奇襲攻撃にヴィブル軍は体力的にも精神的にも追い詰められていった。
「また奴なのか。これで何度目だ……」
何度目かの襲撃の後、開かれた軍議で総大将は言った。
「なんと恐ろしい相手だ。日に日に戦力が削られていく。たった一人に、ここまで追い詰められようとは……」
しかしそれに対し、疑問を呈する声が会った。
「いえ、あれが全て同一の者とは限りません」
言ったのは総大将を補佐する副将である。
「別人だというのか?」
「あの白い鎧はあまりにも目立ちます。あれを見れば、誰もが同じ人物だと思うでしょう。それが敵の狙いなのかもしれません。行く先々に先回りされたのも、予め白い鎧の人物を何人も予測ルート上に配置していたからに違いないでしょう」
「確かにそうだ……。一人の人間が成す事ではない。あのように人の領分を超えた者が、そう何人もいるはずもないか」
「はい。戦意を失った状態で戦っていたため、徒に被害を出してしまったのでしょう。
生憎、今の我が軍は疲弊しており迎撃は適いません。
奇襲を返り討ちにする事はできないでしょう。
しかしこの事実を部隊の者達に伝え、万全の状態で防御に当たれば攻撃を凌ぐ事はできます」
「わかった。今は被害を抑え、いち早く帰還する事を考える。これでいいのだな?」
副将の見立ては正しかった。
この策の発案者はエリオットである。
撤退したヴィブル軍に対して、白い鎧でエミーヌに扮したカルースの武将達による波状攻撃を行なわせた。
常に先手を取り、待ち伏せる事ができたのも複数の奇襲部隊を予測された複数のルートへ先行させていたからである。
その部隊長の誰もが白い鎧を着ていたため、相手が先回りしていると勘違いしていたわけである。
そして、その策は功を奏したと言える。
だがヴィブル軍はそれを見抜き、対策を講じた。
あの白い鎧の者が形だけの別人であると伝えられた兵士達は戦意を回復させ、次の襲撃に備えた。
が……。
「恐らく、次の襲撃はこれまでのように容易くはいかないでしょう」
ヴィブル軍の進行方向、程近い待ち伏せ地点にて。
エリオットはエミーヌにそう言った。
二人の手には、猪肉の煮込みがあった。
これはエミーヌが部隊と共に獲って来て、調理したものである。
合間にそれを食べながら、作戦について話し合う。
「何故?」
「そろそろ、敵もこの策の仕組みに気付く頃だからです。これまでの奇襲部隊からの報告によれば、今の副将はヴィブルでも名高い知将。いつまでも騙されてはくれないでしょう。反撃に出るか、防御を固めるかはわかりませんが」
「なら、このまま奇襲するのはまずいのではないか?」
「ええ。他の武将ならば……」
エリオットはエミーヌに向けて微笑みかける。
「でも、今回突撃を仕掛けるのは他ならぬエミーヌ殿です。対策を講じたとしても、今のヴィブル軍はこれまでの奇襲で疲弊しています。こちらは特に策を用いなくとも、あなたは負けません。むしろ、ここではあなたの力を存分に見せ付けてください」
エリオットの言葉に、エミーヌも笑い返す。
彼の笑みには強い信頼があった。
それを向けられているのが自分だと思えば、知らず笑みが出た。
これが他の者の命令でもエミーヌは迷いなく戦地へ向かうだろうが、不安だけは残る。
しかし、これがエリオットより託されたものであるなら、こうも心強いとは……。
これから戦場へ向かうというのに、何の不安もなかった。
「なんとも、高く買われたものだ」
「私はカルースに来るまで、多くの国を巡り歩いていたのです。いろいろな人物を見てきましたが、エミーヌ殿の武はその中でも一、二を争うものでしょう。高く買いもしますよ」
それは本当かどうかわからないが、彼が言うなら信じたくなる。
「それにしても、美味しいですね。これ」
エリオットが煮込みの入った器を示して言う。
「それは……よかった」
調理したのはエミーヌである。
それを褒められると嬉しかったが、素直にその態度を見せるのが恥ずかしくて素っ気無く答える。
「もっと臭みのあるものだと思っていました」
「香草ときのこも一緒に採ってきたからな。臭みさえなんとかできれば、塩で味はどうとでもなる」
「なるほど。なんというのか、雄大な山の力強さが凝縮されているかのような味です」
「それ、褒めてるのか?」
「行軍の度に作ってもらいたいくらいには美味しいです」
「そうか」
エミーヌは嬉しく思いながらも、また素っ気無く答えた。
しかし、きっとエリオットにご馳走するのはこれが最後となるだろう。
そう思うと、少し残念に思った。
その気持ちを誤魔化すように、器の中身を一気に平らげた。
「エリオット様。ヴィブル軍の姿が見えました」
伝令がエリオットに報告する。
「わかりました。エミーヌ殿」
「ああ」
エミーヌは馬に乗り、背後の部隊へ号令をかける。
馬を走らせた。
ヴィブル軍は森林の中にある道を歩いていた。
武を見せ付ける、か。
エミーヌは心の中で呟く。
なら盛大に、己の武を前面に押し出すとしよう。
木々の合間を縫うように走り、エミーヌはあえて軍列の前方に出た。
本来なら側面を衝く所である。
このように、敵に見つかるような行動をとっては奇襲にならないだろう。
しかし、エミーヌはこれで良いと思った。
前方より迫ってくる白い鎧の姿に、一瞬の戸惑いを見せるヴィブル軍。
しかし、言い含められていた事もあり、すぐにその戸惑いを消した。
突撃に備え、ヴィブル軍は盾を構えて防御に徹した。
軍列の先頭に位置した兵士の盾へ、斧を叩きいれる。
鉄で出来た盾は斧の刃を通さない。
しかし、それを支える兵士の腕はその衝撃に耐えられなかった。
盾で押し潰されるようにして、兵士は地面に伏す。
身体を地面に叩きつけられ、その兵士は動かなくなった。
そのまま軍列を縦に裂くようにして、突撃を仕掛けた。
たとえ盾を構えていようと構わずエミーヌは戦斧を振るい、次々と兵士を叩き伏せた。
斧を受け止めた兵士達は最初の兵士と同様に無事とはいえなかった。
骨を折る者も多く、命を落とした者もあった。
容赦のない突撃で馬蹄にかけられ、頭を踏み潰された者もあった。
しかし、エミーヌにこそその芸当ができたとしても、追従する騎馬兵にも同じ事ができたかと言えばそうでもない。
防御に徹した兵士に対し、騎馬部隊による突撃はそれほど効果がなかった。
返り討ちに合い、落馬する者もあった。
それを見て取ったエミーヌは、軍列の途中で列の外へ抜け出した。
騎馬部隊もそれに続く。
「よし、凌いだ!」
敵の総大将はその様子に喜びの声を上げた。
エミーヌはその後、軍列から離れようとしなかった。
列に沿うように、馬を歩ませる。
そう、歩ませた。
走らせるのではなく、ゆるりと散策するようにゆっくりと……。
戦斧を敵兵へ向けたままの状態で。
さながらその様子は、値踏みをするかのようであった。
すると、今まで突撃の混乱で見る事のできなかった白い鎧の武将がどのような顔をしているのかヴィブルの兵士にも見る事ができた。
そして、気付く。
「何だ……。こいつ、女なのか?」
「やはり偽者だ。あの化け物が女のはずはない」
エミーヌを女と見て取り、侮った一人の武将が気を逸らせる。
ここでこの者を討ち、白い武将の偽者である事を確かにすれば軍の士気は上がる。
「奴を討つぞ! 続け!」
武将は自分の部隊へ号令をかけ、エミーヌへ向かった。
盾を下し、槍を持った兵士達が進もうとし……。
兵士の一人が、盾からのぞいた顔の上半分を戦斧の横薙ぎに飛ばされた。
それをきっかけとし、エミーヌは馬首を自分へ向かい来る兵士達へ向き直らせた。
手綱を操り、馬を走らせる。
単騎で突撃した。
振るわれた槍を難なくいなし、穂先を切り落とし、頭蓋を割り、突撃する。
目指すのは一つ、指揮する武将の元。
「貴様の首! ここで貰う!」
「やってみろ!」
敵武将とエミーヌが言葉を交わし、そして刃を交わした。
打ち合いは一合も持たなかった。
戦斧の一撃が敵武将の大剣を叩き折り、武将の肩口から入って袈裟に抜けた。
「将軍が死んだ!」
部下の兵士達が戸惑いを見せる。
そんな周囲の兵士を散らすように、エミーヌは戦斧を払った。
斧の届く範囲にいた兵士達が命を散らされる。
エミーヌは一人、敵の只中で馬の足を止めていた。
囲まれる形のエミーヌの周囲には、奇妙な空間が出来ている。
誰も彼女に襲いかかろうとする者はいなかった。
たった一人の敵。
だというのに、ヴィブルの兵士は攻める事ができなかった。
自分があの白い武将を討つ想像ができない。
むしろ、あの戦斧の届く場所に入り込んだ瞬間に、命が潰える。
その想像しかできなかった。
「何だ! 誰も来ないのか!」
エミーヌが叫びを上げる。
「うおおおおっ!」
数名の兵士が気持ちを鼓舞し、エミーヌに向かっていく。
しかし、その槍がエミーヌに届く事は無い。
届く前に戦斧が閃き、血肉が辺りへ撒き散らされた。
背後から襲いかかった兵士は、馬の後ろ蹴りを受けて顔を潰される。
その様子を遠くから、総大将は眺めていた。
表情は固く、血の気は失せている。
「何だあれは……!」
白い鎧の武将。
その武威を目の当たりにして、総大将は震えを抑えられなかった。
「どういう事だ! やはり、あの強さは本物だ! 別人ではなかったというのか!?」
総大将は戦慄を隠せない。
遠くからそれを見やる総大将ですらそうなのだ。
現場で戦う兵士達の恐怖は如何ばかりであろう?
総大将は白い鎧の武将から目を離せなかった。
すると、白い鎧の武将がこちらへ目を向けた。
目が合った。
そんな気がした。
その後、白い鎧の武将は囲みから難なく脱し、そのまま部隊を伴って森の闇へと消えた。
その襲撃は最後となった。
それ以降、退却するヴィブル軍に奇襲はなく、ヴィブルへと帰還する事ができた。
しかし、白い鎧の武将。
その武威と恐ろしさは、エミーヌ・キャラダインという名と共にヴィブルを蝕む事となった。
こうして、カルースは大国ヴィブルの侵攻を打ち破る事に成功した。
その事実はヴィブル王のみならず周辺諸国にまで広まり、大国が敗れた事実は各国に衝撃を与えた。




