四話 変わる関係
元々短編予定だったため仕方ないのですが、改めて読み返すと展開が早いですね。
カルース王の出立から半年後。
王はアルドの王都を陥落させ、アルド平定を成した。
その頃、エミーヌはすでに字を習熟し、なし崩し的に兵法を学ぶようになっていた。
どうしてそのような次第になったのか、不思議な事にエミーヌですらとんと見当がつかなかった。
気付いたら兵法を学ぶ事になっていたとしか言い様がない。
「字は完璧ですね。文法は自然で、手も綺麗です」
「ありがとう」
「このまま教養として腐らせるには惜しいですね。どうでしょう、何か書を記してみては……」
「物を書くなど、そのように学があるわけでなし……」
「でしたら、その学を今から学びましょうか」
などと話していたら、知らず知らずの内に兵法を学ぶ事になっていた。
それどころか、算術まで教わっている始末である。
そうして今も、昼間の多くをエリオットと共に過ごしていた。
しかしあまりにも二人でいる時間が多い事が、エミーヌには心配だった。
それは自分の身を案じてのものではない。
俘虜の身である自分は暇を持て余しているが、王の側近たるエリオットは果たして大丈夫なのか、と
仕事は家でしていると言っていたが、本当にいつしているのか定かでは無い。
実際は寝る前と起きた後に手早く片付けているのだが、エミーヌには知りえない事だった。
それはともかくとして、例によってエリオットの教え方はとても上手であった。
彼女は生来、頭を使う事が苦手である。
戦略や兵法など智謀と呼ばれる分野は、あえて避けてきた所がある。
そんな彼女にも、エリオットの説明はすんなりと理解できた。
何をすればどう作用するのか、その理を懇切丁寧に説明し、専門用語なども使わず馴染みのある言葉で巧みに教えてくれる。
ただこれは、彼女の能力にも起因していた。
彼女は物覚えがよく、理解力の高さにはエリオットも内心で驚いていた。
前にもその旨の事をエミーヌに言ったが、それはお世辞でもなんでもなかったのである。
彼女は知に疎いわけではなく、ただ今まで知る機会がなかっただけなのだろう。
「一番大事な事は相手を知る事だと私は思います」
「相手を知る?」
「はい。相手の軍容、得意な戦法、指揮官の性格。それは敵だけでなく、味方にも言える事」
「味方にも?」
「はい。味方の実力を知る事で、こちらにできる事も自ずとわかります。多くの事を知っていれば、それだけこちらが取れる策も多くなるという事です」
「なるほど」
エリオットの説明に、エミーヌは納得する。
「これは戦のみならず、あらゆる分野で活用できる技術でしょう」
「そうなのか?」
「ええ。相手の好きな物を知っていればそれを贈って友好を深める事ができるし、また険悪な間柄でも機嫌を取る事ができます。たとえば、エミーヌさんはさくらんぼが好きなので、デザートとして出すと表情の綻ぶ所が見られる、とか」
「何だと?」
エリオットの言葉は確かにその通りだった。
そういえば、いつからか毎日デザートにさくらんぼがついている。
まさかいつの間にか把握されているとは……。
エミーヌは恥ずかしくなった。
やはりエリオットは恐るべき男である。
「ふふふ」
「笑うな」
エミーヌは赤面して返す。
しかし、この男の言う事は間違っていない。
相手を知る事が大事……。
その通りだろう。
エミーヌはエリオットの顔をじっと見た。
その視線に気付くと、エリオットは羽扇で口元を隠す。
「何か?」
エリオットは訊ね返してくる。
初めの頃こそ得体の知れない人物であった。
それこそ全てを見透かすような智謀には恐ろしさすら覚えたものだ。
しかしこうして時間を共に過ごし、交友を重ねると彼もまた自分と同じ人間である事がよくわかる。
彼がこうして羽扇で口元を隠すのは、自分の表情を隠すためだ。
何かしらの感情……。
恐らく今は戸惑い……。
表情に出てしまうそれらを見せぬようにしているのだ。
きっとこれもまた、彼なりの知略なのだろうと思う。
相手の精神の風上に立つための演出なのだ。
だから彼は、常に羽扇を手放さない。
それが今のエミーヌには理解できた。
「ふふっ……」
エミーヌは小さく笑う。
解かってしまえば、可愛らしくすら思う。
エリオットは目を細めた。
口元が隠されていてわからないが、果たして羽扇の下ではどのような表情を取っているのか……。
それを想像するのは少し楽しい。
「すまないな。人を知る事、それは本当に大切な事だと実感した。それだけの事だ」
エミーヌが答えると、エリオットは羽扇を下した。
その下には笑顔があった。
「私の言葉が見識の一助となったのでしたら、それは喜ばしい事です」
「ああ、それはもう」
エミーヌも答えて笑い、二人は笑い合った。
やはり知る事は大事である。
相手を知る事ができれば、敵としか思えなかった人間ともこうして親しくする事ができるのだから……。
虜囚の身となって、半年以上が経過している。
エミーヌはその間の時間をエリオットと過ごしてきた。
長く一緒にいて、相手を知り、エミーヌはエリオットを相手に自然と柔らかい態度を取る事ができるようになっていた。
「祭?」
「はい。カルース王のアルド平定を祝し、帰還する王を盛大に出迎えるための催しを行なう事になりましてね」
エミーヌの問いにエリオットは答え、さらに続ける。
「一緒に行きませんか?」
エリオットは申し出る。
エミーヌはその祭に興味があった。
申し出を受けたいとも思う。
しかし……。
「俘虜の私がこの屋敷から出て良いのだろうか?」
エミーヌはメロードに対する人質である。
彼女にとっての囲いであるエリオットの家から、おいそれと出る事は適わない。
それにもし出ている所を見つかれば、エリオットが罰せられてしまうかもしれない。
そう思うと、素直に行きたいとは言えなかった。
「なら、あなただとわからないように変装すれば良いのです。どうぞ、差し上げます」
そう言うと、エリオットはエミーヌに一着の服を手渡した。
薄い青色をしたドレスであった。
「短かった髪も最近では伸びてきて、とても印象が変わっています。たとえ誰かに見られたとしても、あなただとは誰も思いますまい」
「そう、だろうか?」
「ええ。どうぞ、着てみてください」
「ああ」
エミーヌは自室でドレスを手に取った。
手触りが良い。
きっと絹だろう。
値が張るものに違いない。
このような服は、贈られた事はおろか着た事すらない。
思えばここ数年、男物の服しか着ていなかった。
最後に着たのは、恐らく軍に入る前だ。
十二、三歳くらいの頃だろう。
これを着ても良いのだろうか……。
良いのだろうな。
何を臆病になっているのだろう。
エミーヌはドレスに袖を通した。
そして姿見に自らを映し見る。
ドレスには飾り布が多く、自然にボディラインを隠すデザインだ。
筋張った腕も、割れた腹筋も浮き上がる事はない。
私はちゃんと女性だったんだな。
不思議な気持ちだ。
と内心で呟く。
虜囚生活の間、切る事のなかった髪は少し長くなっている。
肩の辺りまで伸びていて、その女性らしさもさらに際立った。
難点があるとすれば、少し背が高い所か。
私にヒールなどいらないな。
と思えば小さな笑みが零れた。
エリオットの眼は確かだ。
この姿を見ても、誰が自分をエミーヌと認識するだろう。
エミーヌはエリオットの待つ部屋へ向かう。
部屋に入ると、エリオットは立ったまま待っていた。
「どう……だろうか?」
少し恥ずかしげに、エミーヌは訊ねる。
「とてもお似合いかと」
「なら、よかった」
「行きましょうか」
「ああ」
二人は屋敷を出る。
その際、普段ならいるはずの護衛がいなくなっていた。
今日一日、暇を出したとエリオットは答えた。
町には多くの出し物が成されていた。
食べ物の屋台が並び、芝居を見せる粗末な小屋が建ち、道で歌を披露する者もいる。
王の戦勝を称えた歓声が上がり、乾杯のグラスがキンと高い音を辺りに響かせた。
「メロードの時は勝利を収められませんでしたから、その分今回の勝利は喜びが大きいのでしょう」
その様を見ていると、エリオットが言った。
「そんなものか」
「どうでもいい話かもしれませんね。私達は今、この熱気をただ楽しむだけでいい」
「それもそうか」
二人は興味を惹かれるまま、思いつくままに祭を楽しんだ。
屋台から漂う香りに食欲を刺激されればそれを満たし、歌声に導かれて歌唱を聞き、迷子を見つけると肩車をして親を探した。
ただ、祭の主役となるはずのカルース王はまだ帰還していなかった。
そんな事は関係なく、民達は祭を楽しんでいる。
きっと王の帰還を心から祝う者もあれば、あくまでも口実として楽しんでいる者もいるのだろう。
それもエミーヌにはわかる。
今日という一日は、とても早く過ぎていった。
それほど、祭の日は楽しさに満ちていた。
辺りはもう既に暗く、二人は帰途へ就いた。
しかし祭の賑やかさはまだ静まる様子を見せていない。
その喧騒を遠くに聞き、二人は庭に置かれたベンチに隣合って座っていた。
ふと、ベンチに置いていたエミーヌの手に、はずみでエリオットの手が触れた。
「あ……」
エリオットは、驚いたように声を上げて手を引っ込める。
「どうした?」
「いえ」
あまりにも堂々としたエミーヌに対して、エリオットは戸惑った様子で返した。
字を教えていた時は、平然としていたのに。
おかしな奴だな、とエミーヌは思った。
「……今日は、どうでした?」
誤魔化すように、エリオットは話題を変えた。
「楽しかった。俘虜の身には過ぎるほど」
「ならよかった」
「昔……子供の頃に、幼馴染達と祭を楽しんだ日の事を思い出した」
そう、彼女の幼馴染。
今のメロード王とその妃だ。
何を理由に開かれた物かわからない。
記念日か、何かの祝賀か、そんな物はどうでもよく無邪気に祭を楽しんだ。
そんな思い出だ……。
「それは、メロードの王ですか?」
「ああ。不敬かもしれないが、今もかけがえのない友人だと思っている」
「そうですか……」
二人共、元気にしているだろうか?
幼馴染達と過ごした日々を思い起こす。
この国へ来てまだ一年と経っていないのに、遠い昔の事のようだ。
あの日々が、酷く懐かしく思える。
だが、それだけの事だ。
帰れない事は寂しいが、そこに嘆きはない。
不思議な気分だった。
どうして、こんな気持ちを覚えるのだろうか……。
儚げな微笑を浮かべ、今も明らかな祭の町へと顔を向ける。
その表情をエリオットは目の当たりにし……。
それを郷愁の念と取った。
彼女は帰りたがっているのだろう、と。
「帰りたいですか? メロードに」
エリオットに問われ、エミーヌは彼を向いた。
すぐに答えようとして、言葉が出ない事にエミーヌは戸惑った。
ややあって、答えを口にする。
「無論……。王への忠誠を失う事は無い」
そう。
あくまでも私はメロードの家臣だ。
今、カルースにいるのは望まぬ事態である。
思えば、兵法を学ぶようになったのもメロードの事を思っての事だ。
今更、その目的を翻す事はない。
いずれ帰る……その日のためにエミーヌはエリオットから教えを受けていたのだ。
「そうですか……」
そのやり取りを最後に、二人共黙り込む。
「何故、エリオット殿は私を助けてくださったのか?」
沈黙を破り、エミーヌが訊ねる。
「何故だと思います?」
エリオットはその問いに問いを返した。
「答えてくださらぬなら、私はファラオンの戦いでエリオット殿が口にした言葉を信じる事にしよう」
エミーヌは言う。
ファラオンの戦いでエミーヌの助命嘆願を行なった時、エリオットは言った。
曰く、カルースとメロードの架け橋。
そのために助けるのだ、と。
「それでよろしいのか?」
エミーヌは念を押すように訊ねた。
何故そんな事を訊いたのか、エミーヌにも判然としない。
ただ、その答えを訊いておきたかった。
エリオットの口から答えが出るには、しばしの時間を要した。
エリオットは羽扇で口を隠し、短く答える。
「良いと思います」
エリオットの言葉を訊くと、エミーヌは落胆を覚えた。
何に対して、落胆したのか彼女自身にもわからなかったが。
「帰りたいというのなら、その術がない事もありません」
不意にエリオットが言う。
「それはどういう……?」
「今はその時ではない。でも、エミーヌ殿が望むなら、そう取り計らいましょう」
メロードへ帰れる?
本当だろうか?
わかっている。
エリオットがそのような偽りを口にしない人物である事は……。
ただ、どういうわけだろう。
迷いがある。
素直に喜べなかった。
「ご主人様。陛下が帰還なされました」
使用人が庭に来て、エリオットに告げる。
「わかりました。城へ向かいます」
使用人に返すと、エリオットはベンチから立ち上がった。
そしてカルース王の待つ城へと向かった。




