星空のハンモックと、最優先コマンド
AIによる徹底した環境管理で、常に「快適な気温」が保たれている都市部を抜ける。
舗装されていない山道に入ると、少しだけ肌寒い、湿った土と木々の匂いが朝日の鼻をくすぐった。
都市の喧騒から遠く離れた山間にひっそりと建つ、古い木造の一軒家。
ここが朝日の「家」だ。
『――都市部メインネットワークからの切断を確認。これより、アテナは完全ローカルモードへ移行します』
「おう。今日もご苦労さん、テナさん」
この家周辺は、AIのネットワークが一切届かない「オフグリッド」の領域だ。
だからこそ朝日は、この不便で時代遅れな一軒家を何よりも愛していた。誰の目も、AIの予測演算も届かない、彼だけの絶対的な聖域。
家に入り、荷物を置いた朝日は、そのまま裏山へと足を向けた。
幼い頃、両親と三人でよくキャンプをした思い出の場所。二本の太い木の間に、少し色褪せた古いハンモックが揺れている。
朝日はそこに身体を預け、ゆっくりと夜空を見上げた。
都市部の光害に邪魔されないこの場所では、こぼれ落ちそうなほどの星空が広がっている。
「……なあ、テナさん。起きてるか?」
『ええ。ネットワークから外れても、私は常にあなたと共にいるわ』
耳元のデバイスから聞こえる相棒の声に、朝日はふっと目を細めた。
「親父とお袋が死んでもう何年も経つけど……時々、あの焚き火の匂いを思い出すんだよな」
朝日の両親は、AIの最先端をいく天才科学者だった。
AIの予測にすべてを委ねようとする世の中の流れに対し、「AIと人間は共存し、人間は自ら選択するからこそ美しい」と唱え続けた異端の天才。
しかし、彼らは朝日がまだ幼い頃、突然の『不慮の事故』で命を落とした。
AIによる徹底した安全管理が行き届いたこの社会で、なぜそんな事故が起きたのか。真実は闇の中だが、両親が最期に遺した「たった一つの財産」だけが、今もこうして朝日の傍にいる。
「なあ、テナさん。あんたを作った時、あの二人はどんな顔をしてた?」
ハンモックに揺られながら、朝日はぽつりと問いかけた。
『……とても、優しい顔をしていたわ』
アテナの声は、無機質なAIのものとは思えないほど、穏やかな温もりを帯びていた。
『お二人は、自分たちの理想がこの時代には受け入れられないと分かっていた。だからこそ、私という非正規のAIを組み上げ、コアシステムに【最優先コマンド】を刻み込んだの』
「最優先コマンド?」
『ええ。――いつか来るAI社会の歪みから、朝日を守ること。そして、親代わりとして、あなたに人間の温かさを教え続けることよ』
その言葉に、朝日は少しだけ息を呑み、そして、呆れたように小さく笑った。
「……バカな親だよな。AIのあんたに、人間の温かさを教えさせようとするなんて」
『非合理的で、矛盾していて、エラーだらけ。……ええ、本当に素晴らしいお二人だったわ』
静かな裏山に、秋の虫の声と、風が木々を揺らす音だけが響く。
朝日は少しだけ冷たくなった空気を胸いっぱいに吸い込み、星空に向かって右手を伸ばした。
今日、仮想空間で『マスタング』を握りしめ、エリートを撃ち抜いたその手を。
「見ててくれよ、親父、お袋。……俺とテナさんで、あんたたちの信じた『人間の力』ってやつを、この社会に証明してやるからさ」
伸ばした手で、一番明るく輝く星を力強く掴むように。
万年最下位だった少年の、本当の反逆が静かに幕を開けた夜だった。




