ノイズと爆音、哀れなエリート
ダイブルームのポッドが開き、桐谷が青ざめた顔で身を起こした。
その額には、仮想空間で撃ち抜かれた感触が、幻肢痛のように生々しく残っている。
圧倒的な敗北。
本来なら、ここでギャラリーから朝日に感嘆の声が上がってもおかしくないはずだった。しかし、ダイブルームを包んだのは、称賛ではなく「異物」を見るような冷たい視線と、ざわめきだった。
「……見たかよ、あの動き。人間じゃねえ」
「ああ……ほら、あいつ『親がいない』らしいぜ。AIの健康管理システムから外れた、野良犬みたいな生活してるから、あんな異常な動きができるんだろ」
この時代、AIによる徹底した健康管理と遺伝子治療により、人間の寿命は100歳を超えるのが当たり前となっていた。病死や事故死はAIの予測演算によって極限まで排除されている。
だからこそ、「両親が他界している孤児」という朝日の境遇は、このAI社会において極めて異端であり、気味の悪い「システムのエラー」として忌み嫌われていたのだ。
「桐谷さん、災難だったな。あんなバグ野郎のイカサマに巻き込まれて」
「気にするなよ桐谷。あんな野良犬のまぐれ当たり、誰も本気になんてしてないって」
取り巻きたちが、口々に朝日の背中にありもしない罵倒を投げつけながら、桐谷の元へ駆け寄る。
しかし、その慰めの言葉こそが、桐谷にとっては最も残酷な凶器だった。
「……触るな」
桐谷は、差し出された手をピシャリと弾き飛ばした。
学年トップのエリートである自分が、誰よりも見下していた最下位の劣等生に、手も足も出ずに3秒で殺されたのだ。
それなのに、周囲は自分を「運悪くバグに巻き込まれた可哀想な被害者」として哀れんでいる。敗北を認めてもらうことすらできない、惨めすぎる同情。
桐谷はギリッと唇から血が出るほど奥歯を噛み締め、屈辱で全身を震わせた。
一方、無数の罵声と冷ややかな視線を背中に浴びながらダイブルームを後にした朝日は、驚くほど軽やかな足取りで廊下を歩いていた。
「あーあ、言いたい放題言ってくれちゃって。……なあ、テナさん」
『何かしら。彼らの発言の98%は論理的根拠のない嫉妬と偏見よ。気にする価値もないわ』
「分かってるよ。でも、なんか耳障りだ」
朝日は夕日に染まる学園のエントランスを抜けながら、小さく息を吐いた。
「……いつものやつ、爆音で頼む」
『了解。鼓膜が破れない程度に調整してあげるわ』
次の瞬間、朝日の脳内に直接、お気に入りのオールドロックの激しいギターリフが鳴り響いた。
最新のAIが作曲した耳障りの良いヒーリングミュージックなんかじゃない。人間の感情がむき出しになった、時代遅れで泥臭い音楽。
「……うん、最高」
背後から聞こえていたエリートたちのノイズは、もう完全に消え去っていた。
AIのレールから外れた孤独な少年は、仮想空間で手に入れたマスタングの確かな重みを心で感じながら、夕暮れの街を一人、足取り軽く歩き出した。




