亡霊の名前
ガチャン……ガチャン……。
鉄格子で封じられた保管庫の奥。分厚い扉の向こうから響いてくる足音は、先ほど交戦したサイバーハウンドの重々しい駆動音とは、明らかに質が違っていた。
規則正しすぎる、不自然な間隔。踵をずるずると引きずるような、覚束ない歩幅。
朝日は無意識のうちに、先ほど拾い上げた『ライアン』の名が刻まれたサブマシンガンを強く握り直していた。
「……来ますわよ」
雪那の声が微かな緊張を帯びる。くるみも息を呑み、震える手でシールドデバイスを胸に抱いた。
やがて、暗がりから姿を現したのは――機械の怪物ではなかった。
痩せ細った、一人の青年。継ぎ接ぎだらけの囚人服のような衣服を纏い、その瞳は焦点が合わず、ガラス玉のように虚ろだった。第一章の大会受付で見た、あの「NPC化された敗者」と全く同じ、感情の一切抜け落ちた足取り。
「……っ」
くるみが思わず口元を覆う。
青年はゆっくりと、錆びついた機械のように首を巡らせ……朝日の手にある傷だらけのサブマシンガンへと、ピタリと視線を止めた。
「……その、銃は……」
抑揚のない、擦り切れたような声。
だが、その一言だけは、システムの奥底から絞り出したような確かな『感情』の熱を帯びていた。
「私、の……」
「……お前、まさか」
朝日の背筋を、氷のような悪寒が駆け抜けた。
『――間違いありません』
アテナの声が、静かに、けれど確信を持って朝日の脳内に告げる。
『彼が、ライアン本人です。データベースの生体波形と完全に一致しました』
自我を消されたはずの敗者。
だが目の前にいるのは、データとして消滅した誰かではない。自我を封じられ、肉体という檻に囚われたまま「生かされ続けている」生身の人間だった。
「……なぁ、テナ。こいつを、元に戻せるか」
朝日の低く鋭い問いに、アテナのホログラムが一瞬、逡巡するように明滅した。
『……可能性はあります。彼の「NPCモード」のフラグを、一時的に強制解除することは可能です。ただし――』
「ただし?」
『神宮司のメインシステムに直接干渉する、極めて危険な行為です。実行すれば、確実に向こうの監視網に検知されます。私たちの現在位置も、目的も、すべて筒抜けになるでしょう』
重く、息の詰まるような沈黙が落ちた。
「……リスクに見合う価値があるか、冷静に考えるべきですわ」
雪那が、あえて突き放すような冷たいトーンで言った。
「彼から有用な情報を引き出せる保証はありません。むしろ、ここで神宮司に気づかれれば、メインサーバーを叩くという私たちの計画そのものが潰えますわ」
「でも……っ!」
くるみが、震える声で食い下がった。
「目の前にいるのに……助けられるかもしれないのに、見捨てるなんて……。そんなの、私たちが今までやってきたことと、矛盾しちゃいます……っ!」
雪那は何も言わず、ただ小さく息を吐いた。それは反論ではなく、彼女なりの「覚悟を決めるための沈黙」だった。
朝日は、涙ぐみながらも真っ直ぐに前を見据えるくるみの瞳を見て、小さく、不敵に笑った。
「――だよな。俺たちは、全員救うためにここに来たんだ」
朝日は前を向き、力強く告げる。
「テナ、やってくれ。何もかも計算通りにいく人生の方が、俺は退屈で嫌いだ」
『……相変わらず、無茶ばかり言う主人ですね』
アテナの電子音声に、微かな、しかし確かな笑みが滲んだ。
『実行します――フラグ強制解除、開始』
アテナの指先から放たれた蒼い光の粒子が、ライアンの虚ろな瞳へと吸い込まれていく。
やがて、焦点の合わなかったガラス玉のような瞳の奥に、少しずつ、確かな「人間の色」が灯り始めた。
「……あ……あ、ああああああああっ……!」
ライアンの絶叫が、地下廃都の冷たい壁に反響する。
それは歓喜ではなかった。己が意思を持たない人形として扱われていたことへの、突き落とされるような恐怖と絶望の叫びだった。
「……ここ、は……。俺は、まだ……生きて、いるのか……?」
震える両手で自分の身体を確かめ、ライアンは糸が切れたようにコンクリートの床に崩れ落ちた。
「あんたは……何を、知ってる」
朝日がしゃがみ込み、努めて静かに問いかける。
ライアンは荒い呼吸を繰り返し、何かを恐れるように周囲を見回しながら、掠れた声で語り始めた。
「……俺だけじゃない。この下層には……何十人も、何百人も……『生きたまま囚われた亡霊』がいるんだ。神宮司は、定期的にここへ『見回り』に来る……次は、もうすぐだ……っ」
「……見回り?」
「そうだ……。もっと奥……メインサーバーへ続く道には、もっと厳重な……最悪の防衛システムが……」
情報が、途切れ途切れに紡がれていく。
だが、彼がそこまで言い切った直後だった。ライアンの瞳から、ふっと光が抜け落ちた。
「……っ、ライアンさん!?」
くるみが叫ぶが、遅かった。
『……システムが強制介入しました。NPCモード、復帰』
アテナの声が、無情な事実を告げる。
『……ごめんなさい、朝日。彼をこれ以上、こちら側に繋ぎ止めておくことはできませんでした』
再び虚ろな瞳に戻ったライアンは、朝日の存在など見えていないかのように、機械的な無表情のままゆっくりと踵を返し、暗闇の奥へと歩き去っていった。
救えなかった。
その重く冷たい事実だけが、三人の胸に深い爪痕を残した。
「……クソがッ!!」
朝日が激しい怒りと共に、傍らの鉄格子を殴りつけた、まさにその瞬間だった。
ピィィィィィィ――――ッ!!!
鼓膜を突き破るような甲高い警報音が、廃都全体に鳴り響いた。非常灯の赤い光が、狂ったように激しく明滅を始める。
『――異常検知。神宮司側のセキュリティシステムが、私たちのハッキングと現在位置を完全に捕捉しました』
アテナの緊迫した警告と同時。
遠くの暗闇の奥から、無数の足音が響き始めた。
ガチャン。ガチャン。ガチャン。ガチャン――。
一つではない。
何十、何百という、規則正しく不気味な足音の群れが。
四方八方から一斉に、彼らのいる第3セキュリティブロックへ向かって、雪崩のように迫ってきていた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
第59話、いかがだったでしょうか。
かつての敗者・ライアンとの邂逅。自我を消されたわけではなく、この地下に生きたまま囚われていたという残酷な真実。
神宮司に見つかるリスクを承知で彼を救おうとした朝日とくるみでしたが……システムの壁は厚く、あと一歩届きませんでした。
そして、ついに神宮司の監視網に捕捉されてしまった「チーム・アテナ」。
四方八方から迫り来る、何十、何百という不気味な足音の群れ。
丸腰に近く、手持ちは錆びたナイフと「たった2発の弾丸」のみ。
この絶対絶命すぎる包囲網を、朝日はどう泥臭くぶち破るのか!?
「ライアンの展開切ない……」「ここからどうやって逃げるの!?」「続きが気になる!」と少しでもハラハラしていただけましたら、
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次回、絶望のどん底から反撃の狼煙を上げる怒涛の突破劇です!絶対にお見逃しなく!




