9話
ゆうべ俺が部屋で打ち明けたことはすべて父に伝わっていた。
机にゴミを入れられたこと。
仲間外れにされたこと。
先生に相談しても取り合ってもらえなかったこと。
父はひとつひとつ黙って聞いてくれた。
聞き終えた父の目には静かな怒りが宿っていた。
そして迎えた朝。
父のボルドは畑にも出ずよそ行きの服に着替えていた。
玄関先では母のフィーナが心配そうに俺の頬に手を当てた。
「リード。つらかったわね。ひとりでずっと我慢して。ごめんね」
「ううん。母さんは悪くないよ」
「行ってらっしゃい。大丈夫、父さんがついてるからね」
母は俺と父をそっと送り出してくれた。
その手の温もりが不安で固くなっていた俺の心を少しだけほぐしてくれた。
俺は父に連れられて学校へと向かった。
学校までの道を二人で並んで歩く。
その途中で父はふいに足を止めた。
「リード」
俺を見下ろすその顔はどこか苦しそうだった。
「本当にすまなかった。お前がひとりで抱え込まなきゃいけなかったのは俺が頼りなかったせいだ」
父はぐっと俺の頭に手を置いた。
「でももう大丈夫だ。今日からは父さんがちゃんとお前を守る。だからもうひとりで我慢するな」
その手の大きさとあたたかさに俺はこくりとうなずくのが精一杯だった。
教室に足を踏み入れる。
その瞬間教室がざわついた。
無理もない。今日父が学校へ来ることなど誰も知らなかったのだ。
教師にも事前の連絡などしていない。
昨日、頭を下げて帰ったあの百姓の父親がまさか翌日自分から乗り込んでくるとは誰も思っていなかったのだろう。
「な……アーデンさん? 今日はいったいどうされ……」
担任の教師が慌てて立ち上がる。
その顔にははっきりと動揺が浮かんでいた。
ガレオも取り巻きたちも突然現れた大男にぎょっとした様子で身を強張らせている。
ボルドはそれには答えず教室をゆっくりと見渡した。
その場にいる誰もが彼の放つ重圧に押されるように口を閉ざしていく。
さっきまでのざわめきが嘘のように引いていった。
「まず確認したいことがある」
低くよく通る声だった。
「うちの息子は半年もの間この教室で嫌がらせを受けていたそうだな」
誰も答えない。
「机にゴミを入れられ、仲間外れにされ、陰で笑われ続けた」
静まり返った教室にボルドの声だけが響く。
「先生」
教師の肩がびくりと震えた。
「リードはあなたに相談したそうだな」
「そ、それは……」
「助けを求めた子どもにあなたは何と言った」
教師は視線を逸らした。
「努力しろと言ったそうだな」
沈黙。
「もっと頑張れと」
教師は何も言えない。
ボルドは静かに言った。
「それは助けたことになるのか」
教師の顔が青くなる。
「傷ついている子どもが勇気を出して相談した。あなたはそれを受け止めず『お前が変われ』と言った」
一歩前に出る。
「それで教師を名乗るのか」
教室の空気が張り詰めた。
だがボルドはそこで言葉を切った。
「勘違いしないでほしい」
教師が顔を上げる。
「俺は息子に何の非もなかったと言うつもりはない」
教室がざわついた。
俺は思わず肩を震わせる。
「理由がどうあれ暴力は褒められたものじゃない」
その言葉にガレオが少しだけ得意げな顔をした。
だが。
「だからと言ってその原因になった半年間の嫌がらせが消えるわけじゃない」
ガレオの表情が固まる。
「子ども同士の喧嘩として片付けるなら簡単だ」
ボルドの声は低い。
「だが教師ならその喧嘩がなぜ起きたのかを見るべきじゃないのか」
教師は唇を噛みしめた。
「ですが……リード君もガレオ君に手を上げました」
絞り出すような声だった。
「だから私も双方に非があると判断して――」
「その通りだ」
ボルドは即座にうなずいた。
教師が目を見開く。
教室にもざわめきが広がった。
「何回でも言うが、どんな理由があろうと暴力は正しいことじゃない。では聞くが」
ボルドの声が低く響く。
「気づく機会は何度もあったはずだ。……家庭で息子の異変に気づいてやれなかった俺も悪い。そこは親として、一生悔やんでも悔やみきれない落ち度だ」
ボルドはそこで言葉を区切り教師を真っ直ぐ見据えた。
「だが先生。俺と違ってあなたは息子から直接『助けてくれ』と言われたはずだ」
先生の顔から完全に血の気が引いた。
「子どもが追い詰められようやく感情を爆発させた結果だけを見て裁くのは簡単だ。だが教師ならその結果に至るまで何があったのかを見るべきじゃないのか」
教師はうつむいたまま何も答えられなかった。
ボルドは今度は生徒たちへ視線を向けた。
「お前たちにも聞きたい」
誰も目を合わせない。
「誰か一人でもリードを助けたか」
沈黙。
「誰か一人でもやめろと言ったか」
誰も答えない。
「誰か一人でも先生に伝えたか」
やはり返事はない。
ボルドは小さく息を吐いた。
「自分は殴っていないから関係ない。自分は笑っていただけだから関係ない。自分は見ていただけだから関係ない」
首を横に振る。
「そんなわけがあるか」
その言葉に生徒たちが肩を震わせる。
「見て見ぬふりをした時点でお前たちは止める側じゃない。いじめる側に加担していたんだ」
そして最後に、ガレオを見る。
「ガレオと言ったな」
ガレオは強がるように睨み返した。
「お前は強いな」
一瞬ガレオの表情が緩む。
だが。
「魔法も使えない相手を大勢で囲んで。反撃できない相手に魔法まで使う。それくらいにはなあ」
教室が凍りついた。
「それで誇らしいか」
ガレオは何も言えない。
「それがお前の思う強さか」
ボルドは教室全体を見渡した。
「人ってのはな、自分と違う者を見つけると不安になる。だから仲間外れにする。笑い者にする。自分より下だと思い込んで安心しようとする」
誰も反論できない。
「だがそれは強さじゃない」
声に力がこもる。
「弱い者を踏みつけて喜ぶ人間を俺は立派だとは思わん」
そしてボルドは後ろにいる俺を見た。
「リードが魔法を使えないことは確かに人と違うのかもしれん」
教室が静まり返る。
「だがな」
力強く言い切る。
「人を傷つけて笑うことよりずっと小さなことだ。誰かを見下して安心することよりずっと小さなことだ。助けを求める声を無視することよりずっと小さなことだ」
ボルドは俺の肩に手を置いた。
「リードは出来損ないなんかじゃない」
「半年もの間ひとりで耐え続けた。大勢から笑われても耐えた。誰にも助けてもらえなくても耐えた」
「俺はそんな息子を誇りに思う」
俺の目から涙があふれた。
教室の誰ひとりとしてもう俺を見下すことはできなかった。
その後学校はようやく重い腰を上げた。
ボルドは担任だけでなく、校長のもとへも足を運んだ。
半年にわたるいじめとそれを黙殺した学校の対応。
父の追及は静かでけれど容赦がなかった。
校長は平謝りだった。
担任は保護者たちの前でその対応を厳しく問われることになった。
ガレオとその取り巻きたちも親を呼び出されてこってり絞られたという。
ガレオは後日、しぶしぶ俺に頭を下げた。
心から反省していたかはわからない。
それでももうあいつが俺に手を出してくることはなくなった。
いじめは終わった。
話がすべて済む頃にはもう昼を過ぎていた。
本来なら父はとっくに畑へ戻っていなければならない時間だ。
けれどその日、父は畑仕事をまるごと一日休んだのだという。
「今日くらい畑は待っててくれる。それよりお前と一緒に帰るほうが大事だからな」
そう言って父は俺を早退させた。たまには二人でのんびり帰るのもいいだろう、と。
帰り道。
俺は隣を歩く父の大きな体を見上げていた。
「父さん」
「ん?」
「……ありがとう」
ボルドはちょっと照れくさそうに鼻の頭をかいた。
「礼を言うことじゃねえ。親が子を守る。当たり前のことだ。遅くなっちまったがな」
ぶっきらぼうにそう言ってそれからぽんと俺の頭に手を乗せた。
「いいかリード。困ったことがあったら何でも言え。ひとりで抱え込むな。お前には父さんも母さんも姉ちゃんもいる。家族ってのはそういう時のためにいるんだからな」
「……うん」
夕焼けの道を二人で歩く。
魔法は相変わらず出ないけれど。
俺にはこんなにもあたたかい家族がいる。
それだけで、もう十分すぎるくらいだった。




