8話
魔法学校に入学して半年が過ぎた。
その間、姉のノエラは月に一度は必ず帰ってきてくれた。
約束どおりそのたびに裏山の草地で俺の特訓に付き合ってくれた。
けれど半年経っても俺は魔法が使えなかった。
火も水も風も土も。
あいかわらず火花がちりっと散るのがせいぜいだ。
光も闇もうんともすんとも言わない。
姉がどれだけ根気よく教えてくれても結果は変わらなかった。
そして変わってしまったものがもうひとつあった。
学校での俺の扱いだ。
最初は軽いからかいだった。
「リードまた出せないのー?」
「火くらい出せよー」
その程度の子どもらしいひやかし。
それならまだ笑ってごまかせた。
けれどひと月ふた月と過ぎ、半年経っても俺だけが何ひとつ出せないままだと空気ははっきりと変わっていった。
「あいつほんとに何も出せないんだぜ」
「半年だぞ?ありえなくない?」
「なんか気味悪い」
「近づかないほうがいいって」
からかいはいつしか嫌悪に変わっていた。
誰も俺と口をきかなくなった。
授業で組を作るときはいつもひとり余る。
すれ違いざまにひそひそと何か言われる。
机の中にゴミを入れられたこともあった。
変なやつ。気味の悪いやつ。関わっちゃいけないやつ。
それがクラスでの俺の立ち位置になった。
正直こたえた。
中身が大人だとかそんなことは関係なかった。
毎日毎日、嫌悪の目を向けられ続けるのはただつらかった。
それでも俺は家族には言えなかった。
姉はあんなに応援してくれている。
父にも母にも、魔法がうまく出ないことは伝えてない。
心配をかけたくなかった。
そんな家族に「学校でいじめられている」なんて言えるわけがない。
だからせめてと俺は先生に相談した。
「先生。最近そのクラスのみんなに避けられていて」
「うーん。でもリードくん。みんなと違って魔法が使えないのは事実だものねえ」
先生は困ったように笑った。
「もちろん仲良くするのが一番だけれど。リードくんももう少しみんなと打ち解ける努力をしてみたらどうかしら?」
「でも、ぼく——」
かぶせるように先生は続けた。
「それに半年経っても魔法が出ないなんてみんなも戸惑っているのよ。少し距離を置かれるのは仕方ないことだと思うわ」
先生はそう言って話を終わらせるように書類へ目を落とした。
「もっと努力して魔法が使えるようになればきっとみんなも認めてくれるわよ」
先生はまともに取り合ってくれなかった。
悪いのはいじめる側じゃなく魔法の使えない俺のほう。
そう言われているようで俺はそれ以上何も言えなくなった。
そんなある日のことだった。
昼休みの教室。
クラスでいちばん俺をからかってくる男子がいた。
名前をガレオという。
体が大きく魔法も得意で取り巻きを連れていつも威張っている。
その日もガレオは取り巻きと一緒に俺のところへ絡みに来た。
「よお出来損ない。今日も魔法出せないのか?」
ガレオはわざとらしく肩をすくめた。
「半年だぞ? 普通ならもう初級魔法くらい使えてる」
取り巻きたちがくすくすと笑う。
「お前本当に人間か?」
「いや魔力ゼロの化け物だったりしてな」
教室に笑い声が広がる。
いつものことだ。聞き流せ。相手にするな。俺はうつむいてやり過ごそうとした。
「ま、しょうがないよなあ。お前みたいなのが生まれるなんてお前の親もとんだハズレを引いたよなあ」
……。
「どうせロクな親じゃないんだろ。こんな出来損ない育ててる貧乏くさい百姓の——」
気づいたら俺はガレオに殴りかかっていた。
「リードっ……!?」
取り巻きが驚く声。
自分のことならいくらでも耐えられた。出来損ない。気味が悪い。何を言われてもぐっとこらえてきた。
でも両親だけはだめだ。
あの優しい父と母を。
こんな俺を愛してくれるあの二人を。
馬鹿にされて黙っていられるか。
「父さんと母さんを馬鹿にするな……!」
けれど所詮は七歳の魔法も使えない子どもだ。
相手は体も大きく魔法も使える。
結果は火を見るより明らかだった。
「はっ!なんだよいきなり!生意気なんだよ!」
ガレオは俺の拳を軽くいなすとすぐに反撃してきた。
突き飛ばされ馬乗りになられ何発も殴られる。
「イグニス!」
しかもこいつは魔法まで使ってきた。
手のひらに灯した火を俺の腕に押しつける。
じゅっと焼けるような痛みが走って俺は悲鳴を上げた。
「やめ……っ」
抵抗しようにも力がまるで違う。
俺はただ一方的に痛めつけられるしかなかった。
騒ぎを聞きつけた先生が止めに入るまで俺は教室の床でぼろぼろになっていた。
そして応接室に連れていかれた。
しかもことは大事になった。
両親に連絡がいったのだ。
しばらくして学校に駆けつけてきたのは父のボルドだった。
畑仕事の途中だったのだろう。
土で汚れた服のまま息を切らして教室に飛び込んできた。
「リード!おい大丈夫か!」
父の顔がぼろぼろの俺を見て青ざめる。
けれどその横で先生はこう言ったのだ。
「お父さん。実はリードくんが突然ガレオくんに殴りかかりまして」
先生は困ったようにため息をついた。
「以前から少し周囲と馴染めていない様子はありましたが、まさか暴力に訴えるとは思いませんでした。ガレオくんは身を守るためにやむを得ず反撃しただけなんです。いやあ、まさかリードくんがこんな乱暴をするとは」
……違う。
違うんだ先生。
あなたは知っているはずだ。
俺がずっといじめられてきたことを。
相談したとき取り合わなかったくせに。
今になって全部俺のせいにするのか。
いじめのことにはひとことも触れず先生はただ俺が一方的に手を出した悪い子だとそう言った。
それを聞いた父の顔が変わった。
「リード。お前自分から手を出したのか」
低い声だった。
「ち、違うんだ父さん。これにはわけが——」
「友達に手を上げるなんて父さんはそんなふうにお前を育てた覚えはないぞ!」
父の怒鳴り声が応接室に響いた。
ああ。父さんは聞いてくれない。
俺は必死に訳を説明しようとした。
ずっといじめられてきたこと。今日だって父さんと母さんを馬鹿にされたからそれで——。
「父さん、ぼくずっと——」
「言い訳はいい!」
ぴしゃりと遮られた。
父は先生に深く頭を下げていた。「うちの息子が申し訳ありません」と。
何度も何度も。
その背中を見ていたら、俺の中で何かがぷつりと切れた。
……もういい。
誰も聞いてくれない。
先生も父さんも。
俺が何を思って手を出したのか、誰ひとり知ろうとしてくれない。
俺はそれ以上何も言わなかった。
家までの帰り道、父とはひとことも話さなかった。
家に帰っても俺は自分の部屋に閉じこもった。
母のフィーナが心配して傷の手当てをしてくれたけれど何を聞かれても俺は口を開かなかった。
悔しかった。
痛みよりも何よりも、父さんに信じてもらえなかったことがいちばん悔しかった。
一方、その頃。
居間ではボルドとフィーナが沈んだ顔で向かい合っていた。
頭に血が上って息子を怒鳴りつけた。
けれど、こうして冷静になってみるとどうにも引っかかる。
あのリードが。
あの優しくて聞き分けのいいリードが何の理由もなく人に手を上げるだろうか。
いや、あの子はそんな子じゃない。
「……なあフィーナ」
ボルドは重い口を開いた。
「あいつ魔法のことでずっと苦しんでたんじゃないか」
フィーナは静かにうなずいた。
「気づいてたわ。とっくに。あの子が学校から帰ってくるたびどこか無理して笑ってること。手のひらをこっそり見つめてため息をついてること」
二人は知っていたのだ。
リードが魔法を使えずに悩んでいることを。
本当は毎日がつらいのだろうということを。
親だからわかっていた。
「だけどあの子は一度も弱音を吐かなかった。あたしたちに心配かけまいとしてぐっとこらえて毎日学校に通って。ノエラと特訓して自分なりに必死に頑張ってた」
フィーナの声が、震える。
「だからあたしたち決めたじゃない。あの子が自分から打ち明けてくるまでは黙って見守ろうって。あの子の頑張りを信じようって」
そうだ。二人でそう決めたのだ。
手を貸すのは簡単だ。
問い詰めるのも簡単だ。
けれどリードは自分の力で立ち向かおうとしている。
その健気さを誇りに思った。
だからあえて何も言わずただ信じて見守ってきた。
——なのに。
「俺は……」
ボルドは自分の額をぐっと押さえた。
見守ると決めていたくせに。
いざ事が起きたら息子の話も聞かずに頭ごなしに怒鳴りつけた。
教室でリードが何度も何かを言おうとしていた。
「これにはわけが」「ぼくずっと」。
あの必死な目を「言い訳はいい」と遮った。
信じて見守ると決めたはずなのに。
いちばん肝心なときにあの子を信じてやれなかった。
「あなた」
フィーナがボルドの手にそっと自分の手を重ねた。
「行ってあげて。今度こそちゃんとあの子の話を聞いてあげて」
「……ああ」
「……リードのところに行ってくる」
ボルドは立ち上がった。
部屋の扉がノックされた。
「リード。父さんだ。入っていいか」
俺は布団をかぶったまま返事をしなかった。
それでも父はそっと扉を開けて入ってきた。
ベッドの脇に大きな体を窮屈そうに座らせる。
しばらく沈黙が流れた。
やがて父がぽつりと口を開いた。
「リード。さっきはすまなかった」
その声は教室で怒鳴ったときとはまるで違っていた。
低くて静かでどこか震えていた。
「父さんはお前の話も聞かずに怒鳴った。お前は何か言おうとしてた。なのに父さんはそれを聞かなかった。本当にすまない」
布団の中で俺は唇を噛んだ。
「話してくれないか。何があったのか。父さんは今度こそちゃんと聞くから」
その言葉にずっとこらえていたものがあふれた。
俺は布団から顔を出してぽつりぽつりと話し始めた。
半年間ずっといじめられてきたこと。
先生に相談しても取り合ってもらえなかったこと。
それでも家族に心配かけたくなくてひとりで耐えてきたこと。
そして今日。
「あいつが父さんと母さんのこと馬鹿にしたんだ。出来損ないを育ててる貧乏くさい百姓だって。ぼくのことはいくら言われても我慢できた。でも父さんと母さんのことだけは許せなくて。それでつい手が……」
言いながら、涙が止まらなくなった。
「ごめんなさい。ぼくが弱いから。魔法が使えないから。父さんにまで迷惑かけて……」
その時、父の大きな手が俺の頭をぐっと抱き寄せた。
「ばかやろう」
震える声だった。
「お前は何ひとつ悪くない。お前は父さんと母さんのために怒ってくれたんだろう。それのどこが悪いもんか」
父の腕の中は土と汗の匂いがして、あたたかくて。
俺は声を上げて泣いた。
「迷惑なんかかけてない。お前は俺たちの自慢の息子だ。魔法が使えようが使えまいがそんなこと関係あるか。よくひとりで耐えたな。よく頑張ったなリード」
その言葉が半年分のつらさを溶かしていった。
ひとしきり泣いて俺が落ち着いた頃。
父は立ち上がっていた。
その背中からさっきまでとはまるで違う静かで深い怒りが立ちのぼっていた。
「リード。よく話してくれた。あとは父さんに任せておけ」
いかつい顔がこれ以上ないほど険しく引き締まっている。
「お前を半年も苦しめた連中。そしてそれを知りながら見て見ぬふりをした学校。このまま黙って引き下がるわけにはいかねえ」
ぱきり、と父の拳が鳴った。
「明日父さんが話をつけに行く。リードのことを舐めた連中にきっちりわからせてやる」
その背中がいつもの優しい父とは別人のように頼もしく見えた。
ああ、そうか。
俺にはこんなに頼れる味方がいたんだ。
ひとりで抱え込む必要なんてなかったんだ。
俺は久しぶりに少しだけ安心した気持ちで目を閉じた。




