6話
魔法学校に通い始めてひと月が経った。
結論から言おう。
俺は魔法が苦手だった。
最初の火の授業で火花がちりっと散っただけだった。
あの日。あれは「初日だから」で済ませた。けれど、あれからひと月。
火に続いて、水も、風も、土も習った。そのどれもが壊滅的だったのだ。
水の授業。「アクア」と唱えれば、手のひらに水の玉が浮かぶ。
みんなぷるんとした水を出して喜んでいる。俺はというと指先がじわっと湿った。それだけ。汗かと思った。
風の授業。「ヴェント」と唱えれば、そよ風が起こる。みんな前髪をふわりとなびかせている。
俺の起こした風は目の前のろうそくの火すら揺らせなかった。無風。完全なる凪。
土の授業。「テラ」と唱えれば、土くれがこぶし大に固まって持ち上がる。
みんなぽこぽこと土の塊を浮かせている。俺の足元の土はぴくりともしなかった。
地面は地面のままだった。
火、水、風、土。この四つは初級なら誰でもある程度は使える。
それが当たり前。なのに俺だけがまるでできない。クラスでただひとり。
……おかしい。
どう考えてもおかしい。
だが、ここで俺は考えた。
そうか。きっと、こういうことだ。俺の魔法はあまりにも強すぎる。
強すぎるあまりこんな初級魔法みたいなちゃちなものにはうまく出力を合わせられないのだ。
巨大なダムの放水口からコップ一杯の水をぴったり出す。
そんなの難しいに決まっている。加減が難しすぎるのだ。
うん。そうに違いない。
むしろ初級魔法ができないことこそが俺が規格外である何よりの証拠なのだ。
……我ながら見事な理屈だった。
この、ものすごく都合のいい解釈が現実から目をそらすためのただの言い訳だと。
その時の俺はまだ認めたくなかったのである。
ちなみに属性は全部で七つ。
火、水、風、土。それに光と、闇。そして無属性。
このうち、光と闇はちょっと別格だ。
他の属性とは難しさのレベルがまるで違う。
火・水・風・土なら普通の子なら学校に通う前に遊びで使ってたからなんとなく形になる。
けれど光と闇はそうはいかない。
なにせ、扱いが繊細で複雑。魔法学校の三年間をまるまるかけてようやく初級の基礎が身につくかどうかというほどの難物なのだ。
だから入学したばかりの俺たちが光や闇を使えるわけがない。
先生も「これはおいおいじっくりやっていきましょうね」と言っていた。
クラスの誰ひとり光のひとかけらも、闇のひとかけらも、出せていない。
……ただひとり。
俺だけは内心こう思っていた。
光と闇? ああ、そんなの俺なら余裕だろ。
なにせ最強の魔法だ。みんなが三年かけるところを俺ならちょちょいのちょい。
火水風土が、いまいち調子が出ないのはさっきの理屈で説明がつく。
だが、光と闇みたいな高度な魔法ならむしろ俺の本領が発揮されるはず。
よし。試しにこっそりやってみよう。
教科書にはちゃんと初級魔法の詠唱の文言が載っている。それを見ながらならできるはずだ。
俺は放課後、誰もいない教室で教科書を広げ手のひらをかざしてみた。
まずは闇から。
「——ウンブラ」
…………。
……あれ。
何も起きない。手のひらはしんと静まったまま。影のひとかけらも生まれない。
ん? なんでだ。詠唱は合っているはず。もう一度。
「ウンブラ」
……やっぱり出ない。
……まあいい。じゃあ、光はどうだ。こっちなら。
「ルクス」
…………。
……これもだめか。
光のひとかけらも灯らない。
……いや、うん。これはしょうがない。
だって、光と闇は三年がかりの難しい属性だ。
先生も最初から出すのは難しいと言っていた。
クラスの誰もまだ出せていない。
俺だって習い始めの今はまだってことだ。
うん。そういうことにしておこう。
俺は何も見なかったことにしてそそくさと教室を出た。
とはいえ俺にも得意なものはあった。
座学だ。
読み書き、計算、歴史。机の上の勉強に関して俺はクラスで群を抜いていた。
子どもたちが指を折って「いち、に、さん……」とやっている横ですらすらと答えを出す。
文字も一度習えばすぐに覚えた。
「リードくんは本当によくできますねえ」
先生はいつも感心したように言う。
「読み書きも計算も完璧。それなのに——」
そこで先生はちょっと困ったように言葉を濁す。
「……それなのにどうして魔法だけは、ねえ」
はい。すみません。
その「魔法だけは、ねえ」が俺の最大の弱点だった。
頭はいいのに魔法はからっきし。
クラスメイトたちからは「変なやつ」という目で見られていた。
「リードまた火出せなかったのー?」
「計算はあんなに速いのにね」
「ねえわざと下手にやってるんじゃないの?」
わざとだったらどんなによかったか。
俺は曖昧に笑ってごまかすしかなかった。
学校が終われば家に帰る。
我が家の暮らしは相変わらずのどかだった。
父のボルドは朝から畑に出て汗を流す。
俺も学校がない日は畑仕事を手伝った。
体はまだ七歳。
たいした力にはならないがそれでも父の隣で土をいじるのは悪くなかった。
「リード。土ってのはな正直なもんだ」
父は土を手に取りながらぽつりと言う。
「手をかけた分だけちゃんと応えてくれる。嘘をつかねえ。だから俺は土が好きなんだ」
いかつい顔でそんなしみじみとしたことを言う父が俺は好きだった。
母のフィーナは家の仕事をしながらいつも歌を口ずさんでいる。
その横で俺は宿題をしたり母の手伝いをしたりした。
夕暮れ時、母の作る料理の匂いが家じゅうに広がる。
あたたかくて満ち足りた時間だった。
前世にも家族はいた。俺を育ててくれた祖父母が。
けれど、あの頃の俺はまだ若くてその温もりの本当のありがたさに気づけていなかった。
今になってようやくそれがどれほど尊いものだったか胸に染みる。
……魔法は出ないけどな。
でも、まあ。それくらいの悩みはこの幸せの前ではささいなことに思えた。
そんなある日のこと。
夕方、畑から戻ると家の前に見覚えのある人影が立っていた。
小柄な女の子。旅装に身を包んで大きな荷物を背負っている。
その姿を見た瞬間俺は駆け出していた。
「姉さん!」
「リード! ただいま!」
姉のノエラだった。
学院の寮に入って以来初めての帰省。
ひと月ぶりに見る姉はまったく変わっていなかった。
その太陽みたいな笑顔もそのままだ。
「うわリード!ちょっと見ない間に大きくなったんじゃない?」
「いやひと月だよひと月。そんな伸びるわけないでしょ」
「えー伸びたって。ぜったい伸びた。一センチくらい」
「誤差だよそれ」
けらけらと姉が笑う。相変わらず勢いといいかげんさでできている人だ。
その晩は家族四人久しぶりに食卓を囲んだ。
ノエラの話で食卓は大いに盛り上がった。
学院での暮らし。闇魔法の授業。寮の友達。
「でね寮のごはんがこれがまたびっくりするくらいまずいの!」
「こらノエラ。作ってくれてる人に失礼でしょう」
「だって本当のことだもん!お母さんのごはんが恋しくて恋しくて……あたしそれで闇魔法の特訓もつい力が入っちゃって」
「魔法とごはん関係あるのか」と、父。
「あるの! お母さんのシチューを思い浮かべるとなぜか魔力がみなぎるの!」
「どんな原理だ」
父のもっともなツッコミに食卓がどっと笑いに包まれる。
ああ、いいなと思った。
四人揃っている。これだけでこんなにもにぎやかであたたかい。
欠けていたピースがひとつ戻ってきたみたいだ。
「そういえばリードは? 魔法学校どう?」
ふいに姉がこちらを向いた。
……来た。
「楽しい? もう火とか出せるようになった?」
無邪気な問いだった。悪気なんてこれっぽっちもない。
ただ弟の学校生活が気になっただけ。
けれど俺は一瞬言葉に詰まった。
火は出せない。水も、風も、土も。
クラスでいちばん魔法ができない。
そう正直に言えばきっと姉は心配する。
せっかくの楽しい帰省だ。このにぎやかな食卓に水を差したくなかった。
「……うん。まあぼちぼち」
俺は笑ってごまかした。
「そっか! リードは、頭いいもんね。きっとすぐ上手になるよ」
姉はにっと笑って俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
……うん。
そうだといいな姉さん。
その手の温もりにちょっとだけ胸が痛んだ。
けれどそれ以上に姉が帰ってきてくれたその嬉しさのほうがずっと大きかった。
魔法のことは今はいい。
今はこの四人の時間を。
俺はそう思いながら姉の話の続きに耳を傾けるのだった。




