06 45歳 狂犬ヘンリー・クレイ・フリックとの出会い
ルイーズと運命的な出会いを果たした頃、カーネギーはもう一つの運命的な出会いを果たしていた。
「狂犬」と呼ばれる男、ヘンリー・クレイ・フリックと出会いである。
その頃、アンドリューが「鋼鉄王」への道を歩む中で、欠かせないパズルのピースがあった。鉄を溶かすための「燃料」であるコークスの確保である。
ピッツバーグ近郊のコネリーズビルには、世界最高品質の石炭層が存在していた。そこを若くして支配し、数百のコークス炉を稼働させていたのがフリックであった。アンドリューは、鋼鉄の製造コストを極限まで下げるために、この「燃料の供給源」を自らの帝国に組み込む必要があると考えていた。
一八八一年、二人は出会う。この時、アンドリューは四十五歳、フリックは三十一歳。
それは、共通の目的を持ちながらも、正反対の魂を持った二つの流星が衝突した瞬間であった。
アンドリューが初めてフリックと対面したとき、彼は驚きを隠せなかった。フリックは、アンドリューのような社交性や雄弁さを一切持ち合わせていなかったからである。冷徹な青い瞳を持ち、めったに笑わず、言葉少なに数字だけを信じる男。アンドリューが「陽」の野心家なら、フリックは「陰」の構築者であった。
だが、アンドリューはその冷徹さにこそ惚れ込んだ。
「この男なら、私がためらうような残酷な決断も、眉一つ動かさずに実行するだろう」
一八八二年、アンドリューはフリックの会社「H・C・フリック・コークス社」に巨額の出資を行い、その株式の過半数を握った。これは単なる取引ではなかった。彼はフリックを自らの組織の「執行責任者」として迎え入れ、事実上の右腕に据えたのである。
二人の関係は極めて良好であった。それは、互いの役割が「美しく」分かれていたからである。
戦略と外交を担うアンドリューは、「私は、自分より優れた人間を使いこなす名手だ」と自負し、フリックの経営手腕を絶賛した。彼は一年の半分を海外や旅行で過ごし、手紙や電信で「もっと安く、もっと速く」と抽象的な、しかし強烈な指示を飛ばし続けた。
対するフリックは、実行と執行を一身に引き受けた。アンドリューの指示を具体的な数字と暴力的なまでの規律に翻訳し、現場に叩き込んだのである。彼は「アンドリューの代理人」として、不平を言う労働者やライバル企業を冷徹に叩き潰す役割を完璧に演じた。
二人は、「一人の人間が持つ二つの顔」のようであった。アンドリューが「高邁な理想を語る顔」なら、フリックは「その理想を支えるためのカネを稼ぎ出す冷酷な手」であった。二人は互いの才能を完璧に補完し合い、アメリカ産業界を震撼させる「垂直統合」という巨大なビジネスモデルを完成させていった。
◇
このころのアンドリューは、人生において最も幸せな時期であったのかもしれない。私生活においても、ルイーズとの交際を深めていた。そして一八八三年、二人は密かに婚約を交わす。
しかし、二人の前には巨大な壁が立ちはだかった。アンドリューの母、マーガレットである。
移民時代の極貧を共に生き抜いた母にとって、成功した息子アンドリューは自分の人生のすべてだった。彼女は息子に近づく女性をことごとく敵視し、ルイーズに対してもあからさまな不快感を示した。
アンドリューも、また、母を深く愛し、かつ、恐れてもいた。
「母が生きている間は、他の誰をも家庭の第一位には置かない」
そう心に決めていたほどだ。
マーガレットの執念深い反対を前に、アンドリューは弱気になり、婚約を解消してしまう。
ルイーズは絶望したが、一方で、「鋼鉄王」の異名を持つ男が、一人の老いた母親の前でいかに無力であるかを知っていた。彼女はアンドリューを責めることなく、静かに「その時」が来るのを待つことにした。
「その時」は、一八八六年に訪れた。アンドリューがチフスにかかり生死をさまよう中、懸命に看病した母マーガレットが、疲れがたたったのかこの世を去ったのである。
悲しみと孤独の中にいた五十一歳のアンドリューを支えたのは、やはりルイーズであった。
そして、母の死から半年後の一八八七年、二人はついに結婚式を挙げ、ハネムーンのためイギリスへと渡る。
この時を境に、
アンドリューは、それまでの「泥臭い現場の指揮官」から「遠く離れた理想主義的な君主」へと変貌していった。
知的なルイーズは、彼の「富は社会のためにある」という哲学を支持した。彼女に誇れる夫でありたいという願いは、彼に「自分は徳の高い紳士である」という強い自意識を植え付けた。もはや鋼鉄の火花が散り、一セントを争うピッツバーグの喧騒は、穏やかな時間を邪魔する「不快なもの」でしかなかった。彼は一年の半分をスコットランドの別荘で過ごす「遠隔経営」へとスタイルを移していった。
◇
そんなアンドリューとフリックの間に亀裂が生じるのは、ごく自然な流れだったのかもしれない。
この数年、鉄鋼帝国の膨張はとどまる所を知らなかった。アンドリューという「頭脳」が描く壮大な戦略と、フリックという「鋼の拳」が振るう冷徹な執行力。この二つの歯車が完璧に噛み合っている限り、立ちふさがるライバルたちは紙屑のようになぎ倒されていった。
しかし、共通の敵をすべて駆逐し、帝国がもはや揺るぎない絶対王政を確立したとき、皮肉にもその「完璧な補完関係」こそが、修復不能な綻びの起点となる。
最初の亀裂は、皮肉にも、ハネムーンの最中に起きた。
当時、フリックはアンドリューの支援を受けてコークス市場を独占していたが、同時に自身の会社の社長としての顔も持っていた。そこで大規模な労働ストライキが発生したのだ。
「労働組合の要求など飲む必要はない。彼らが飢えて降伏するまで徹底的に戦う」
冷徹な強硬姿勢を貫こうとするフリック。しかし、大西洋の向こう側新で婚の幸福に浸っていたアンドリューは、フリックに一切の相談もなく、独断で労働組合の賃上げ要求を受け入れ、ストを終結させてしまった。
彼が組合に歩み寄ったのは、単に労働者を慈しんだから、というだけではなかった。
新婚の幸福を何者にも邪魔されたくないという切実な思い。そして、『物分かりの良い経営者』というパブリック・イメージを何より大切にする彼の自意識が、そうさせたのである。
彼は自らの手を汚さぬよう妥協の果実だけを摘み取り、その後に続く厳しい管理や現場の軋轢といった『汚れ仕事』は、すべてピッツバーグに残したフリックへと丸投げしたのだった。
自分の頭越しに勝手な妥協をされたフリックは、猛烈にプライドを傷つけられた。
「これでは経営トップとしての示しがつかない」
激怒したフリックは、一度は取締役を辞任する。
アンドリューは慌てて彼をなだめ、翌年には会社のトップである会長職に就けることで引き留めた。この時、アンドリューはフリックに対し、「次は君のやり方でやっていい」という、最悪のシグナルを送ってしまったのである。
この衝突は二人の間に深いしこりを残しただけでなく、五年後のホムステッドの悲劇を生む決定的な伏線となった。
◇
一八八九年、アンドリューはフリックの能力をさらに縛り付けるため、冷酷な契約を突きつける。「鉄の誓約」と呼ばれる合意の先駆けである。
アンドリューはフリックに株式を与える代わりに、「会社を去る場合は、その株式を時価よりはるかに安い額面価格で売り戻さなければならない」という条件を呑ませた。これにより、フリックはどれほど功績を挙げても、アンドリューの機嫌を損ねれば全財産を失うという「金の足枷」をはめられた。自分が「共同経営者」ではなく、王に仕える「家臣」に過ぎないことを、フリックは骨の髄まで理解させられたのである。
この時期を境に、二人の会話はかつての親密さを失い、事務的で冷徹なものへと変質していった。アンドリューはスコットランドの別荘から、「コストを下げろ、組合を叩き潰せ」と電信で極端な指示を送り続ける。そしてフリックは、かつて裏切られた記憶を抱えながら、今度こそ徹底的にやり遂げようと、その冷酷さをさらに研ぎ澄ませていくのであった。




