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鋼の王 ~アンドリュー・カーネギーの贖罪~  作者: しばたろう


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5/12

05 45歳 最愛の人ルイーズ・ウィットフィールドとの出会い

 「J・エドガー・トムソン鋼鉄所」が稼働し、空前の成功を収めると、ピッツバーグの空は彼が吐き出す鋼鉄の火花で塗り替えられた。だが、アンドリューの真の恐ろしさは、成功に安住しないその「飢え」にあった。


 一八八三年。アンドリューは、ピッツバーグの川下にある最新鋭の工場に目をつけた。――「ホムステッド鉄工所」である。


 この工場は、後発として「J・エドガー・トムソン鋼鉄所」の成功を真似し、同じベッセマー法でレール市場に殴り込みをかけていた。本来ならばアンドリューの帝国を脅かす強敵になるはずの存在だったが、市場の現実は非情であった。同じものを作れば、待っているのは激しい安売り競争のみ。さらにホムステッドは深刻な労働争議という内憂を抱え、その経営は完全に袋小路へと迷い込んでいた。


 アンドリューは、獲物を狙う鷹のような鋭さで、この窮状を見逃さなかった。


「隣で同じものを作って苦しんでいるなら、買い取ってしまえばいい。そうすれば競争相手が一人減り、巨大な工場が手に入る」


 彼は冷徹なまでに計算されたタイミングで、買収交渉に打って出た。行き場を失っていたオーナーたちは、アンドリューが提示したキャッシュを前に、抵抗する術を持たなかった。彼はライバルが築き上げた城を、信じられないほどの安値で、まるごと飲み込んでしまったのである。


 買収後、アンドリューは「同じものを作らせる」という無駄を、電光石火の勢いで解消した。


 旗艦店である「J・エドガー・トムソン」は、そのまま「レール専用」の拠点として、徹底的に効率化を追求させた。ここのベッセマー転炉は、短時間で大量の鋼鉄を吐き出すが、品質にムラが出る欠点があった。しかし、「走ればいい」レールにとって、それは致命的な欠陥にはならなかった。


 一方、手に入れたばかりのホムステッドには、全く別の命運を与えた。アンドリューは既存のベッセマー転炉を惜しげもなく捨てさせ、最新鋭の「平炉(オープンハース)」へと設備を一新させたのだ。平炉は、ベッセマー法に比べて時間はかかるが、化学組成を精密に調整し、不純物を排した強靭な鋼鉄を生む。


 この転換により、ホムステッドは「折れてはいけない」摩天楼の鉄骨、そして「弾き返さなければならない」戦艦の装甲板を主力とする、特殊鋼の牙城へと変貌した。


 この買収が意味したものは、単なる規模の拡大ではなかった。それまで「鉄道レールの専門家」に過ぎなかったアンドリューが、アメリカのあらゆる「構造物」を支配する「真の鋼鉄王」へと脱皮した瞬間であった。


 ホムステッドの煙突から吐き出される黒煙を見上げながら、アンドリューは確信していた。自らの帝国は、もはや誰にも止められない。彼は、手に入れたばかりのこの巨大な工場に、さらなる「効率」と「冷徹な管理」という名の命を吹き込んでいくことになる。

 


 ホムステッドを手に入れたアンドリュー・カーネギーは、当時の経営者が驚愕するほどの徹底した「コスト管理」を断行した。

 

 当時の経営者の多くは、月末に「いくら儲かったか(利益)」を計算して一喜一憂していた。しかし、アンドリューは正反対であった。彼は部下たちに口癖のようにこう説いた。

「利益のことは忘れていい。コストを最小にすることだけを考えろ。コストが下がれば、利益は勝手についてくるものだ」


 彼は全ての工程において、石炭一ポンド、鉄鉱石一トンあたりのコストを詳細に記録させた。これにより、どの現場が「無駄」を出しているかを即座に特定し、現場責任者を厳しく問い詰めたのである。


 また、アンドリューは「最新鋭であること」こそが最大のコスト削減に繋がると信じていた。ある時、ホムステッドに導入したばかりの巨大な設備が、期待されたほどの効率を出していないことが判明した。周囲の経営者が「せっかく大金を投じて入れたのだから、騙し騙し使おう」と考える中、アンドリューの判断は非情かつ明快であった。


「旧式の機械を使い続けることで発生する『目に見えない損失(チャンスロス)』は、新しい機械を買う代金よりも高い」


 彼はそう言い切り、躊躇なくその機械を廃棄させ、さらに高価な最新型への入れ替えを命じた。これは、当時としては極めて革命的な投資判断であった。


 さらにアンドリューは、当時のアメリカで最も精緻な「原価計算システム」をホムステッドに導入した。彼は毎日、工場から届く詳細なコストレポート、通称「コスト・シート」を冷徹にチェックした。ある日、レポートの隅に書かれた「雑費」の微増を見逃さず、すぐさま工場長を問い詰めた。

「なぜ先月より『ほうき』の購入本数が増えているのか?」

 

 経営陣から現場の職長に至るまで、「アンドリュー・カーネギーは一セントの無駄も見逃さない」という恐怖を植え付けることで、組織全体の隅々にまでコスト意識を浸透させたのである。


 アンドリューはコスト管理を「競争」の道具としても利用した。ホムステッドとJ・エドガー・トムソンなど、自らが所有する複数の工場のコストデータを並べた比較表を作らせ、工場のマネージャーにそのデータを突きつけた。

「なぜホムステッドの石炭消費量は、エドガー・トムソンよりも高いのか?」

 このようにマネージャー同士を競わせ、成績の悪い者には容赦ない叱責を飛ばし、成果を上げた者には莫大なボーナスを与えた。


 彼は、利益を自らの贅沢に使うのではなく、「徹底的にコストを下げ、浮いたカネで最新の設備を買い、さらにコストを下げる」という、ライバルが絶望するような永久機関を回し始めた。これにより、他社が次々と倒産するような不況下にあっても、アンドリュー・カーネギーだけは巨額の利益を出し続けたのである。


 しかし、この徹底したコスト管理は、裏を返せば低賃金と長時間労働の正当化に他ならなかった。それが労働者たちの不満を限界まで募らせる結果となっていったことに、アンドリューは気づかない。

 

 彼には、かつて時給数セントの少年工から這い上がったという強烈な自負があった。

「私は労働者の苦しみを知っている。だから、今の厳しい環境も『成功のための試練』であり、彼らも私のように努力すれば報われるはずだ」

 自分が成功した以上、自ら作り上げた低賃金・高効率のシステムは絶対的な正義であり、不満を抱く者は「努力が足りないか、過激な組合に踊らされているだけだ」と断じた。


 労働者たちが切実に求めていたのは、「会社がいくら稼ぐか」でない。「今、家族と人間らしく生きるための賃金と休日」であった。だが、自らが不屈の精神で這い上がった「超人」であったアンドリューには、普通の労働者が抱くその素朴な願いを、真に理解することはできなかったのである。



 一八八〇年、ニューヨーク。四十五歳となったアンドリューは、その後の人生を決定づける運命的な出会いを果たす。知人の商人ジョン・ウィットフィールドの邸宅を友人として訪れた際、その娘であるルイーズと対面したのである 。


「アンディ、私の娘を紹介しよう」


 父親に促され、目の前の若い女性が静かに一歩踏み出した。


「はじめまして。カーネギー様。ジョン・ウィットフィールドの娘、ルイーズです。お会いできて光栄です」


 アンドリューは、ルイーズの二十三歳とは思えない落ち着きと、立ち居振る舞いに漂う気品に、ひそかに感心していた 。彼はいつもの快活さを発揮し、彼女に向けて壮大なビジネスの展望や、社会をより良くしたいという自らの理想を熱心に語り聞かせた 。


 しかし、会話が進むにつれ、アンドリューは内側に驚きを抱くようになる。彼女はただ、成功者の話を神妙に聞いているだけの深窓の令嬢ではなかった 。ルイーズは社会の動きや芸術、そして文学に深い関心を寄せる、非常に聡明な女性であった 。


(驚いた。この娘、ただの令嬢ではないな)


 ルイーズはアンドリューの言葉を臆することなく受け止め、それに対して自らの考えを的確な言葉で返した 。自分より二十二歳も若く、それでいて対等に言葉を交わし合える彼女の知性と、凛とした落ち着き。アンドリューは、急速に彼女へ惹きつけられていく自分に気づいていた 。


 会話の中で、彼女が乗馬を趣味としていることを知ると、同じく乗馬を好むアンドリューは即座に提案した。

「よろしければ、セントラルパークで馬を走らせませんか」


「ぜひ」


 ルイーズは彼の誘いを快く受け入れ、二人の関係は堅苦しい社交の場から、ニューヨークの美しい自然の中へと舞台を移していった 。五番街の喧騒を離れ、緑の中を馬で駆ける時間は、鉄鋼王国の拡張に多忙を極めるアンドリューにとって、唯一の、そしてかけがえのない安らぎとなったのである 。

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