第十一話
ユリスが部屋を訪れ、三時間ほどが経った。外は夕方、これから日が沈み、暗くなるのは早い。今日のところはこのあたりで切り上げて、ユリスを送っていかなければならない。
「今日はありがとう。声を掛けてくれて、ボクの方こそ礼を言いたいくらいだよ。ユリスと知り合いになれて、ボクは幸せ者の仲間入りができたみたいだし」
玄関を出たユリスは部屋の温かさもあってか幾分頬が上気し、耳の先も少し桜色に染まっている。その耳に向かってボクは小さな声で囁き掛ける。
「私の方こそあなたにお礼を言わなければならないわ。ありがとう。今日は何か特別な日、一生に一度きりしかない、とても大切な日になるわ」
知り合って二十年、三十年経ってようやく分かり合える間柄もあれば、百年たっても結局分かり合えない関係だってある。まったく逆に出会って、言葉を交わさずともお互いのすべてを分かり合えもする。
流石に一瞬でユリスの全てが分かったわけではないが、ユリスは身体の不自由さを抱えつつも、健気で明るい性格だった。中等部から学院に通っているため、身分にそうこだわりもないように感じられた。
人との結びつきが希薄だったボクとしては、人と人との不可思議さを知った貴重な体験だったし、今日までの生活と今日からの生活には、とても大きな違いが生まれたのだと実感できた瞬間でもあった。
行きとは違い、日が沈み町は夕闇に包まれ始めている。人通りも少なく、随分と静かになっていた。ボクはユリスに、今日の部屋での出来事は当分の間、誰にも話さないようにと念を押した。ユリスも行きと違って、何かをしゃべるでもなく、こくりとうなづくだけだ。街区を抜け、官庁街の王宮に比較的近い場所にある、ユリスの屋敷へと着いた。通学の便に良いようにと、学舎の一番近くにある屋敷の一部を改築し、ユリスの住まいとしたものだった。改築と入っても、ほぼ新築に近く、それは屋敷というよりは離宮といった趣と規模だ。就学が終われば、そのままユリスをここに住まわせるのかもしれない。皇弟であるユリスの父親にとっては、なんと言っても最初の娘、そして嫡出としてはたった一人の娘でもある。
その一人娘が生まれつき足が不自由だとなればなおさらに愛おしく思うのも親心として、当然といえば当然だろう。街の巡回、兵士の視察、皇帝への謁見のついで、などあれこれと理由を付けては娘に会いにきているとユリスは笑いながら話してくれたし、ユリスも折りに触れ王宮へ出向いているようだ。
皇家の内情など殆ど知らなかったボクにとっては、皇室とはいっても庶民と変わらない部分もあるのだと新鮮だった。もしかしたら、警護の者だけが先に帰されて、どこの馬の骨とも分からない女の子と出掛けたと早耳で聞き込んでしまい、気を揉みながら報告を待っているかもしれない、などと考えると思わず一人笑いをしてしまった。
「どうかしたの、いやらしい笑い方をして、何か思い出して笑っているの」
ユリスは顔を上げ、下からボクを覗き込むようにしてまるで詰問しているかのようにボクに話かけてくる。
「いや、何でもないんだ。それよりもさっき言ったこと、忘れずに執事長を通して伝えてもらってほしい。これからの結果に大きく影響を及ぼすからね」
執事長を通して、注文を付けたかったのは、ユリスの食事の内容についてだった。
牛乳やチーズ、ヨーグルトなどの乳製品を食事に添え、鳥類のササミを中心に豚、牛、羊などなら脂身を落とした物をできれば蒸し焼きにして、魚は赤身よりも白身のものを、卵類も大いに勧めたいけれども量は控えるように、そして、野菜やきのこ類はふんだんに、しかし、バランス良く、飽きがこないように味付はバラエティー豊かに、と言ったところだ。
「もし、うまく伝えきれない、伝わらないようならボクが説明するし、実際にやってみてもいいからいつでも呼んでね。さ、着いた。門衛さんがお姫様のお帰りを首を長くして待っていたみたいだよ」
ボクは門衛に軽く会釈をすると、ユリスを委ねて屋敷を後にした。
空を見上げると、薄暮はとうに過ぎ去り、大きな星が三つ四つと瞬いていた。
翌日の昼下がり、この日は本を読まずに、ただ、のんびりと学院の庭園を眺めながら紅茶を飲んでいた。気配がして振り返ると、案の定、車椅子の淑女と学院では呼ばれているユリスが、昨日を思い出したのか、ややはにかみつつボクの前にいた。
「昨日はありがとう。というか、何度も何度もありがとうと言うのは何かおこがましいし、恩着せがましく聞こえるわね。私の一番のお友達に今日は嬉しい報告があるの、聞いてもらえるかしら?」
いかにも嬉しげに彼女は言う。
言われると照れはするけれども、一番のお友達と言われて悪い気はしない。しないのだけれども、その心とは裏腹にボクは言う。
「昨日はどうもありがとう。確かにありがとうを繰り返すのは、どこかの外国人めいてて変だね。何かいいことがあったそうだけど、聞かせてもらおうかな、一番のお友達であるユリスさん」
ふふふふ、という微笑みが、やがで大口を開けての哄笑になる瞬間に、ボクは手を延ばして人差し指をユリスの口唇にあて言った。
「あなたって、見た目は割とお淑やかに見えるのに、口は辛辣ね。もしかしたらとんだ腹黒美少女と友達になってしまったのかもしれないわね、私」
ユリスは、あら失礼、私も口を慎まないと、などといいつつ、二人は目と目で再び笑い合った。ユリスが持ってきた話は確かに喜ばしいものだった。
まずは、秘密の練習場所がすんなりと見つかったのだ。昨日、ユリスが執事長に要望を伝えると早速に動いてくれて、近衛師団幹部にも掛け合ってくれたらしい。父親にはまだ直接伝えてはいないが、執事長には大会に出たいという希望を伝えており、クラス選抜戦に臨むためにも秘密の訓練がしたいのだ、と率直なところを伝えたという。結果、近衛師団員の詰め所に空きがあり、百人から二百人が詰めていても余裕の広さがある部屋を斡旋してもらえる運びになったのだ。
【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。ちょっと堅めだけど、こういう小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、評価などを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】




