第9話「あと少しだけ」
告白から六週間後。
磨かれた大理石の廊下で、アルディアが転んだ。
本を抱えながら歩いていて、段差に足を取られた。俺がすぐ隣にいたから、咄嗟に腕を掴んで、ぎりぎり支える。掴んだ腕が細くて、冷たかった。
「大丈夫か」
「……大丈夫」
「足は」
「平気」
アルディアが顔を上げた。俺の腕をまだ掴んでいた。
(十二歳のときと、逆になった。しかしこの人は六年経っても転ぶのか)
あのとき俺がハンカチを差し出して、アルディアが不器用に受け取った。今は俺の腕をアルディアが掴んでいる。
「離さなくていい」
「……え」
「掴んでいていい。床、滑りやすい」
アルディアがしばらく黙った。
「……クロード」
「ああ」
「昔も、こういうことがあったな」
「俺がハンカチを渡したとき」
「そう。あのとき、クロードがいてよかったと思った」
(知らなかった)
「そうか」
「言わなかったけど。素直じゃなかったから」
「今も大概素直じゃない」
「分かってる」アルディアが少し笑った。「でも、少しずつ練習している」
「誰に」
「クロードに」
俺は何も言えなかった。
「……返事」
アルディアが静かに言った。
「返事?」
「まだ待ってる?」
「待っている」
「もう少し、だけ待って」
「ああ」
「本当にもう少しだから」
「分かった」
アルディアが腕を離した。離した指先が、少しだけ名残惜しそうに見えたのは気のせいか。でも、また俺の隣を歩き始めた。
廊下を、二人で並んで。
(もう少し、か)
その言葉が、今日一番嬉しかった。
◇
──クロード・バレンシアの日記より。
『アルディアが転んだ。支えた。腕を掴まれたまましばらく歩いた。「返事はもう少しだけ待って」と言われた。もう少し。あと少し』
次話:「返事が来た」




