第4話 花嫁候補と夫候補
候補者との面談には、王都にある貴族向けの貸し館を使った。
個人の屋敷へ招くよりも、双方が断りやすい。小さな応接室がいくつかあり、待ち時間を過ごせる読書室も用意されている。
午前は、侯爵様とアイリス嬢の面談だった。
アイリス嬢は伯母に付き添われ、淡い水色のドレスで現れた。
灰色がかった金髪を低い位置でまとめ、髪飾りは白いリボン一つだけ。目を引くような華やかさはないが、私やギデオンにも一人ずつ丁寧に挨拶をした。
侯爵様とアイリス嬢が卓を挟んで向かい合い、私は少し離れた場所へ座る。
侯爵様は、すぐには結婚の話を始めなかった。
「領地の教会で、冬季の教室を三年続けていると聞いた」
アイリス嬢の伏せていたまつげが上がった。
「ご存じだったのですか?」
「家からの援助が途切れたあとも、自分で子どもたちに教えているそうだな」
「はい。始めた以上は、途中でやめたくありませんでしたので」
「一度引き受けたことを、簡単には投げ出さない方だと思った。それで、話をしてみたいと考えた」
アイリス嬢の指が、膝の上でドレスの布をつまんだ。
「ありがとうございます」
声は小さかったが、固く結ばれていた口元がほどけている。
(きちんと、ご本人を選んだ理由を伝えていらっしゃる)
私が話したことを、もう実行している。
侯爵様は、覚えたことを飾りとして置いておく方ではない。
「今回の縁談について、あなた自身はどう考えている?」
アイリス嬢は、手袋の縫い目を見つめた。
「家族は、とてもよいお話だと喜んでおります。侯爵夫人になれば、今より多くの子どもを助けられるだろうと」
「あなたも、そう思うか?」
「それは……」
返事が止まる。
侯爵様の眉間に、いつもの浅い皺が寄った。
けれど、席を立つことも、縁談を終わらせることもしない。
「迷っていることがあるなら、聞かせてほしい」
アイリス嬢は手袋の端をつまんだ。
「私は、寄付をするだけではなく、自分で子どもたちに教えたいのです」
「教師として?」
「立派な教師ではございません。ただ、子どもたちの名前を覚えて、その子がどの文字を苦手としているのかを知りたいのです。覚えた文字で、初めて家族へ手紙を書いたときの顔も、そばで見ていたくて」
「侯爵夫人になれば、それが難しくなると思っているのか?」
「はい。大きなお屋敷と領地を預かりながら、教室へ通い続けられるのか、自信がございません」
できると見栄を張らず、侯爵夫人になったあとの責任を今から量っている。
「侯爵夫人の役目を分担し、教える時間を確保することはできる」
侯爵様は、それで迷いが消えるとは決めつけずに続けた。
「だが、それがあなたの望む暮らしかは、今日だけでは分からないだろう。すぐに答えを出す必要はない」
手袋をつまんでいたアイリス嬢の指が止まった。
「もう一度、お話しする機会をいただいてもよろしいのですか?」
「ああ。侯爵家での暮らしについて、次はもっと具体的に説明する。それを聞いたうえで、違うと思えば断って構わない」
「ありがとうございます」
アイリス嬢は、今度は目をそらさずにうなずいた。
二度目の面談が決まった。
(六人続けて、一度で終わっていたのよね)
これだけでも、大きな前進ではないだろうか。
アイリス嬢が伯母とともに退室すると、侯爵様はすぐに私を見た。
「先ほどの話し方に、問題はあったか?」
「以前の面談は存じませんが、今回は、ご自分でアイリス様の答えを決めてはいらっしゃいませんでした」
「そうか」
「それに、アイリス様の責任感に関心を持ったと、ご本人にお伝えになりました。家柄が合うからではなく、アイリス様とお話ししたい理由になっていたと思います」
侯爵様は羽根ペンを取り、その言葉まで記録し始めた。
私は思わず笑ってしまった。
「何でも真面目にメモを取られるのですね」
「次にも使える」
「試験の模範解答ではございませんよ」
侯爵様は羽根ペンを宙に残していたが、ひとまず卓へ置いた。
「アイリス嬢は、候補として合っていると思うか?」
「条件には合っております。ただ、侯爵夫人になることが、あの方の望む暮らしと合うかは、もう一度お話を聞いてからですね」
「分かった」
侯爵様と話していると、ときどき、この方が自分よりはるかに高い身分であることを忘れてしまう。
率直に話せば最後まで聞き、分からなければ尋ね、必要だと思えばすぐに直す。
(本当に、どうして婚約者がいないのかしら)
六人分の事情を聞いたあとだというのに、改めて不思議に思った。
午後は、私とローランド・ヘイル男爵の面談だった。
ローランド男爵は約束の時刻より少し早く、一人で貸し館へ現れた。
焦げ茶色の髪を短く刈った、穏やかな顔立ちの男性である。
決して華やかではないが、挨拶をするときに、こちらの目をきちんと見た。
私とローランド男爵が卓を挟んで座り、侯爵様は窓際の椅子へ腰掛けた。ギデオンは扉の近くで記録を取っている。
侯爵様の存在感を消すことは、やはり無理だった。
「本日は、ローデン侯爵様もご同席になると伺っております」
ローランド男爵は背筋を固くして、侯爵様へ頭を下げた。
「私の希望で同席している。気にせず、アデル嬢と話してほしい」
「承知いたしました」
そう言われて気にしない人がいるのだろうか。
けれど領地の話が始まると、ローランド男爵の返事から余計な間が消えていった。
「私の領地は小さく、豊かとは申せません。ですが、農地を少しずつ改良し、将来は子どもたちの学ぶ場所も作りたいと考えております」
「今は、どのようになさっているのですか?」
私が尋ねると、ローランド男爵は膝の上に置いていた手帳を開いた。
「読み書きのできる退役兵にお願いし、冬のあいだだけ、教会で子どもたちを見てもらっています。ただ、使える部屋の暖炉が古く、修理費が必要でして」
「教会の近くに、大工はいらっしゃいますか?」
「村に二人おります。ただ、冬は仕事が減るため、町へ働きに出ることが多いのです」
「でしたら、町へ出る前に、冬の仕事として早めにお願いしてはいかがでしょう。一部を穀物や薪で支払えるか、ご本人に相談してみる方法もあります」
ローランド男爵の手帳に書き込もうとした手が止まり、目が大きくなった。
「その方法は考えておりませんでした」
「我が家では、現金が足りないときに使います。ただし、品物での支払いを望まれるかは、先にきちんと確認してください」
「もちろんです」
男爵は、私の言葉を手帳に書き込んだ。
伯爵令嬢の出過ぎた真似だと咎めることもない。
こちらの話を遮らず、知らないことを知ったふりもしない。
(書類で見たとおり、誠実な方だわ)
領地の規模も、暮らし方も、私が望んでいたものに近い。
「遠い集落の子どもたちは、毎日通うのが難しいのではありませんか?」
「はい。ですから、週に一度は教師が荷馬車で回ることも考えています」
窓際で、侯爵様の指が一度動いた。
口を挟まないよう努力はなさっているらしいものの、ローランド男爵へ向けた眉間の皺は深くなっている。
「侯爵様。何かございますか?」
「教師一人で、教室と集落の巡回を続けられるだろうか」
私も、次に同じことを聞こうとしていた。
ローランド男爵は、手帳の端を親指でなぞった。
「正直に申し上げれば、難しいと思います」
「では、どうする?」
「読み書きのできる者を、領民の中からもう一人育てたいと考えています。すぐに教師として雇える者はいませんが、今教えている子どもの中から、将来そうなりたい者が出てくれれば」
「長い時間がかかるな」
「はい。学校の建物を作ることより、教えられる人を増やすほうが時間はかかると思っております」
侯爵様は一度うなずき、それ以上は何も尋ねなかった。
ローランド男爵は、立派な学校をすぐに作れるとは言わない。
今できることと、できないことを分けて考えている。
「お話を伺っていると、領地を実際に見てみたくなります」
ローランド男爵の声が、一段弾んだ。
「次にお会いできるのでしたら、領地図をお持ちします。教会と集落の位置も、ご覧いただいたほうが分かりやすいでしょう」
「ぜひ、拝見したいです」
自然に、二度目の約束が決まった。
侯爵様だけでなく、私の縁談も、最初の面談を越えたのだ。
ローランド男爵は帰り際、もう一度こちらを見て、穏やかに笑った。
男爵が退室すると、侯爵様はすぐに尋ねた。
「もう一度、会いたいか?」
ずいぶん早い質問だった。
「はい。よい方だと思います。領地経営の考え方も近く、私の意見もきちんと聞いてくださいました」
「そうか」
侯爵様は面談記録の上で羽根ペンを握ったまま、紙には触れなかった。
「何か、気になることがございましたか?」
「いや。あなたの条件によく合っていると思う」
「でしたら、なぜそのようなお顔を?」
「どのような顔だ?」
聞き返されても、説明は難しい。
眉間の皺も、固く結んだ口元もいつもどおりなのに、紙の上のどこにもない欠点を探しているように見えた。
「……考え込んでいらっしゃるお顔です」
「考えていた」
「何をですか?」
「まだ、まとまっていない」
考えがまとまるまでは口にしない。
侯爵様は、そういう方なのだ。
◆
それから十日後。
侯爵様とアイリス嬢、私とローランド男爵は、それぞれ二度目の面談を迎えた。
侯爵様にも私にも、二度目がある。
(これは、もしかすると……)
今度こそ、花嫁と夫が見つかるかもしれない。
同じ貸し館を一日借り、午前にアイリス嬢、午後にローランド男爵との面談を入れた。
アイリス嬢との話が終わったあと、迎えの馬車が来るまで少し時間があった。
一方、ローランド男爵は約束より早く到着した。
二人は館の係員に、使用人の目が届く共用の読書室へ案内されていた。
私たちが読書室へ向かうと、中から弾んだ話し声が聞こえてくる。
二人の間には、ローランド男爵が次の面談で見せるはずだった領地図が広げられていた。
「こちらが、教会ですか?」
アイリス嬢が地図の一角を指している。
「はい。隣の空き地も男爵家の所有です。校舎を建てられるほど広くはありませんが、子どもたちが外で遊ぶ場所にはできます」
「村から歩いて、どのくらいでしょう?」
「遠い家でも半刻ほどです。ただ、丘の向こう側の集落からは難しいので、荷馬車を出したいと考えています」
「女の子も通えますか?」
「もちろんです。読み書きができれば、商家や役所で働く道も増えますから」
アイリス嬢は、侯爵様との面談中よりも早く言葉を返していた。
ローランド男爵も、私との面談では慎重に言葉を選んでいたのに、今は地図の上へ次々と印をつけている。
二人とも、私たちが入ってきたことに気づいていない。
侯爵様が、私の隣で足を止めた。
「ずいぶん話が弾んでいるな」
「ええ。大盛り上がりです」
声をかけると、ローランド男爵が勢いよく立ち上がった。
椅子の脚が床を擦り、男爵の顔からさっと血の気が引く。
「侯爵様、アデル様。申し訳ございません。ベル嬢が、地方の学校についてご関心をお持ちだと伺いまして」
「ローランド様」
アイリス嬢が、地図を押さえたまま男爵を見上げた。
「学校についてお尋ねしたのは、私です」
「ですが、私は――」
ローランド男爵の手が、地図の上で止まった。
侯爵様の花嫁候補に、自分の領地の話をしていたことに今さら気づいたのだろう。
侯爵様は二人の向かいへ座り、地図を覗き込んだ。
「ベル嬢」
「はい」
「この学校を、実際に見てみたいと思うか?」
アイリス嬢は侯爵様を見たあと、ローランド男爵を見つめた。
「はい。まだ何もない場所から、どのように始めようとなさっているのか、見てみたいです」
「では、私に遠慮する必要はない」
侯爵様はローランド男爵へ顔を向けた。
「領地へ招きたいのであれば、私ではなく、ベル嬢本人に頼んでくれ」
「よろしいのですか?」
「私の許可で、彼女の行き先が決まるわけではない」
ローランド男爵は息を吸い、改めてアイリス嬢へ向き直った。
「私の領地は小さく、学校もまだ形になっておりません。それでもよろしければ、一度、見に来ていただけませんか?」
「ぜひ」
侯爵様との結婚について尋ねられたときより、迷いのない返事だった。
私は侯爵様の横顔を見た。
膝に置いた手にも、声にも変化はない。
侯爵様は二人の間に広げられた地図を覗き込み、学校を建てる予定の場所を確かめていた。
「本当によろしいのですか?」
「二人が望んでいるなら、止める理由はない」
「ローランド様は、私の夫候補でもあるのですが」
侯爵様は、そこで初めて私を見た。
「あなたは、ヘイル男爵と今後も会いたいか?」
条件には合っている。
話もしやすく、領地への考え方にも共感できた。
けれど、アイリス嬢へ学校の話をしている男爵は、私との面談中よりずっとよく笑っている。
「よい方だと思います」
「それは聞いた」
「ですが、私と話していたときより、今のほうが楽しそうです」
侯爵様がアイリス嬢を見る。
「ベル嬢も同じだな」
「ええ」
それなら、結論を急ぐ必要もないだろう。
「お二人が領地をご覧になってから、改めて考えます」
「分かった」
いつもは考えてから答える方なのに、返事だけが妙に早かった。
――その理由を、このときの私は深く考えなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
条件が合うことと、会話が弾むことは、やはり別のようですよね
次回、二人から届いた手紙とともに、侯爵様とアデルの関係にも小さな変化が訪れます。
全9話 毎日21時10分更新です。よろしくお願いします。




