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条件に合う花嫁を探してほしいと言われましたが、最後に残ったのは私でした   作者: 岸根しき


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第3話 健康、借金、歯


 五日後。


 私はローデン侯爵家の家族用の居間で、侯爵様と向かい合っていた。


 表向きは、十二歳になる侯爵様の妹、エレノア嬢のお茶会へ招かれたことになっている。


 二十三歳の私が、十二歳の令嬢から何度もお茶会へ招かれるのは、少々不自然だ。


 けれど、貧しい伯爵令嬢と名門侯爵様の間に何かあるなどと、誰も考えない。


(それはそれで、少し複雑だけれど)


「アデル様、本日はお越しくださり、ありがとうございます」


 エレノア嬢は、年齢に似合わぬ丁寧な礼をした。


 淡い金色の髪を三つ編みにし、薄桃色のドレスを着ている。侯爵様と同じ灰緑色の目は、兄よりずっと表情豊かだった。


「こちらこそ、お招きありがとうございます。お部屋をお借りして、申し訳ございません」

「兄の結婚は、我が家にとって大切な問題です。どうぞお気になさらないでください」

「エレノア」


 侯爵様が妹君の名を呼んだ。


「大切な問題ではございますよね?」


 エレノア嬢は、兄をまっすぐ見返した。


 侯爵様の眉間の皺が深くなった。


「兄は昨夜も、遅くまで机へ向かっておりました」

「言わなくてよい」

「宿題をお手伝いしましょうかと申し上げたのですが、自分で考えると断られました」

「エレノア」

「中身は見ておりませんので、ご安心ください」


 妹君は涼しい顔で答えると、居間の隅にある小卓へ戻った。


 薄桃色の布を刺繍枠へ張り、黙々と針を動かし始める。


(仲のよいご兄妹なのね)


 侯爵様は眉間を一度押さえてから、懐から一枚の紙を取り出した。


 エレノア嬢の針先が布の上で止まる。


 兄がどのような答えを出したのか、やはり気になるのだろう。


 差し出された紙には、三行だけ書かれていた。




 一、健康である。


 二、借金がない。


 三、歯がすべてそろっている。




「……侯爵様」

「何だ?」

「これでは、健康で借金のない成人男性が一名いる、ということしか分かりません」

「歯もある」

「そこを主張なさると、ますます売買目録らしくなります」


 侯爵様は、自分が書いた三行へ目を走らせた。


 冗談ではない。


 紙を見る顔は、領地の収支報告を確認するときと変わらないほど真剣だった。


「借金がないことは、結婚相手として重要だと思ったが」

「重要ではあります。ただ、侯爵様がどのような夫になるかとは、別のお話です」


 侯爵様は紙を卓へ戻した。


「では、何を書けばよい?」

「そうですね。私が候補者の方へ侯爵様をご紹介するなら……」


「人の話を最後まで聞く。身分によって態度を変えない。約束を守る。立場の弱い方に無理をさせない。間違いを指摘されたら、言い訳をせずに直す」


 一つずつ数えていた指が、すべて開いていた。


「三つを超えてしまいましたね」


 けれど侯爵様は、開いた私の手を見ていなかった。


 紙へ落ちていた目が、まっすぐ私へ向く。


「それを……私の長所だと思っているのか?」

「違うのですか?」

「いや。だが、自分では考えたことがなかった」

「少なくとも、お会いしてから一度も爵位を振りかざさず、私の意見も最後まで聞いてくださいました」


 候補者の女性たちが結婚以外の道を望めば、侯爵様はその意思を尊重した。


 私から条件書を否定されても、腹を立てるのではなく、自分の手で書き直した。


「誠実な方だと思っておりますよ」


 侯爵様は羽根ペンを置き、右手で口元を覆った。


 眉間には深い皺があるのに、耳の上だけが赤い。


 その顔を隠すように、窓のほうを向いてしまった。


(……褒め方を間違えたかしら)


 部屋の隅で、エレノア嬢の針が止まった。


 妹君は刺繍枠へ顔を伏せている。けれど唇の端が上がっており、どう見ても笑いをこらえていた。


「侯爵様?」

「……問題ない」

「でしたら、今申し上げた中から三つお選びください」


 侯爵様は二呼吸ほど口元を覆い、それから紙へ向き直った。


「すべてでは駄目なのか」

「五つも並べると、自慢が強く見えます」

「三つならよいのだな」

「はい。三つなら、長所です」


 侯爵様は真剣な顔で、紙の裏側へ新しい答えを書いた。


 一、人の話を最後まで聞く。


 二、約束を守る。


 三、間違いを認め、必要なら直す。


「これなら、候補者の方にお伝えできます」

「そうか」


 侯爵様は、私が夫に求める条件を書いた紙を取り出した。


「一つ、確認していなかった」

「何でしょう?」

「アデル嬢は、夫の容姿に希望はあるのか?」

「健康で、歯がそろっていれば」


 侯爵様の羽根ペンが止まった。


「やはり重要ではないか」

「侯爵様があまりにも堂々とお書きになったので、影響されました」


 侯爵様の唇の端に、浅い弧ができた。


 笑ったのだと気づいたときには、部屋の隅でエレノア嬢が刺繍枠を口元へ押し当てていた。


 肩が揺れており、針は当分進みそうにない。




 その日の午後は、ギデオンが用意した候補者の資料へ目を通すことになった。


 卓の上には、いくつもの紙束が並べられている。


「こちらが、侯爵様へ正式に縁談を申し込まれた家でございます」


 最も厚い束だった。


 紙の端へ目を走らせただけでも、十名を超えている。


「こちらは、まだ正式な申し込みには至っておりませんが、侯爵家との縁談を希望していると確認できた方々です」


 二つ目も、最初の束とほとんど変わらない厚さだった。


(本当に、選び放題なのね)


 普通なら、この中から最も家格が高く、持参金が多く、見目のよい令嬢を選べば終わる話である。


 それでも侯爵様には、婚約者がいない。


 六人へ会って、六人とも別の場所へ送り出した実績がある。


「すべての方とお会いになる必要はございません」


 私は資料を一枚ずつめくった。


 家柄、年齢、持参金、健康状態。父親の役職から、家族に大きな借金がないかまで、どの書類にも細かく記されている。


(たしかに、調査そのものには問題がなさそうね)


 これだけ調べても、人を知るには数字だけでは足りないということだろう。


「ご本人が、日頃どのように過ごしているか分かる資料はございますか?」


 私が尋ねると、ギデオンはすぐに別の紙束を差し出した。


「慈善活動、ご家族以外との交流、領地での評判につきましても、分かる範囲でまとめております」


 さすがに仕事が速い。


 私は資料を一枚ずつめくった。


 最初に気になったのは、二十四歳のアイリス・ベル子爵令嬢だった。


 聡明で思いやりがあり、一度引き受けたことを途中で投げ出さない女性だという。


 三年前から、領内の教会で、冬のあいだだけ子どもたちへ読み書きを教えていた。


 一年目は家族の寄付で教師を雇った。二年目、寄付を続けてもらえなくなると、自分で教会へ通った。三年目には、読み書きを覚えた娘の一人が、小さな商店の帳場で働き始めている。


「この方と、お会いしてみたいです」


 私はアイリス嬢の資料を、侯爵様の前へ置いた。


「家臣たちは、家格の釣り合いを考えて、これまで候補に入れていなかったようだ」

「侯爵様の条件書には、妻の実家から多額の援助を受けること、とは書かれておりませんでした」

「書いていない」

「でしたら、家格よりご本人を見てもよいのでは?」


 侯爵様は資料を手に取り、アイリス嬢が続けている教室について目を通した。


「家からの支援が途切れても、三年間続けているのか」

「責任感のある方なのでしょう。始めたことを、費用が出なくなったからと放り出さなかったのですから」

「分かった。会ってみよう」


 私の夫候補については、すでに侯爵様が一人選んでいた。


 ローランド・ヘイル男爵、三十歳。


 小さな領地を持ち、農地の改良と、領内に学校を作るための準備を進めている。


 借金はなく、領民との揉め事も少ない。豊かではないが、収入に見合わない事業へ手を出したこともなかった。


「私の条件に、ずいぶんよく合っていますね」

「だから選んだ」


 侯爵様は、当然のように答えた。


 面談の日取りを決めようとしたところで、侯爵様がアイリス嬢の資料へ手を置いた。


「アイリス嬢との面談には、あなたも同席してほしい」

「私がですか?」

「ああ」

「私は侯爵様の依頼を受けておりますが、縁談の当事者ではございません。初回の面談に部外者が同席するのは、先方も落ち着かないのでは?」

「今まで六人と会い、一人とも二度目へ進まなかった」


 侯爵様は、真顔のまま続けた。


「私の発言に問題がある可能性は高い。一度、そばで見てほしい」


 ここまで堂々と、自分に問題があると言える方も珍しい。


「先方がご了承くださるなら……」

「分かった」


(まだ最後まで申し上げていないのだけれど)


 侯爵様は、今度はローランド男爵の資料へ手を置いた。


「そしてあなたとヘイル男爵の面談には、私も同席したい」

「なぜですか?」

「あなたが相手のどこを見て判断するのか、知りたい」

「侯爵様がいらしたら、男爵が緊張なさいますよ」

「邪魔はしない」

「侯爵様は、そこにいらっしゃるだけで十分な圧がございます」


 侯爵様は自分の肩幅を確かめるように、左右を見た。


「小さくはなれない」

「そういうお話ではございません」


 部屋の隅で、エレノア嬢が刺繍枠へ顔を伏せた。


 その肩がまた揺れている。


「候補者ご本人が了承なさるなら、最初の一度だけです」

「分かった」

「お話に口を挟まないでくださいね」

「努力する」

「お約束はいただけないのですか?」


 侯爵様の眉間に皺が寄った。


「どうしても確認したいことがあれば、尋ねる」


(それは、口を挟むということでは?)


 結局、アイリス嬢とローランド男爵の双方から了承が得られ、私たちは互いの最初の面談へ同席することになった。


 侯爵様の花嫁候補と、私の夫候補。




 ――この二つの面談が、誰も予想しなかった方向へ転がっていくことを、このときの私はまだ知らなかった。



最後までお読みいただき、ありがとうございます!

侯爵様は意外と自己肯定感が低いのか…?


次回、侯爵様の花嫁候補と、アデルの夫候補がそれぞれ面談します。

全9話 毎日21時10分更新です。よろしくお願いします。


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