第2話 侯爵様が私の夫も探すそうです
「ですが、私は仲人ではございません。先ほどの二組も、結婚させるつもりで口を出したわけではありません」
「分かっている。二組とも、あなた自身が結婚に至るとは考えていなかったことも調べた」
そこまで調べたうえで、私を訪ねてきたのだ。
(ギデオンの書類入れが、あれほど傷んでいるわけだわ)
侯爵様が右手を差し出すと、ギデオンは書類入れから数枚の紙を取り出した。
「こちらが、依頼内容と報酬の案でございます」
差し出された書類を受け取り、一枚目から順に目を通す。
候補者の身元や財産状況の調査と、先方との連絡は侯爵家が行う。私は候補者と話し、本人の希望や侯爵様との相性を確かめる。
契約期間は半年。月ごとの業務報酬に加え、縁談がまとまれば成功報酬が支払われる。
最後に記された金額を見て、指が止まった。
(……桁を一つ、見間違えたかしら)
数字を一桁ずつ指先で追ったが、額は変わらない。
春まで延期していた水路の補修ができる。収穫の少なかった家へ、冬を越すための薪を配れる。母が運営を手伝っている診療所にも、必要な薬をそろえられるだろう。
それでも、私に用意されていたものより多い持参金が残る。
父が亡くなり、五歳下の弟ニコラスが伯爵位を継いだのは、二年前のことだ。
弟はまだ十八歳だが、農地や水路のことには詳しく、よく働いている。母は領内の診療所の運営と、働けなくなった領民への支援を担当している。私は帳簿と商人との交渉、屋敷と領地の修繕を受け持っていた。
家族総出で領地を守っているのは、仲がよいからだけではない。
人を増やす余裕がないのだ。
私のために残されていた持参金も、昨年の大雨で壊れた橋の修繕へ使った。
領地を一部売れば、改めて用意することはできる。けれど、私が嫁ぐために、そこで暮らす領民の畑や家を手放すつもりはなかった。
(これだけあれば、私にも縁談が来るかもしれない)
胸の内でそう考えた直後、別の使い道が浮かぶ。
(でも、ニコラスの結婚費用へ回したほうが、伯爵家のためになるのでは?)
弟は当主なのだから、いずれは跡継ぎのことも考えなければならない。
書類を卓へ伏せた。
高額な報酬には心が動く。だからこそ、金額だけで引き受けるわけにはいかなかった。
「お返事の前に、侯爵様がどのような女性をお望みなのか、伺ってもよろしいですか?」
「もちろんだ」
「王家に連なるご令嬢や、王都で名を知られた方をお求めでしたら、私にはお引き受けできません」
侯爵様ご自身が、十分すぎるほど高嶺の方である。
望めば、私では声をかけることさえ難しい家の令嬢を、何人でも候補へ挙げられるだろう。
「私は地方の小さな伯爵家の娘です。社交界に知り合いはおりますが、名家のご令嬢に次々と縁談を持ち込めるほど、人脈は広くございません」
報酬につられて引き受けたあとで、私の力では見つけられないと言い出すわけにはいかない。
「侯爵様があまりにも高い条件をお持ちでしたら、私はお役に立てないと思います」
「高い条件かどうかは、私には分からない」
侯爵様がギデオンへ手を差し出した。
今度は、先ほどの契約書より厚い紙の束が出てくる。
「こちらが、侯爵様のご希望でございます」
受け取った条件書には、三十を超える項目が並んでいた。
領地で暮らし、社交を任せられること。
領地経営を理解し、浪費をしないこと。
侯爵様が王都へ出ている間は屋敷と領地を守り、使用人をまとめ、領内の慈善事業を監督すること。
後継者について前向きに話し合えること。
二枚目へ進んでも、妻がすることばかりだった。
(高嶺の花を求めているというより、働き手を探しているような……)
最後まで目を通し、私は紙の束を卓へ戻した。
「侯爵様がお探しなのは、妻ですか。それとも無給の家令ですか」
「妻だ」
侯爵様は即答した。
本気で、妻の条件を書いたつもりなのだ。
「でしたら、これは書き直してください」
侯爵様が条件書を引き寄せる。
私は項目の並んだ箇所を指で示した。
「妻に求めることばかりで、侯爵様が夫として何を約束するのか、一つも書かれておりません」
「生活と身分は保障する」
「それは妻に与える恩恵ではなく、結婚するうえでの最低限です」
ギデオンが懐から手帳を取り出した。
すでに書き直す気でいる。
「たとえば、大きな決定をする前には妻の意見を聞く。妻が望む仕事や活動を、侯爵家の都合だけで取り上げない。家計や領地の情報を共有する。子どものことは、二人で話し合う。そういったお約束です」
私が一つずつ挙げる間、侯爵様は条件書の余白へ短い印をつけていた。
「どれも当然ではないのか?」
侯爵様の羽根ペンが止まった。
今挙げたことを当然だと言える男性が、この国の貴族社会にどれほどいるだろう。
夫が決め、妻が従うことを当然と考える家は多い。
(条件書ほど、ひどい夫にはならなそうね)
「侯爵様が当然だとお考えでも、候補者の方には分かりません。言わなくても分かると思い始めると、大抵は分からないものです」
「なるほど」
侯爵様は卓の端にあった白紙を引き寄せ、私が挙げた内容を書き始めた。
(指摘されたことを、聞き流す方ではないのね)
ここまで受け入れられるなら、もう少し言ってみてもよいだろうか。
「それから、候補者の方が続けたい仕事や活動をお持ちなら、できる方法を一緒に考えること。侯爵夫人の役目をすべて一人に押しつけず、使用人や侯爵様ご自身と分担することも必要だと思います」
さすがに求めすぎたかもしれない。
広い侯爵領を治める方に、妻の仕事まで手伝えと言っているのだから。
「分かった」
ところが侯爵様は、あっさりとうなずいた。
「……よろしいのですか?」
「一人でできない仕事なら、分けるのが普通だろう」
侯爵様は羽根ペンを持ったまま、当然のように次の項目を待っている。
(条件書の厚さに反して、器はずいぶん大きいのね)
条件書へいくつか書き足しているうちに、紙へ落ちていたはずの侯爵様の目が、私へ向いていた。
「何でしょう?」
「あなたなら、夫に何を求める?」
「私ですか?」
「ああ。先ほどから、妻が夫に望むことを迷わず挙げている。あなた自身なら、どのような男性を選ぶのかと思った」
条件書を直すための、世間話のようなものだろう。
それでも、自分の条件を書かれる番になると、膝の上の指が急に気になった。
「爵位は、伯爵でなくても構いません」
「子爵か?」
「子爵……いえ、男爵でも」
侯爵様は、なぜか私の答えを余白に書き留めた。
(侯爵様の条件書を直していたはずなのに、なぜ私の希望を記録しているのかしら)
「小さな領地であっても、自分の力で暮らしを維持している方がよいです。借金がなく、誠実で、人の立場を考えられる方。それから、結婚後も、必要なときにはラングフォード領を手伝うことを認めてくださる方が希望です」
「領地を持たない男性は?」
「生活の基盤があり、ご自分で働いていける方なら構いません。ただ、我が家の領地を馬鹿にする方は困ります」
侯爵様は、私の言葉を一つずつ紙に書き留めた。
「大きな家を背負うより、小さな領地で穏やかに暮らしたいのか?」
「そうですね。家族がきちんと顔を合わせ、困ったことがあれば話し合える暮らしが、私には合っていると思います」
「分かった」
侯爵様は、それ以上尋ねなかった。
私は未婚の伯爵令嬢だ。
けれど侯爵様は、私を花嫁候補として見ることなく、別の女性を探してほしいと依頼している。
(まあ、当然よね)
持参金も、侯爵家へ利益をもたらす後ろ盾もない。
私は初めから、侯爵様が求める女性の範囲外なのだろう。
侯爵様は、私が挙げた条件を上から下まで目で追った。
「その条件なら、候補者は見つかりそうだ」
「相手が私を望むかは、別の話です」
「なぜだ?」
あまりにも自然に尋ねられ、私は一度言葉を止めた。
「先ほど申し上げたとおり、我が家には私の持参金を用意する余裕がございません。裕福な商家から話を持ちかけられることはありますが、相手が欲しいのは伯爵位を持つ弟です」
「あなたと結婚しても、爵位は得られないからか」
「はい。ですから、私にも縁結びの才があるのなら、まず自分へ使っております」
侯爵様の羽根ペンが紙から離れた。
条件書へ目を落とし、やがて、私の希望を書き留めた紙を持ち上げた。
「それなら、この依頼に一つ条件を加えたい」
「条件、でございますか?」
「ああ。あなたが私の花嫁を探す間、私も、この条件に合う男性を探す」
「……私の夫を、侯爵様が?」
「私の依頼を受ければ、あなたが自分の縁談に使える時間も減る。一方だけが結婚相手を探してもらうのは、公平ではない」
先ほどまで、侯爵様の花嫁について話していたはずである。
いつの間にか、私の夫まで契約に含まれようとしていた。
「失礼ながら、侯爵様ご自身の花嫁探しも、まだ終わっておりませんが」
「候補者の身元調査に問題があったわけではない」
侯爵様がギデオンを見やる。
ギデオンは背筋を伸ばしたまま、淡々と答えた。
「家柄、財産、借金、過去の婚約歴につきましては、六名とも正確に調査しております」
そこで一度言葉を切り、主人を見た。
「結婚しなかっただけでございます。侯爵様とは」
最後の一言だけが、やけに明瞭だった。
(ギデオンの調査能力には、問題がない)
「私一人で相手を決めるわけではない」
侯爵様は、私の条件を書いた紙を卓へ戻した。
「あなたの希望をもとにギデオンが身元を調べる。候補者を見て、会うかどうかはあなたが決めればよい」
ギデオンはまぶたを閉じ、疲れを押し込めるように開いた。
(今の申し出で、一番仕事が増えたのはギデオンね)
「私がお断りした場合、侯爵家のお名前で再考を迫るようなことはなさいませんか?」
「しない」
侯爵様は迷わず答えた。
「侯爵様が条件に合うと判断した方でも?」
「あなたが暮らす相手だ。最後に決めるのは、あなたでなければ意味がない」
六人の花嫁候補を、自分との結婚よりも、本人が望む場所へ送り出してきた人だ。
口先だけではないことは、先ほどの話で分かっている。
「費用は、どうなりますか?」
「私が負担する。あなたの時間を使わせるのだから、当然だ」
律儀な方だ。
そして、私にとっては思いがけない好条件だった。
侯爵様の花嫁候補を探せば、高額な報酬が手に入る。うまくいけば、私自身も身元の確かな男性と出会える。
なにより、この方なら、相手が望まない縁談を無理に進めることはないだろう。
(お金も入る。結婚できる可能性まである)
仕事を受ける理由として、十分すぎる。
少なくとも、無欲な善意だけで侯爵様の花嫁を探すほど、私は裕福ではなかった。
「契約書を、もう一度拝見してもよろしいですか?」
ギデオンから書類を受け取り、契約期間から報酬まで順に確かめる。
候補者が縁談を断った場合でも、月ごとの報酬は減らさないこと。
面談に必要な馬車や衣装の費用は、侯爵家が負担すること。
候補者本人が望んでいない場合は、そこで話を終えること。
私が加えてほしい条件を伝えると、侯爵様は一つずつ理由を聞き、すべてギデオンへ書き加えさせた。
羽根ペンの先が最後の一文を書き終えるまで、異を唱える者はいなかった。
(この方なら、仕事の相手として信用できる)
報酬も、結婚の可能性もある。断る理由は、もうなかった。
修正された文章を確かめ、私は羽根ペンを手に取った。
「お引き受けします」
契約書の末尾に、アデル・ラングフォードと署名する。
侯爵様も、その下へ自分の名を書き加えた。
ギデオンが紙の上へ砂を振り、二人分の署名を乾かす。
侯爵様の花嫁を、私が探す。
私の夫を、侯爵様が探す。
書面に並んだ二つの依頼は、改めて見ると、ずいぶん妙な取り合わせだった。
「それでは、最初のお仕事です」
私は侯爵様の条件書を、自分の前へ引き寄せた。
「候補者に、爵位と財産以外の侯爵様もご紹介しなければなりません。ご自分の長所を三つ、考えてきてください」
「私の長所を?」
契約書へ署名したときには一度も迷わなかった侯爵様が、初めて困った顔をした。
眉間に皺を寄せ、白紙と私を交互に見る。
「今、答えるのか」
「難しければ、三日ほど差し上げます」
「三日で足りるだろうか」
「ご自分の長所ですよ?」
「だから難しい」
領地をいくつも治める侯爵様から、まさか日数の交渉をされるとは思わなかった。
「では、五日で」
「分かった」
侯爵様は、ようやく白紙を受け取った。
その横顔は、税制の書類を渡されたときより真剣に見えた。
(ご自分の長所に五日。……この花嫁探し、思ったより長くなりそうだわ)
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
侯爵様の花嫁をアデルが探し、アデルの夫を侯爵様が探す。
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