第1話 花嫁を探していただきたい
「私の花嫁を探していただきたい」
初対面のローデン侯爵様がそう切り出したのは、私の生家であるラングフォード伯爵家の応接室だった。
私たちの間には、使い込まれた木の卓がある。
侯爵様が腰掛けている肘掛け椅子は祖父の代からのもので、昨年、母と私で張り地を替えた。木枠の傷までは隠せないが、布に皺一つない。
その椅子が、今日はいつもより小さく見えた。侯爵様は背が高く、肩幅も広い。
明るい茶色の髪は後ろへきちんと流され、深緑の上着には、身分を誇示するような宝石も派手な刺繍もなかった。よく見れば、鼻筋の通った整った顔立ちをしている。
けれど、ただでさえ大柄なうえ、表情筋がほとんど働いていない。端正な顔立ちよりも、まず迫力のほうが目に入った。
灰緑色の目が、卓を挟んだ向こうから私をじっと見ている。
その右後ろには、侯爵家の家令だというギデオン・プライスが立っていた。
脇に抱えた革の書類入れは、角が白く擦れている。背筋に隙はないものの、目元には隠しきれない疲れが残っていた。
「侯爵様の花嫁を、私がですか?」
「ああ」
(聞き間違いではないのね……)
膝の上で、右の親指が左の人差し指を押さえた。
「どなたかと、お間違えではございませんか」
「アデル・ラングフォード伯爵令嬢。二十三歳。現ラングフォード伯爵ニコラス殿の姉。領地では帳簿の確認と商人との交渉、修繕の手配を担当している」
人違いでもなかった。
(すると、用件のほうがおかしい)
エリアス・ローデン侯爵様は、今年で二十八歳になる。
王都から馬車で半日ほどの場所に広大な領地を持ち、領内では穀物だけでなく、鉄と良質な木材も採れる。
爵位も財産も申し分なく、賭け事も借金も、愛人を囲っているという噂もない。使用人へ無理をさせず、領民からの評判もよい。
顔立ちも、迫力に慣れてから見れば、かなり整っている。
二十八歳という年齢を考えれば、すでに妻がいてもおかしくないどころか、侯爵家へ娘を嫁がせたい家は、王都にも地方にもいくらでもあるはずだ。
よりどりみどり、という言葉は、こういう方のためにあるのだろう。
侯爵様は、花嫁を探す必要などない。
届いた縁談の中から、気に入った令嬢を選べばよい立場である。
「失礼ながら、侯爵様には、数多くの縁談が届いていると伺っております」
「届いている」
「でしたら、私がお探しするまでもないのでは?」
「候補がいないわけではない」
侯爵様は、眉一つ動かさず答えた。
「むしろ多すぎる」
(でしょうね)
侯爵家からの縁談を待っている令嬢は、両手の指では足りないはずだ。
「それでは、なぜ私に?」
「候補者は大勢いる。だが、婚約が決まらない」
「……お一人も?」
「ああ」
侯爵様が顎をわずかに右へ向けると、ギデオンが革の書類入れを開き、厚い紙の束を取り出した。
「昨年だけで、正式な婚姻の打診が二十七件ございました」
二十七件。
私なら、そのうち一件でも届けば、母が祝いのワインを開けるだろう。
「家格、年齢、ご本人の希望などを確認し、侯爵様の条件に合うと思われた六名に、正式に面談を申し入れました」
「六名とも、お会いになったのですね」
「はい」
「婚約のお話がまとまりかけた方は?」
「一人もおりません」
ギデオンの声はよどみなかったが、紙束の角が指の下でわずかに歪んだ。
「では、二度目の面談へ進まれた方は?」
「……一人もおりません」
(思っていたより深刻だわ)
身分も財産もあり、見た目も悪くない。縁談は次々と届く。
条件に合う女性を選び、実際に六人と会った。
それなのに、一人とも二度目の面談へ進んでいない。
侯爵様ほどの方が、なぜ。
「あなたの友人のエマ・ダルトリー子爵夫人から聞いた」
侯爵様が私へ視線を戻した。
「アデル嬢が間に入った男女は、必ず結婚すると」
エマなら、あり得る。
面白い話を聞くと、その日のうちに友人へ語り、翌日には少し華やかにして夫へ語り、その翌日には、自分が最初に聞いた話との違いに驚く女性である。
本人に悪気はなく、話だけがよく育つ。
(エマ。いったい、どこまで育てたの)
「私は、進展しない二組に、少し助言しただけです」
「詳しく聞きたい」
侯爵様の肘が、先ほどより卓へ近づいた。
噂だけを信じて来たのではなく、私が実際に何をしたのか確かめたいのだろう。
「一組目はエマと、今のご主人です。お互いに気にしているくせに、三か月も舞踏会で挨拶しかしておりませんでした。お二人とも花がお好きでしたので、同じ日に温室へ行くよう勧めました」
「それで結婚した」
「私は温室を勧めただけです。その後に何を話し、結婚を決めたかは、お二人のことですから」
私の手柄にされるのは、少々落ち着かない。
けれど侯爵様は目をそらさず、続きを待っている。
「もう一組は、読書会で顔を合わせていた令嬢と、地方官のご子息です」
その令嬢は青年に好意を持っていたが、自分は嫌われているのではないかと悩んでいた。
彼女が本の感想を口にするたび、青年は決まって反対の意見を述べる。口調は固く、笑いもしない。
読書会が近づくたび、令嬢は、また否定されるのではないかと気が重くなっていたという。
「実際に嫌われていたのか?」
「いいえ。青年は、令嬢が前の月に話題に出した本を、次の読書会までに必ず読んでおりました。それも、一冊だけではなく、二冊も三冊も」
嫌いな相手が面白いと言った本を、毎月それほど熱心に読むだろうか。
「令嬢には、嫌いな方の勧めた本を、毎月三冊もお読みになるでしょうか、と申し上げました」
「それで?」
「令嬢は半信半疑ながら、次に読んでほしい本を自分から貸しました。その翌年、お二人は結婚しました」
「今も本の感想は一致するのか?」
「あまり一致しないそうです」
侯爵様の眉が、わずかに動く。
「それでも結婚したのか」
「意見の違う本について話し合うのが、お二人の楽しみになったようですよ。夫婦の書斎には、毎年新しい本棚が増えております」
考えが同じである必要はない。
違う考えを、もっと聞いてみたいと思えるなら、それも十分に相性がよいのだろう。
「二件中二件だな」
「母数が少なすぎます」
「私の家臣が条件から選んだ六人は、一人も私と結婚しなかった。二件中二件なら、彼らより優秀だ」
「比較対象が、あまりに頼りないのですが」
侯爵様の右後ろで、ギデオンが革の書類入れを抱え直した。
侯爵家の家令として反論したいところだろう。
けれど結果だけを見れば、こちらは二組が結婚し、あちらは六人全員が去っている。
反論するには、少々分が悪い。
「失礼でなければ、その六名とは、なぜお話がまとまらなかったのか伺ってもよろしいですか?」
「構わない」
侯爵様は膝の上で両手を組んだ。
「一人は、結婚より学問を続けたいと言った。女子学院への推薦状を書いた」
「侯爵様が?」
「ああ。彼女の論文を読んだが、結婚のために筆を置かせるには惜しかった」
花嫁候補の論文まで読んでいる。
「もう一人は、幼なじみの男性を想っていた。両家が反対していたので、話し合いの席を設けた」
「それで、どうなったのですか?」
「春に結婚した」
侯爵様と、ではない。
もちろん、その幼なじみとだ。
(花嫁候補の縁談を、別の男性とまとめてしまったのね)
「借金の返済のために嫁がされそうだった女性には、ローデン領の会計官を紹介した。今は、自分の給金で返済している」
「侯爵様との縁談だったのですよね?」
「ああ」
侯爵様との縁談は、いつの間に就職の相談へ変わったのだろう。
ご本人は平然とうなずいている。
「残りのお三方は?」
「王都を離れたくない女性と、実家の商会を継ぎたい女性と、海辺で暮らすことを望んでいた女性だ」
「ローデン領は内陸でしたね」
「ああ」
海辺で暮らしたい女性を、説得して内陸へ連れていくこともしなかったのだろう。
「つまり、侯爵様とお会いした皆様は、そのあと、ご自分が以前から望んでいた暮らしへ進まれたのですね」
「そうなる」
そこで、ギデオンが初めて口を開いた。
「皆様からは、たいへん丁重なお礼状を頂戴しております」
ギデオンはそう言いながら、革の書類入れを胸へ引き寄せた。
「学院での研究報告、結婚式の招待状、初任給で購入した筆記具の報告まで届きました。婚約承諾書だけが、一通もございません」
(それは、たしかに困る)
侯爵家の花嫁になりたい家は列をなしている。
それなのに、侯爵様と実際に話した女性は、自分が本当に望んでいた道へ進み、誰一人として侯爵夫人にはならない。
二十七件分の苦労が、ギデオンの目の下に刻まれていた。
私は改めて侯爵様を見た。
(この方は、花嫁を逃がしたのではない)
候補者たちが途中で諦めかけていた道を見つけ、一人ずつ、そちらへ送り出してしまったのだ。
(つまり、ものすごいお人よしなのでは?)
少なくとも、侯爵家の都合を理由に女性を縛る方ではない。
「侯爵様は、候補者の方に、どのようなお話をなさったのですか?」
「家の命令がなければ、私との結婚を望むか、と尋ねた」
「皆様は、何と?」
「はっきり断った者は一人だけだ。ほかは黙るか、目をそらした」
侯爵様は、そこで縁談を終えたわけではなかった。
沈黙した女性に、本当は何を望んでいるのかを尋ねた。その答えが、学問や幼なじみや仕事だったのだという。
侯爵様は、六人全員の希望を覚えている。
(では、何が足りなかったのだろう)
六人との面談を、順に並べてみる。
家の命令がなければ、自分との結婚を望むか。
望まないなら、ほかの道を選んでよい。
相手が望むものを聞き、それを叶える。
一見、何も間違っていない。
けれど、一つだけ抜けているものがあった。
「侯爵様は、その方のどこを見て、妻に迎えたいと思ったのか、ご本人にお伝えになりましたか?」
侯爵様の指が、組んでいた手の上で止まった。
「家柄と年齢、それから、領地で暮らせるかは話した」
「それは、侯爵様が妻に求める条件です」
「違うのか?」
「その方でなくてはならない理由とは、違います」
侯爵様は組んだ指を動かさず、私の続きを待った。
「断ってもよいとお伝えになったことは、誠実だと思います。ですが、侯爵様ご自身が、その方を妻として望んでいるとは、一度も伝えていないのでは?」
「……伝えていない」
「でしたら候補者の方は、自分でなくてもよいのではないか、と思われたのかもしれません」
「自分でなくても?」
「侯爵家の条件に合う令嬢の一人として呼ばれただけで、侯爵様が自分の何を見てくださったのか分からないのですから」
爵位も財産も、結婚相手を考えるうえでは大切だ。
けれど、どれほど立派な家から求められても、自分でなくてもよいように感じれば、心からそこへ飛び込むのは難しい。
「侯爵夫人には、大きな責任がある」
侯爵様の親指が、人差し指の節を押した。
「別の人生を望みながら、憂いを抱えたまま嫁いでほしいわけではない。覚悟のない女性に、家と領地を背負わせるつもりもなかった」
「そのお考えは、立派だと思います」
「だが、私は、断ってよい理由ばかり渡していたのか」
私は少し考え、うなずいた。
「受けたいと思う理由を、ほとんどお渡ししていなかったのだと思います」
侯爵様の目が、卓の木目へ落ちた。
返事はない。
(……あ)
その沈黙で、私はようやく我に返った。
私は今、私の家より何倍も大きな領地を治める侯爵様に、初対面で結婚のやり方を説いている。
(ずいぶん失礼なことを申し上げたのでは?)
左の爪が、右手袋の縫い目をなぞる。
けれど侯爵様は、私の家格を持ち出すことも、言い訳をすることもなかった。
「だから、あなたに頼みたい。家柄や年齢だけでなく、その人が何を望み、私との暮らしをどう考えているかを見てほしい」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
両片思いを描きたくて始めました。
短編のつもりがどんどん文字数が増えてしまい…全9話となりました‥!
最後までお付き合いいただけますとうれしいです。
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