No.65 同い年の魔術師
放課後の校舎は人の流れが多い。
部活動に向かう生徒たちの声。
実技棟へ走っていく足音。
誰かが廊下の端で魔術式の展開について言い合っている声。
そのざわめきの中を、鈴菜と梨亜は並んで歩いていた。
「それにしても、今日は珍しく最後まで学校にいたわね」
「珍しくはない」
「最近は、ね」
梨亜はそこを強調するように言った。
鈴菜は少しだけ視線を逸らす。
「レノ君も梨亜も真面目すぎるのでは」
「失礼ね。私は親切で言っているのよ」
「レノ君も同じこと言う」
「あら。では正しいということね」
当然のように返されて、鈴菜は黙った。
その反応に、梨亜は満足そうに微笑む。
昇降口が近づくにつれ、外から差し込む夕方の光が廊下に伸びていた。
赤く傾いた光が床に落ち、生徒たちの影を長く引き伸ばしている。
校門前まで来たところで、鈴菜はふと目を見開いた。
「……レノ君?」
梨亜もつられて視線を向ける。
昇降口の少し外。
校門へ続く道の手前に、玲音が立っていた。
鞄を肩にかけたまま、どこか落ち着かない様子で周囲を見回している。
誰かを待っているようにも見えた。
けれど、鈴菜たちに気づくと、玲音はぱっと顔を上げた。
「鈴菜先輩!」
玲音は小走りで近づいてくる。
その表情はいつも通り真面目そうだったが、どこかそわそわしていた。
鈴菜は首を傾げる。
「どうしたの」
「いえ、その……少し相談があって」
「依頼?」
「違います」
即答だった。
梨亜が少し目を細める。
「それなら、何か困りごとかしら?」
玲音は梨亜にも軽く頭を下げた。
「梨亜先輩にも、できれば聞いてほしくて」
「私にも?」
「はい」
玲音は一度、言葉を選ぶように口を閉じた。
普段の玲音なら、鈴菜に対しては説教も注意もわりとはっきり言う。
けれど今は、どこか言い出しにくそうだった。
鈴菜はその様子をじっと見た。
視線が落ち着かない。
言葉を飲み込んでいる。
それに、校門前にはまだ下校する生徒たちが多く行き交っていた。
ここで話すには、少しだけ人目が多すぎる。
「場所、変えよう」
魔導大図書館の中庭は、校門前の騒がしさが嘘のように静かだった。
高い壁に囲まれた庭に、天窓から夕方の光が差し込んでいる。
人通りはまばらで、少し離れた場所に談笑する人々の姿がちらほら見える程度だった。
中央には小さな噴水があり、ひんやりとした風が水音を運んでくる。
鈴菜は噴水のそばにある白い石のベンチへ腰を下ろした。
「ここの中庭は、いつ見ても素敵ね」
梨亜もそう言って、鈴菜の隣に座る。
玲音は少し迷ったあと、向かい側のベンチに腰を下ろした。
「ここなら話しやすいと思う」
鈴菜が言った。
玲音は中庭を見回してから、小さく頷く。
「ありがとうございます」
そう言って、膝の上で軽く手を握った。
校門前にいた時よりは落ち着いている。
けれど、まだ言葉を選んでいるのが分かった。
鈴菜はそんな玲音を急かさず、静かに待っている。
梨亜も同じだった。
噴水の水音だけが、三人の間に落ちる。
やがて玲音は、一度小さく息を吸った。
「……海成くんのことなんですけど」
その名前が出た瞬間、梨亜の表情がわずかに変わった。
驚いた、というよりは、来るかもしれないと思っていた言葉を静かに受け止めたような顔だった。
鈴菜は瞬きをする。
「海成くん?」
「はい」
玲音は頷いた。
「僕、海成くんと……仲良くなりたいんです」
言ったあと、玲音は少しだけ視線を落とした。
自分で口にして、少し恥ずかしくなったようだった。
「変な言い方かもしれませんけど」
「変じゃない」
鈴菜はすぐに言った。
玲音が顔を上げる。
鈴菜はいつも通り、淡々とした表情をしていた。
「仲良くなりたいのは、変じゃない」
その言葉に、玲音の肩からほんの少し力が抜ける。
梨亜も穏やかに微笑んだ。
「海成と、なのね」
「はい」
玲音は梨亜へ向き直る。
「同い年ですし、これから一緒に行動することも増えると思います。
でも、まだちゃんと話せていない気がして」
「海成は、あまり自分から話す子ではないものね」
「はい。必要なことは話してくれます。でも、それだけというか」
玲音は言葉を探すように、少し黙った。
噴水の水音が、静かに間を埋める。
「僕、海成くんのことを梨亜先輩の護衛としてだけ見るのは、違う気がしていて」
梨亜の目が、わずかに見開かれた。
玲音はそれに気づき、少し慌てたように続ける。
「あ、すみません。偉そうに聞こえたら」
「いいえ」
梨亜は首を横に振った。
その声は、いつもより少し柔らかかった。
「続けて」
玲音は小さく息を吸う。
「海成くんが梨亜先輩のそばにいる理由も、役目があることも分かっています。
でも、それだけじゃなくて……僕は、海成くん自身とも話してみたいんです」
鈴菜は黙って玲音を見ていた。
梨亜も、何も言わない。
玲音の言葉を、最後まで待っている。
「僕がそう思うのは、勝手なのかもしれません」
玲音は少しだけ苦笑した。
「でも、気になるんです。海成くんって、いつも少し引いている感じがして」
玲音は言葉を探すように、噴水の水面へ視線を落とした。
「誰かと一緒にいても、どこかに線を引いているように見えるというか……」
そこで一度、言葉が途切れる。
膝の上で握った手に、ほんの少し力が入った。
「それに」
玲音は少し照れたように、視線を落としたまま続ける。
「海成くんは、僕の兄弟子でもありますし」
鈴菜は何も言わず、ただ玲音の続きを待った。
玲音は少しだけ困ったように笑う。
「それに、同い年の魔術師なんて初めてで……」
言いながら、声が少し小さくなる。
けれど、そこで黙り込むことはしなかった。
「友だちになれるかな……なんて、思ったんです」
最後の方は、玲音の本音がそのままこぼれたような声だった。
言い終えた玲音は、自分で恥ずかしくなったのか、さらに視線を落とす。
中庭に、噴水の音だけが静かに響いた。
鈴菜はしばらく玲音を見ていた。
それから、淡々と言う。
「いいと思う」
玲音が顔を上げる。
「え?」
「友だち。いいじゃん」
鈴菜の声に、迷いはなかった。
梨亜もそっと微笑む。
「ええ。とても素敵だと思うわ」
玲音は少し驚いたように二人を見たあと、ほっとしたように息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「でも」
鈴菜は噴水の水面へ視線を向ける。
「海成くんは、なんていうか……人に慣れてなさそう。
嫌がっているわけじゃなくて、どうしたらいいか分からない感じ」
梨亜も静かに頷く。
「海成は、礼儀正しくすることや、役目を果たすことには慣れているわ」
その声には、少しだけ寂しさが滲んでいた。
「でも、自分から誰かと友人として関わることには、あまり慣れていないと思うの」
「……はい」
玲音は真剣に頷いた。
「だから、玲音くんが急に距離を詰めようとすると、海成は少し身構えてしまうかもしれないわ」
「ですよね……」
玲音の表情が少し曇る。
けれど梨亜は、そこで優しく首を振った。
「でも、近づいてはいけないという意味ではないわ」
玲音が顔を上げる。
「だから、最初から近づきすぎるより、海成が少しずつ慣れられるくらいの距離がいいと思うわ」
「少しずつ、ですか」
玲音はその言葉を確かめるように呟いた。
鈴菜は少し考えるようにして、ぽつりと言う。
「用事があると話しやすいかも」
「用事、ですか」
「訓練とか」
玲音は少し考え込む。
「魔術の訓練に誘う、ということですか?」
「うん」
鈴菜が頷く。
「海成くんは、理由がある方が動きやすそう」
梨亜もその言葉に頷いた。
「それはあるかもしれないわね。
ただ遊びましょうと言われるより、訓練や確認のように目的がある方が、海成も受け入れやすいと思うわ」
「なるほど……」
玲音は真剣に頷いた。
鈴菜はそんな玲音を見て、少しだけ目を細める。
「でも、難しく考えすぎない方がいい」
「難しく、ですか」
「うん。作戦みたいになると、友だちというより任務っぽい」
梨亜が小さく笑った。
「確かに、少し作戦会議みたいになってしまったわね」
玲音の表情にも、ようやく少し笑みが戻る。
「いえ。僕には、すごく助かります」
「ならよかったわ」
梨亜が穏やかに微笑む。
中庭の空気が、最初よりも少し柔らかくなっていた。




