No.63 朝に弱い魔法師
海成と顔を合わせてから数日。
鈴菜の生活には、少しだけ変化があった。
「おはよう、スズ」
朝、教室へ入ると同時に聞こえてくる声。
窓際の席で手を振る梨亜に、鈴菜は軽く手を上げて応えた。
「……おはよう」
返事はした。
だが、その声はいつもより低く、少しかすれている。
鈴菜は長机の隣の席へ向かうと、鞄を机の横に掛け、そのまま椅子に座った。
そして、机に頬杖をつく。
目が半分しか開いていなかった。
梨亜はその様子を見て、ほんの少し眉を上げる。
「スズ、顔が死んでいるわ」
「生きてるよ」
「そうは見えないわね」
「朝だからね」
鈴菜は短く答えた。
以前なら登校しない日も珍しくなかった。
魔術の訓練や依頼を理由に休み、登校したとしても昼から顔を出す程度。
そんな生活が長く続いていたのだ。
だが最近は違う。
玲音に何度も説教され、さらに梨亜まで加勢した。
『学校へ行きなさい』
『出席日数は大事だわ』
『勉強も大事よ』
『実践的な魔術師になるなら、なおさらね』
二人が思いのほかしつこかった。
結果――。
鈴菜はほぼ毎日登校するようになっていた。
ただし、朝に強くなったわけではない。
「今日もちゃんと来たのね」
「毎日来てる」
「とても素晴らしいことだわ」
梨亜は満足そうに頷く。
まるで保護者だった。
鈴菜は少しだけ遠い目をした。
「……眠い」
「早く寝ればいいじゃない」
「寝てるよ」
「じゃあ、どうしてそんなに眠そうなの」
鈴菜は数秒だけ黙った。
それから、机に頬杖をついたまま、ぼそりと言う。
「夜、目が覚めちゃうんだよねー」
語尾だけ妙に軽かった。
そのせいで、深刻なのか適当なのか判断しづらい。
梨亜は目を瞬かせた。
「夜中に?」
「うん。変な時間に目が覚める」
「それで眠れなくなるの?」
「なる時もある」
「……それは、あまり良くないわね」
梨亜の声が少しだけ真面目になる。
鈴菜は、それを気にするでもなく小さくあくびをした。
「でも授業中に寝れば平気」
「平気じゃないわ」
「梨亜、厳しい」
「普通のことを言っているだけよ」
梨亜は呆れたように息を吐いた。
鈴菜は机に伏せかけていた顔を、ゆっくりと上げる。
「朝って、なんで来るんだろうね」
「哲学みたいに言わないでちょうだい」
授業が始まる。
魔法陣理論。
魔力制御学。
実践魔術史。
普通科目もあるが、この学校は魔術師養成機関だ。
授業内容は一般の高校とは大きく異なる。
教室の一角では教師が魔法陣を展開し、黒板代わりの光のスクリーンへ数式を映し出している。
生徒たちは真面目にノートを取ったり、居眠りしたり、内緒で魔術談義をしたり。
どこの学校にもいるような学生たちだ。
違うのは、その全員が魔術師の卵であることくらいだった。
そして鈴菜は、早速眠そうだった。
教師の声を聞きながら、ノートを取っている。
取ってはいる。
だが、文字が少しずつ斜めに傾いていた。
隣の席の梨亜がそれに気づき、小声で囁く。
「スズ、起きているの?」
「起きてる」
「目が閉じているわ」
「心の目で見てる」
「普通の目で見なさい」
鈴菜は渋々まぶたを持ち上げた。
その表情は、敵と戦う時よりも苦しそうだった。
昼休み。
鈴菜と梨亜は中庭のベンチへ移動する。
昼になる頃には、鈴菜の意識もようやくはっきりしてきたらしい。
朝よりは目が開いている。
梨亜はそれを見て、納得したように頷いた。
「鈴菜は、昼から本調子なのね」
「朝は敵」
「敵じゃないわ」
「かなり強い敵」
「それは同情するけれど」
梨亜は苦笑する。
「でも最近、学校の雰囲気も悪くないわね」
「そう?」
「前よりスズがいるからよ」
「関係ないと思う」
即答だった。
梨亜はくすりと笑う。
その時だった。
少し離れた場所で弁当を広げていた生徒たちの会話が、ふと耳に入ってきた。
「そういえば、今日って三澤校長、上級実技棟に来てたらしいよ」
「え、本当? 見たかった」
「この前、魔法陣の補助してもらった先輩が言ってたけど、やっぱりすごいらしいよ。説明が分かりやすいって」
「分かる。三澤校長って、話しやすいよね」
三澤校長。
その名前を聞いた瞬間、梨亜がわずかに顔を上げた。
鈴菜も、手元の購買パンへ向けていた視線を少しだけずらす。
別に、聞き耳を立てるつもりはなかった。
なかった、はずだ。
けれど二人の意識は、自然とその会話へ向いていた。
「三澤家の人ってだけでも有名なのに、校長自身も若い頃から相当目立っていたらしいよ」
「三澤家ってそんな有名なの?」
「うそ、知らないの? 魔術師の名家だよ。研究も実績も多い家系でさ。
特に校長は、学生時代から実技も理論も両方できたって」
「へえ……すご」
「しかもあの感じでしょ? 偉そうじゃないし、生徒の話もちゃんと聞いてくれるし」
「分かる。先生たちより相談しやすい時ある」
生徒たちは楽しそうに話していた。
噂話というより、憧れの人物について語っているような空気だった。
梨亜は感心したように頷く。
「三澤校長、やっぱり評判がいいのね」
「そうだね」
鈴菜は短く答えた。
その声に、梨亜がちらりと視線を向ける。
「スズも知っているのでしょう? 三澤校長のこと」
「うん」
「スズにとってはどういう方なの?」
梨亜の問いに、鈴菜は少しだけ考えた。
いつものようにすぐ答えることもできた。
けれど、言葉を選ぶように、ほんの一拍置く。
「恩人、かな」
その言葉だけは、いつもの鈴菜にしては少しだけ重かった。




