8.余所者って思ってるのは案外自分だけ
執務室に広がった緊迫した空気。
堂々たる出立ちでバルトを挑発した霊蟲公は、剣を持ち出されても尚その表情を変えなかった。
むしろどことなく興味深そうに瞳の奥を光らせている。
「堪えてください。魔王様が率先して法を破られると魔王領が混沌とします」
淡々としてエギルは言うが尻尾の方がクタクタと揺れており、彼女の中に焦りがあることは明らかだった。
実際、今のバルトには取り付く島がない。そんな苛烈な勢いで、憎悪に満ちた視線が霊蟲公へ向けられている。
「どうでもいい。俺はこいつが心底嫌いだ」
「バルトさん駄目ですよ。絶対動いたら駄目ですからね!!」
紗希は掴んだ腕を引き寄せるように自分の腕を巻きつけ牽制する。一切を削ぎ落とし今必要なシンプルな言葉だけを浴びせると、バルト一度こちらを見て一瞬だけ迷いの色を見せると固かった身体に力が抜けてゆくのが分かった。
あれだけ聖女聖女と囃し立てていたのだから、それぐらい聞く耳を持ってもらなければ。
しかし紗希の言葉虚しく、落ち着きつつあったバルトに対して霊蟲公はどういう意図か、豪快に笑いながら追撃をかけてきた。
「ガハハッ!!まだ蟲籠に閉じ込めた時の事を根に持ってらっしゃるな。あの時と同じ眼になってますぞ。いい加減、水に流すぐらいの気概を見せて欲しいもの……魔王様は誠に狭量でかないませぬ」
霊蟲公はわざとバルトを怒らせようとしているとしか紗希には思えなかった。
巨躯の傍でモーニングコートを引っ張っていたストラスは、信じられないとばかりに黄色の瞳を大きく開き顔を歪める。
「デ、デリカシーなさすぎ……トラウマなのに……最低」
蟲籠のトラウマ。
五層の鋼鉄の迷宮は鋼鉄で出来た蟲達が生息する魑魅魍魎の地帯だという。そこへ虫カゴとくれば、嫌なイメージしか湧かない。
「それに臆病者でもあらせられる」
「霊蟲公!!」
エギルはついに冷たい声を荒げた。
「絶対に葬る」
紗希が絡みついて引き留めていたバルトの腕に再び強張ってゆくのが分かった。
本当に、一体どういうつもりなのだろうか。
霊蟲公は一瞬だけ視線を後方へやると、顎髭を撫でながらのんびりと言った。
「やはりここは我が聖女様を案内しましょう。どうせ放っておけば自分の手元に置いて閉じ込める気でしょうからな」
バルトを見透かしたような怪しげな台詞。
それを噛み砕くよりも早く、霊蟲公は紗希に視線を移しニヤリと口角を持ち上げた。
「さぁ聖女様、我と共に行きましょう」
言うや突如、天井が抜け埃と石屑が舞う煙と共に天井裏にいた何かが紗希に向かって白い糸を吐き巻きつける。
一瞬だった。
「はっ、え……っう、え……ええぇ!?!?離してくださいっ!」
そう、一瞬のうちに拘束されたのだ。
百八十度、床と天井が逆になって目を白黒させて絶叫した。
「聖女様っ!!」
バルトの声が聞こえた気がしたが、直後に青白い光が身体を包み込む。あまりに眩しすぎて、何が起きているのか把握しきれず目を瞑った。
それから、どのくらい気を失っていただろう。
何かに揺さぶられている振動を受けて目を覚ますと、糸の持ち主である蜘蛛の長い脚が視界に移り、それに乗る姿勢の良い背中を捉えたのだった。
ーーーー霊蟲公の背は振動受ける中でも芯は揺れず前を見据え崩れる事はなかった。
「目覚めましたか。手荒な真似をして申し訳ない。こうでもせねば、連れ出せぬゆえ」
巨大な蜘蛛に乗る霊蟲公は振り返らず言った。
「あの青い光は……今はどこに向かっているんですか?」
紗希は自分でも驚くほど冷静な声が出ていた。
「簡易的な転移魔法です。人族は扱えぬ故、魔王様もすぐには追ってこれぬでしょうな。今から向かうのは第一層、魔王様の鬼門にございます」
その声は執務室で聞いたものよりも手段固く、何か考えがあるような口振りだった。
紗希は驚きと不安で身体に汗が滲むのを感じながら霊蟲公の背中を見遣る。
「城の外を繋ぐ転移魔法陣がある階層……ですよね?」
「そうです。あなたに試して頂きたい事がある」
「私に、ですか……?」
「そうです。それに、このままでは聖女様が彼の方に閉じ込められてしまうためお救いしたかった。蜘蛛の礼にございます」
その言葉から悪意は感じられないが、かといって胸中から不安の色は消えない。
バルトとエギルと離れたことに心許なさがあったのだ。
しかし執務室でも聞いた閉じ込める発言が気になるのも事実。
バルトが紗希を閉じ込めるという意味だが、しかしそんな気配はない。
少々、聖女に対して過度な想いを拗らせているようだが、結婚はしないと伝えても、すんなりバルトは引き下がっていたのだから。
「……えっと、閉じ込めるって……それってどういう意味でしょうか?そんな気配なんて……私はただの協力者という立場ですし……」
訥々と言えば霊蟲公は視線を紗希へ流してあと大きく息を吐いた。
「来たばかりのあなたは、おそらく魔王様の孤独としつこさを把握しきれぬでしょう」
それから重く口を開き、こう告げたのだ。
「彼の方は、あなたを呼ぶために必要な魔物をわざわざ復活させた……前魔王レギオス様を。我々には内密で」
前魔王レギオス。
エギルが説明してくれた肖像画の人物だ。
ーー死闘を繰り広げた相手を復活……?
確かに歴代魔王で一番魔力が高いと聞いた。召喚魔法も大量に魔力を消費するともバルトは言い訳のように言っていた。
「我が聖女様の召喚を企てている事を知ったのは前日でした。それ自体は良いのですが、あなたを娶り妻にすると申したのです」
苦々しく告げる霊蟲公の声には若干の呆れも孕んでいる。
「あぁ……うっすらと聞きました。一応断ってます」
「ガハハ!その様子だとあの魔王様が納得したと思っていますな?」
「多分引っ込んでくれたとは……違うんですか?」
紗希が恐る恐る訊くのに対し、霊蟲公はどこか愉しげだ。
「わからなくて当然でしょう。我も長年、彼の方に制裁を加えるべく追い回して理解しましたが、相当しつこい男ですぞ。十やられたら千で返す執念深さがある。素直に魔王様の言葉を信じてはなりませぬ」
物凄い言われようだが、霊蟲公は彼なりにバルトを理解しているのか、嫌っている様子はみられなかった。
むしろ、どこか慈愛に満ちた感情が乗っている。
それから彼はとんでもないことを教えてくれた。
「愛する聖女様を閉じ込めるべく、魔王様は最上階に結界を張ろうとしてらっしゃる」
「閉じ込めるってフロアごとですか!?」
拉致監禁のスケールの違いに紗希は目を見開いていた。
物語を進めるため外に出たいという話だったが、どうやら認識に齟齬があったらしい。
「バルトさんはそんなこと何も……」
呟くように言えば、豪快な笑い声がまた上がる。
「言うわけがありません。ちなみに魔王様は聖女様に何を望みましたかな……召喚時に何か言われたのでは?」
「……確か、最後まで連れて行って欲しいと……」
すると霊蟲公は振り返った。
その顔には、出来の悪い子供を持つ親のような、困ったような表情は露わになっており、紗希は思わず息を飲む。
「それは死が二人を別つまで、共にという意味でございます」
ーー分かるか。
「まさか」
「そのまさかです」
初めて会った時の言葉がそれほどの重みを持っていたと誰が想像するだろうか。
妥当な線だと物語の結末と考え擦り合わせなかった自分に問題があるのだろうか。
紗希は混乱し瞼を固く閉じる。
その姿を目尻に霊蟲公が声を和らげると、蜘蛛も徐々に速度を緩めてゆく。
「聖女様に会えなくなる前に、一度彼の方を外へ連れ出していただきたい。無論、成功するかは分かりませぬが」
辿り着いたのは昨日紗希が来た場所だった。
神殿がある階層から繋がる、一層目行く為の転移魔法陣の間。
白い糸は丁寧に解かれて自由になったものの、機嫌よく構える霊蟲公を見て紗希は心で独りごちる。
会えなくなるなど、縁起でもないことは言わないで欲しい、と。




