7.霊蟲公と悪魔ストラス
結局、件のヴァイオレットダイアモンドは指輪でなくピアスに加工される事となった。
「私の知る限り、バルトさんは然るべき相手と巡り合うことになっているので結婚は出来ません」
さすがに婚約指輪まで提案されると、バルトやエギルの発した”式の相談”や”伴侶”という怪しげな言葉を放置するわけにいかなかったのだ。
意外にも反論はなくバルトは頷いたので指輪の件が本気だったかは怪しいが、”聖女”という概念に対する態度がどうにも宗教染みているのは間違いないのでどのみちこれで良かったのだろう。
それに、考えてみれば隠しておく理由もない気がした。
元々バルトはメタな話がある程度通じるキャラクター。幼馴染の転生者であるミレーヌ耐性というべきか……そもそも話を結末に導くために呼ばれたという理由も鑑みれば、多少ネタバレしたところで未完結の物語なら悪い影響は出ないだろう。
むしろ紗希を聖女と思い込んでいる方が厄介なのだから。
「聖女様が知ってる物語と俺の知る物語は違うのか……分かりました」
そう言ったバルトの顔はどこか寂しげだったが、紗希の髪を柔らかな手つきで梳くとそっと耳に掛け「今は我慢します」と最終的に引き下がった。
ピアスはそういった流れもあって落とし所としてバルトの希望で選ばれている。
「お守りの意味合いなら、気兼ねなく受け取ってくれますよね。なんせこの世界は物騒ですから」
そんな風に熱心な瞳で言われれば、あまり無下に拒否することも出来なかった。
見通しの立たない世界で希望をちらつかせたことは、バルトを心許ない気分にはさせてしまったかもしれない。
せめて本当のヒロインであるセレスティーナと早く会わせるべきだろう。
鉱石は手先の器用な魔物に研磨させるためエギルの従魔に届けさせることとなった。
そのあと客人用と紹介された寝室に促され、その部屋で紗希はひとり食事をとることとなったのだが……通された部屋には出入り口とは別に、鍵のない扉があった。
「これって……――そんなわけないか」
念のため、誰も居なくなったあと違和感のあった扉を開いてみると、通路を挟んで仰々しい天幕付きの寝台がある部屋に繋がっていた。
――こういう通路で繋がった部屋は夫婦が使うものでは?
静かに閉じて何も見なかったことにした。この世界ではもしかすると違うのかもしれない。などと紗希は一人考えを巡らせていたものの……他の理由を考えてみるも、紗希が居る部屋は護衛の控室というには広すぎて、調度品も鏡の置かれた化粧台も違和感でしかない。
「やっぱりおかしい」
紗希はいよいよ自分の発言がバルトに伝わっているか自信がなくなったのだった。
いろいろありすぎて混乱してきた紗希は、寝台に身体を投げ打ち全て明日考えることにした。
疲れている時に考えると大抵ろくでもない事しか思いつかないのだから。
バルトのことも、紗希を聖女と断言する根拠も、セレスティーナのことも、とりあえず後でいい。身体を横にするとどっと疲れが襲ってきて、泥のような眠りについたのだった。
――――翌日。目が覚めると見計らったかの如くエギルによって朝食が用意された。
「芸がなく申し訳ないです」と運んできてくれたプレートには、昨夜と同じ青い色をした謎の果物と、真っ赤なスープが並ぶ。
魔族の領地にいるのでいちいち驚くことはなかったものの、見た目の割に美味しいというお約束的なものもなかった。
エギル曰く、人族の食事を作れる魔族は希少らしい。人体に影響はないとだけ自信を持って宣言してくれたので紗希は昨日と同じく感謝を述べた。
「作ってくれた方にもお礼を伝えて欲しいです」
「承知しました。泣いて喜ぶかと思います」
朝食を済ませてからは、エギルと共に魔王用の執務室に居るバルトの元へ向かった。
魔王というと常時王座に君臨し足組みでもしてそうだが、執務室まで設けられていて、意外と人間の王族とあまり変わらないのかもしれない。
「っ……今日も美しいです。聖女様……」
バルトは紗希が現れるとガタッと立ち上がり、座り心地の悪そうな椅子が揺れた。
その椅子はまるで周囲の色を吸収するような、黒く冷たい執務室の象徴のようだった。
「……ありがとうございます。今って、おはようございますで良いんでしょうか?」
紗希は訊ねた。
なにせこの城には、どこにでも大抵はあるものがなかった。
召喚当初は気にしていなかったが、紗希が案内された場所はもれなく窓がない。そして盤がついている時計すらもない。
バルトは机に上にある複雑な形をしてしている水晶に視線を移すと、淡い笑みを口元に乗せた。
「はい。おはようございます、聖女様。人族の領地で言えば太陽が街を照らし始めた頃合いです」
「よかった。寝過ぎたかと思って……この城って窓も時計もないんですね?」
その言葉にホッと胸を撫で下ろすと、紗希は部屋を見渡した。
執務室も同じだったのだ。
何か深い理由でもあるのだろうか、魔王城と言われなければまるで牢獄である。
「城の設計者がヴァンパイアだからですよ。彼らは闇を好むので」
バルトは嫌なことを思い出したかのように眉根を歪めたあと、ふっと笑みを零した。
「私情が強くないですか……」
「魔物なんてそんなもんです。個人主義で欲を糧に実存しているようなものですから」
そんなものなのか。
ならば牢獄っぽいと感じたこの城のコンセプトはもしかすると設計者からすると、この城は棺桶なのかもしれない。
「マイペースなんですね」
とても口に出して言えないが、ある意味ではバルトと通ずるところがある。
するとバルトは紗希を長椅子に誘導しながら流暢に話し始めた。
「時計も同じです。水晶の色でだいたいの時間は分かりますが、人族のように細かく刻むという概念がありません。俺は慣れましたが聖女様には違和感でしょう。人族用の時計も作らせるか……あぁ、ところで寝所は快適でしたか?もし部屋に不具合があれば改善するので……」
しかしバルトの言葉はエギルによって遮られる。
「――魔王様。霊蟲公が聖女様にご挨拶申し上げたいと言ってこちらに向かっているようですが、如何いたしますか?」
以前、会話にあがっていた名だ。
その名を聞いてバルトはあからさまに不機嫌になった。
「追い返せ。脚を切り落としてもいい。あの爺さんに見られると聖女様が穢れる」
バルトは心底嫌そうに顔を歪め、しっしっと片手で追い払う真似をする。
「誰ですか?その霊蟲公という方は」
二人に問えば「気にしないでください」というバルトに対し、エギルがすかさず答えた。
「五層の鋼鉄の迷宮の管理者です。魔王様の次に力のある魔物がこの城では管理者を務めているのです」
「余計なことを言うな」
淡々と説明するエギルに対しバルト睨みをきかせたがあまり通じていない。むしろエギルはバルトの視線を無視して扉を見遣る。
「魔王様、残念ながら対処に失敗しましたので、もういらっしゃってます。申し訳ありません……私の従魔では止められませんでした」
エギルの足元では彼女の影が弱弱しく揺れていた。
その直後にドォンと大きな音を立て、執務室の扉が破壊された。
そして低く唸るようなしゃがれた声が響いた。
「魔王様、霊蟲公が参りましたぞ!」
現れたのは、軍人さながらの削ぎ落とされた鋭い顎に白い髭が特徴的な、貴族風の出で立ちをした年嵩の男性だった。
豪胆な気迫で現れ、きっちりと整えられた白髪に、重厚感のあるモーニングコートを羽織ったスーツの上からでも分かる強靭な肉体を感じさせる体躯で彼は豪快に笑った。
「ガハハっ!嫌にもったいぶるではありませんか。大切な伴侶であれば我ら管理者一同でお迎えしたものを!なぁ、ストラスよ」
そして機嫌よく後ろを振り返る。
ストラスと呼ばれた人物は霊蟲公の後ろから顔を覗かせ会釈したが、かたやこちらは酷く怯えていた。
「……ぼ、僕は別に……魔王様にもお考えがあるのでしょうし……急かすつもりじゃなかったのに……最低」
何なら肩を小刻みにぐずぐずと啜り泣いていている。
その姿は一見して細身で小柄な少年だったが、ハーフパンツから見える脚は鳥そのもの。茶色や白に斑点が混じる翼のような腕で気まずそうに口元を隠している。
そしてストラスが視線を逸らすと霊蟲公は陰鬱とした雰囲気を漂わせる彼を叱りつけた。
「軟弱者め!昨日はお前も気になると言ってたではないかっ。相変わらず度胸のない奴だ」
その言葉に唇を上擦らせたストラスは、バルトに向かって今度は深々と頭を下げる。
「魔王様、僕は無理やり連れて来られたんです……公爵は脳筋だから……蟲しか入ってないから分かってないんです……あの、僕、もう帰りますね……」
言い方は弱弱しいがはっきり主張するとストラスは猛禽類のような黄色い瞳を潤ませながら、しかし紗希の存在は気になるようでちらちらと視線を寄越す。
すると先ほどまで無言で射るように二人を睨んでいたバルトがやっと口を開いた。
「あぁ、霊蟲公も連れて帰れ。聖女様の目が汚れる」
「はい……」
しゅんとして、「だから言ったのに……」と霊蟲公を涙目で睨む。
バルトの言葉を受けてストラスが背中を見せるので、紗希はハッと我に返り、慌てて訴えた。
「汚れませんから止めてあげてください!!」
「――聖女様、お初にお目にかかります。我は霊蟲公。魔王様の配下にして五層から七層の管理を務めております。慈愛に満ちたあなた様に、我が配下の蜘蛛を救っていただけたこと大変恐縮至極でございます。ようこそ魔王城へ来てくださいました。管理者一同に変わり歓迎申し上げます」
咳ばらいをした霊蟲公は、紗希達の前で片膝を引き胸元に手を当てると深々と状態を折り曲げた。
そしてその隣でストラスが両手をもじもじと胸の前で組みながら軽く会釈し続けて名乗る。
「ストラスです……第一層と城門の管理をしています……星読みと薬草のことなら僕にお任せください……魔王城へようこそ」
二人とも好意的に見てくれているようで、終始にこやかな表情を浮かべていた。
先ほど半泣き状態だったストラスも今や頬を上気させている。
その二人を相変わらず不機嫌な顔で見遣るバルトを目尻に、紗希は目を細めた。
「紗希と申します。歓迎いただいてありがとうございます。霊蟲公様については、蜘蛛の件でお騒がせしました」
「いやいや。可愛い我が子を断りもなく攫うのが魔王様でございます。またやられたかと嘆いておりましたが、無事に戻ってきたので何も問題ございませぬ。その調子で魔王様を諌めていただければ安泰です」
棘のある含みを持たせてバルトを盗み見た霊蟲公は、それからすかさず言った。
「よろしければ是非、城の案を私めが……」
「駄目だ」
バルトの凍てついた声が力強く響く。
「良いではないですか」
霊蟲公はにこやかに笑う。
「絶対に許すか。帰れ」
「狭量な男は嫌われますぞ」
「なに……?」
いよいよバルトは眉を上下に胡乱な眼差しで紗希の前に進み出て殺伐と問う。
「どこが狭量だ。そもそも俺はお前達の願いに付き合ってやってるだろうが。毎日魔王の椅子に座り、問題があれば対処している」
「それは仕事ですからな」
霊蟲公は平然と答え、紗希は不穏な空気を感じていた。
「こっちは勝手な役職を押し付けられ迷惑なんだ。他人を散々追いかけ回しておいて、いきなり魔王に認めたと言われてもな」
狭量問題から発覚した魔王の就任事情。バルトは望んで魔王になったのではなかったのだ。
吐き捨てるように告げるバルトに同情したものの、しかしふと冷静になって紗希は眉根を寄せた。
ーーこの人、私に全く同じことしてるのに気付いてないんだろうか。
「魔王の座に不満ですかな。また我に追いかけ回されるよりマシなのでは?色恋だけでなくそういうところも狭量だとは嘆かわしい……」
わざわざ挑発するように返す霊蟲公のマントをストラスが無言で引っ張っているが気付かれていない。
バルトは遂に声を荒げ、踵を返すと執務室の壁に掛けてある剣を掴む。
「お前が消滅するまで切り刻んでやる」
「おっ、落ち着いてください!!」
紗希は強引にバルトの腕を掴み、エギルとストラスが怜蟲公を抑えた。
「聖女様の言う通りです。お二人とも挑発し合うのはおやめください。同胞同士の死闘は禁じられています」
エギルが冷静に告げる。
「俺はお前らの同胞じゃない。その法も俺には関係ない」
肩をわなわなと震わせるバルトだったが。しかし紗希の手を振り払うことはなかった。
執務室には緊張感が張り詰めている。
これはもしかすると、紗希が思う以上にバルトの闇は深いのかもしれない。




