9.勇者バルトレッド、悪夢の七年
霊蟲公に待つように言われ、紗希は転移魔法陣の上に立っていた。
魔法陣にはこの世界の古い言語が刻まれており、記号や数字なども多様して複雑な魔術の構文が記述されているらしい。
そう説明され眺め見るも、相変わら紗希には何かの紋章のような芸術品のようにしか見えなかった。
この足元で光る第一層への転移魔法陣は、霊蟲公曰く、この城で唯一バルトが踏めないため結界代わりになるそうだ。
要するに、此処に居ればバルトは紗希に触れる事が出来ないため拉致して連れ出したのだ。
大袈裟だと返したが、押し問答するにはこれぐらいの壁がないとバルトは強引に紗希を捕らえ監禁すると言われたので、真偽を確かめるべくひとまず今は霊蟲公言葉に大人しく従っている状況だった。
「ーー聖女様ご自身できっちり問い詰めてくだされ。魔王様は何もかも信用しておりません……なにせ仲間に見捨てられ、誰も魔王様をこの城から救出しようとしなかったのですから無理もない」
その言葉に、紗希は昨日の会話を思い出した。バルトに仲間はどうしたのか聞いた時、明らかに空気が変わったのは、やはりこのせいか。
バルトの反応からして、なにかあったのだろうと薄々勘づいていたが、改めて事実として聞くと考えさせられるものがあった。
監禁疑惑も含めて、霊蟲公の言うようにもう一度ちゃんと確認した方が良いのかもしれない。
紗希はひと呼吸置くと頷いた。
「分かりました。先に一つ聞いてもいいですか?」
「もちろん」
「では……魔族の方々が一年前にバルトさんを魔王に認めたという話は聞きましたが、それまでは対立していたんですよね?今は皆さん慕っているように見えますが、どうしてですか?」
すると霊蟲公は眉間の皺を深く刻んだのち肩をすくめた。
「当時は勇者の排除を目的に、前魔王レギオスが討たれってからは仇討ちという名の時期魔王の継承権争いでバルトレッド様を追い回しておりました」
霊蟲公曰く、次の魔王を決めるため階層の管理者はこぞってバルトを捉え、殺したという。しかし凄惨な死を与えようともバルトは復活した。
「いや……あれは復活というより復元という方が正しいでしょうな。飛び散った肉片は集まり、焼いても溶かそうとも修復されてゆくのです」
その復元速度は死迎える度に向上し、そしてバルト自身も城の管理者達と対峙することで力をつけていったという。
「もはや人ならざる存在となったのです。魔王様はゴキブリよりもタチの悪い魔物でございます。対立したとしても、我々の方が消滅する可能性が出てきましてな……管理者全員が魔王と認めるようになった」
その経緯に、紗希はバルトが魔王を嫌がる理由が少し分かった気がした。
「我々は力こそ全て。どのような因縁があろうと強者を崇めるのは至極当然……しかし我らがいくら魔王様を同胞と感じ崇めても彼の方には伝わりませぬ」
霊蟲公は握り拳を作り震わせると肩を落とす。
力こそ全てという言い分はシンプルなものだが、痛みや傷を与えられ続けた相手を実際許せるだろうか。
「種族間の違いでしょうか……」
「左様。魔族ならば喜ぶものですが、残念ながら我々は毛嫌いされております。しかし今の我々は心の底から魔王様を崇拝し、同じぐらい心配もしております」
「なるほど……あなた方とバルトさんの関係は分かりました」
エタってしまったバルトの七年は、やはりそう単純なものではなかった。
名前のなかった魔王に名があり、魔族たちにも行動原理があった。魔族すらも困惑した復活するバルトの身体の謎は、やはり物語の結末に向けて必要な措置であったのだろうが、真実は分からない。
しかしバルトと改めて話すためには十分な情報だっただろう。紗希はそう思うことにした。
語り終えた霊蟲公は不意に鋼鉄の皮膚を持つ巨大な蜘蛛を撫でた。
すると黒板を爪で引っ掻いたような嫌な音が響き、同時に文字通り蜘蛛の子を散らすように小さな個体へと姿を変えて四方八方へ散ってゆく。
そして紗希に再び向き直ると魔法陣の前で跪き、改まって深々と頭を垂れた。
「聖女様。召喚など人攫い同然の行為……しかし非礼を承知で申し上げます。もし、少しでも慈悲を頂けるのでしたら、魔王様の心を救ってくだされ……」
その言葉は静々としていた。
『今は同胞と思っている』という霊蟲公の言葉はきっと本物なのだ。
一方で、紗希が受け入れられない場合、結界が完成する前に連れ出してレギオスに直談判し元の世界に戻すとも言う。
実際、それが可能なのかという疑問よりも、ここに来て初めて紗希の立場を鑑みられたことへの驚きの方が優っていた。
豪快な登場やバルトへの挑発の数々に最初は戸惑いが占めていたが、不思議な人物だ。霊蟲公はバルトだけでなく、どうやら紗希の事まで考え気にかけてくれているらしい。
霊蟲公は言い終えると紗希の言葉を待たず同消えてしまった。
転移魔法陣には紗希ひとり。
青白い光の中で、その場にしゃがみ込むと大袈裟なほど深く息をついたのだった。
――――バルトが現れたのは、霊蟲公が姿を消して数分と経たない頃合いだった。
意外な相手からバルトを頼らずとも元の世界に戻れるという新たな道が示され、紗希はようやく対等になれた気がしていた。
一人で現れたバルトは肩を上下させ息巻いており、その手には執務室にあった剣を携えていた。先端からは紫色の雫が滴っている。
「聖女様……」
それから紗希の居る場所を見て双眸を大きく開くと掠れた声で手を差し出した。
「さぁ、こちらにお戻りください。攫われて恐ろしかったでしょう……」
転移魔法陣の中には踏み込まない。
光の外側でバルトは口元を微かに震わせてから言った。
対して紗希は単刀直入に訊ねた。
「私を閉じ込めるつもりだって……何かの間違いですよね?」
すると端正な顔は苦虫を噛み潰したように歪み、はぁと肩で息をつく。
それからバルトは小さな舌打ちを鳴らした。
「霊蟲公か……」
「……本当なんですか?」
胸の奥が乾ききったような感覚に生唾を飲みもう一度問う。
数秒の沈黙が落ち、胡乱な眼差しのバルトと視線が混じり合った。
「――まったく。蟲ってのは何処にでも湧いて出るから困るな」
青白い光が反射するバルトの紫水晶の瞳が今までになく怪しく光っていた。
「聖女様がいけないんですよ。俺には”然るべき相手がいる”なんて言って壁を作るから」
その瞳の奥は薄暗い感情がゆらゆらと灯っていて、魔法陣の中心にいる紗希の身体は僅かに強張った。
「あなたが俺だけを見るように閉じ込めておけば、俺の愛を信じてくれるでしょう?さぁ、出てきてください」
語気を強めるバルトだが、霊蟲公の言う通り魔法陣自体に入れないようで、あくまで紗希の意思で出てくることを促していた。
「……教えてください。この城から出られないから強力してほしいって話しじゃないんですか?最後まで連れて行って欲しいって……」
問えばバルトは諦めたように、あっさりと告げる。
「俺の人生の最後にあなたが居て欲しいから呼んだ」
まさに霊蟲公の言ったとおりだった。
それはつまり……――――
「それって、私を元の世界に返す気がはじめからなかったって言ってるようなもんですよ。バルトさん、分かってます?」
「……まぁ、そこは受け取り方次第では?人生の最後か物語の最後か、俺は断言してません。嘘はついてませんよ」
バルトは口端を片側だけ吊り上げ薄らと笑みを浮かべていた。
騙された、と思った。
確かにこちらも細かく確認していなかったが、しかし初めからその気がなかったと言うのでは根底を大きく揺るがす。
紗希は小さく吐き捨てた。
「あり得ない……」
あのまま有耶無耶にして城に閉じ込める気だったのだろうか。
人としてどうなのだと、頬が引き攣り怒りとも呆れとも言えぬ感情で息をつく。
「なら聖女については?ちゃんと教えてください。なぜ私だと思うんですか?」
なぜ呼ばれたのか一応答えは貰っていた。しかしそれは聖女だからというあやふやなもので、手違いかもしれない根拠の無い話だった。
「まだ話してくれていない事があるなら教えてください。ちゃんと聞きます。後出しされていい事なんて起きないんですから……教えてくれるまでここから動きません」
紗希がはっきりそう告げるとバルトは面倒だと言わんばかりの顔で逡巡したのち差し出していた手を引いた。
その指先は丸くなり握り拳を作って、それから唇を硬く引く結ぶ。
視線は逃げるように逸らされた。
「あなたに頼らず帰る方法があることも分かりましたし。すべて教えて下さい」
バルトが肩眉を上げ鋭い視線を寄越したが、紗希は整然と押し黙る。
どれぐらい無言の時間があっただろう。
ふと、拗ねた子供のような呟くような声で問われた。
「――……信じてくれますか?」
その声は渋々といった感情が占めていた。
「それは、ちゃんとバルトさんの事を教えてもらった後で考えます」
「そうですか……」
バルトは大きく息を吸っては剣を軽く振って紫色の滴を散らすように切ると鞘に収めた。
それから諦め得たように、訥々と話し始めた。
「――魔王城ではじめて死んだ時から、この世界ではない声や姿が見えるようになりました」
最初に死んだのは、転移魔法陣に入ることが叶わず仲間に見捨てられたあと。
背後から鉤爪のような何かに胴を裂かれた時。
バルトは皮膚が裂かれ肉が千切れる痛みに死を悟ったという。続けざまに失血する身体に苛烈な炎を浴びせられ、痛みを感じなくなったころ目の前は開け、彼は真っ白な空間にいたそうだ。
様々な視線を感じ、そして声が聞こえたという。
何が起きているか分からず戸惑っているうちに、気付くと現実に戻り信じられないものを見る目でエギルに見下ろされていたそうだ。
それから魔王城に囚われたバルトは何度もそこで死んでは復活し、その度に束の間の時間、白い空間で過ごすようになったという。
「初めは晒し者にされている気がしてならなかった。しかし次第に声も視線も減って、見向きもされなくなったころ、一生この城でひとり同じことを繰り返すのかと思うと怖くなった……でも、あなただけは残ってくれた」
そこで言葉を切ったバルトは、紗希を見つめた。
「誰かが俺を見限らず、傍に居てくれているように思えた。あなたの存在を感じる度、俺はまだ生きているのだと実感できたんですよ。そう思わないとこんな悪夢、気が狂いそうで……」
語られた内容は、霊蟲公の口から聞くよりもずっと凄惨で、その孤独は想像を超えるものだった。
「――次第にあなたを知りたくなった。見守ってくれるその相手が誰なのか……視線や声だけでなく姿かたちを知りたいと。幸いこの城は古代魔法について詳しく記載される禁書があったので……それを奪うことで姿も分かるようになった。あなたの事を考える度に、俺は衝動に突き動かされ、レギオスさえも倒すことも出来た。だからあなたは俺にとっての聖女なんです」
目的がなければこの七年はただの悪夢でしかなかったとバルトは告げる。
紗希行為は知らず知らずのうちに、彼にとってあまりに理不尽な仕打ちに対するたった一つの希望となっていたのだ。
「……――運命を凌駕する聖女の力というのは……?」
喉の奥に何かつっかえるような感覚を無理やり呑み込みながら紗希は訊ねた。
「御伽話です。実際、根拠はありません。けれど俺にとってはあなたが聖女だ。力を持っていても持っていなくてもさして問題ないんですよ。城から出られなくとも、あなたが居ればそれで良いと思っています」
あまりに切実に告げられた想いに、やはり聖女でなかったのだと理解すると同時に、霊蟲公の言葉が蘇ってくる。
七年間。紗希は物語だと思っていた。
しかしバルトにとっては容赦のない現実だった。
その事実が胸の奥へと重く響く。
かといって愛というのはやはり理解出来ない。
しかし紗希の中ではぼんやりとしていた感情が、はっきりと形を成してゆく。
この人を放っておくことは出来ないと。
「――あぁ、もう……」
紗希は転移魔法陣から一歩踏み出すと、そのまま歩み寄りる。
「そういうのは最初に言ってください」
「は……」
紗希があっさりと出て来たことにバルトは困惑の表情を浮かべている。
きっと彼には分からないだろう。
「私、物語はハッピーエンド保証しか読まないんです」
ただの読者でしかなかったが、読者であったからこそバルトとヒロインの幸せな結末を紗希は待ち望んでいた。
現実の愛を信じられないからこそ、せめて物語の中では幸せな二人というのに憧れ、第三者として確かな愛を見てみたいと紗希はいつも思っていたのだ。
彼とっての過酷な現実を、正しい結末に戻す方法を探りたい。
「バルトさんはちゃんと幸せになれるはずです。ハッシュタグは付いていたので、大丈夫です」
「はっしゅ、なんですか……?」
バルトはますます瞳を揺らし、毒牙はすっかり抜かれていた。
「辛いだけで終わらないという約束みたいなものです。結婚についてはやっぱり応えられませんけど、一緒に方法を探しませんか?バルトさんの幸せな結末に向かうために」
昨日撤回したばかりだが、この人はやはり仕方のない人なのだ。
紗希が原動力となって希望を持っていられたと主張するのなら、愛には応えられないがヒロインであるセレスティーナと結ばれる結末に連れて行くため支えたい。
特別な力などなくてもバルトがそばにいるだけで良いというなら、そばにいる事で変えられるものもあるはずだ。
「なので監禁は諦めてください」
「駄目ですか……」
「駄目です。まずは転移魔法陣にどうやったら入れるか試してみましょうよ。駄目なら駄目で別の方法を一緒に探しますから、ね?」
紗希は眉尻をくしゃりと下げて訊ねた。
するとバルトは分かりやすく表情を輝かせ感極まった表情と共に目元に涙を貯める。
「それは……聖女様は元の世界に帰らないという事ですか?」
「当面はバルトさんに付き合うという意味です。帰りたいのは山々なので」
釘を刺すように言ったものの、しかし最後の方はバルトの大きな腕の中に抱き竦められながら零すこととなった。
それが縋るような悲痛さを帯びていたので安易に解く事が出来ず紗希は大人しく眉根を寄せることに留める。
「ありがとうございます……聖女様が帰りたくないと思えるように善処しますから」
相変わらずそこはブレないらしい。
耳元で囁かれ、紗希はバルトの胸を押し返しながら言った。
「あの……そこは頑張らなくていいです」




