4.生糸の調達は第五層『剛鉄の迷宮』で
あれから紗希は、文字通り上下左右どう進んだか分からないほど目が回るスピードで連れ去られた。
もしもヘッドカメラなどで撮影していたなら観衆を映像酔いするような内容になっていただろう。
ようやく動きが止まってバルトに懇願し、紗希は冷たい石の床に崩れ、手のひらをつきながら座り込むと身体の中身がぐらぐらとかき混ぜられる気持ち悪さと戦っていた。
「聖女様、御召物が汚れてしまいます」
バルトはどうしても紗希を座り込ませたくないようで、抱き上げていいか、せめて着替えをしようと言ってくる。
「……少しで良いので、そっとしておいてください!!」
息を荒げて宣言すると同時に胃液が上がってきた。気を抜けば吐きそうだ。気持ち悪さに再び紗希は俯いて顔を顰めたのだった。
――――拝啓 親愛なる作者様。
一体、何が彼をこんな風に変えたのでしょう?
七年という月日でしょうか。
それとも属性の追加予定でもあったのでしょうか?
このエタってしまった世界で、私は彼を結末まで導くつもりですが前途多難です。
――――結局、外に繋がるという第一層の転移魔法陣を見たものの、バルトはそこへ入って転移できるか試すことはしなかった。
ただ発動方法などを説明されただけで、『最終層』と告げられた部屋に今は連れて来られている。
転移魔法陣を前にした時のバルトを思い出すと、紗希を抱く腕に僅かな強張りがあったので彼はもしかすると怯えているのかもしれない。
何かあったのだろうか。
今はとても聞けるような状況ではないので頭の片隅に留め置くことにした。
そして気持ち悪さが抜けてきた頃、げっそりとした顔で視線を上げるとバルトの不安げな瞳とかち合った。
「すみませんでした。落ち着いてきました……」
「でしたら水をどうぞ、聖女様」
先ほど声を荒げたことを謝ると、バルトは手のひらを広げた。金色の粒子が宙で輝き、コップの形を成し、その中から水が湧き上がってくる。
「……すごい」
思わず感嘆が溢れていた。
「土魔法と水魔法で作ったものです。飲んで身体に害はありませんから、どうぞ」
初めて目にする魔法の美しさに固まって凝視していると、バルトは紗希が躊躇していると思ったのか補足するように告げた。
「ありがとうございます」
実際、飲んでみると紗希の知っている水と何も変わらなかった。けれど……――――
「おいしい……」
心地よい冷たさが身体中に染み渡ってゆく。
考えてみれば残業中に一度だけ水筒のお茶を飲んだだけで、それから何も口にしていなかった。
店の戸締りをしていた時に喉の渇きを覚えたものの、終電を逃すのではと焦る気持ちであっさり忘れ、電車に乗ったら乗ったで安心していたのでスマホに触れる方が先だった。
紗希のアパートは駅から徒歩で十分ほどの距離。帰ったらドラマの配信を流し見しつつ、キッチンで料理でもしながら白ビールを飲むつもりだったのだ。
それがまさか、エタってしまった世界で勇者を前に水を飲むことになるなんて。
「立てますか?聖女様」
「えぇ、はい……だいぶ良くなりました」
「すみません。もう少しゆっくり行けば良かったですね….人間と接するのが久しぶりで、加減というのを失念していました」
一生の不覚、と言わんばかりの口調で惜しむバルトになんともいえない気持ちになる。
そういえばバルトはここが魔王城だと言った。
確か最新話では、魔王討伐隊として、花雫の乙女ミレーヌとバルト、仲間の三名が魔王を打ち倒しアデル王国に戻って凱旋していたはずだ。
なぜ彼だけが城に取り残されているのだろう。そもそも残っているのはバルトだけなのだろうか。
「あの、魔王討伐隊の皆さんは?彼らはどうしているんですか?」
聞けば妙な沈黙が流れた。
バルトは胡乱な眼差しで床を見つめると静かに瞼を閉じる。
「……さぁ、俺は知りません」
吐き捨てるような、あまりに冷たい言い草だった。
もしかすると地雷だったのかもしれない。
そもそも魔王討伐隊というのはミレーヌのために王命で結成されたもので、加護の力で魔王を滅するために彼女を護衛するのがバルト達の役目。
そのメンバーは、バルトを除いて三人ともミレーヌに骨抜き状態だった。なんなら身体の関係もあった。
そんな爛れた関係の中に放り込まれているバルトはどんな気持ちだったのだろう。
ミレーヌを毛嫌いしているため他の仲間との間に溝もあったので、もしかするとバルトが閉じ込められた時に一悶着あったのかもしれない。
情報収集のためと思って聞いたことだったが、嫌なことを思い出させてしまったようだ。
「――それより、まずはドレスに着替えましょう。聖女様」
さっきまでの冷たい顔を霧散させ、バルトは上機嫌で紗希の肩を抱くと誘導するように歩き出した。
「着替え?」
その道すがら空き手でさりげなく空のコップに触れては消滅させる様は、バーで女性を口説くことに慣れた男さながらの手つき。
いや、詐欺に勧誘する人間の手際の良さというべきか、流されるように部屋を移動する。
辿り着いたのは大きな鏡のある衣装部屋のようだった。
「そのお召物は聖女様が帰る時に必要でしょう。直ぐのことにはならないし、こちらで預かりますよ。なので代わりのドレスに着替えましょう」
直ぐには帰さないと言われているようにも聞こえるが、さっきまで吐きそうだったのであまり深く考えないことにした。
いちいち反応していては身が持たない。
バルトに導かれ鏡の前に立つと、改めてその完璧なまでの造形美に内心一歩引いた。
並ぶと顕著に分かる。バルトの華やかさは段違いだ。隣に居ると特に、紗希の顔のパーツは基本的に小さいので、つんと尖った唇も二重の猫目も細い鼻筋も整っていようが存在が薄く見える。
「今のお姿も素敵ですが、俺にドレスを贈らせてください」
バルトは肩で跳ねる紗希のワンレングスの黒髪を少しばかり束ねて取ると、恭しく口付け、返事を待たずして鋭い声で誰かを呼びつけた。
「エギル。ここへ来い」
「はい、魔王様」
数秒もおかずして紗希達の背後に、一角獣のような角を生やした深紅の髪の女性が跪いていた。
彼女の背にも、あの時の少年のような羽が生えている。ただしこちらの女性は褐色の肌で尻尾がついており、その先端が赤く燃えていた。
というか今、バルトを魔王と呼んでいなかっただろうか。聞き間違いだと嬉しい。
「聖女様に見合う最高級のドレスを用意しろ。今着ているお召し物は禁書と同じ扱いで厳重管理するように」
「承知しました」
エギルと呼ばれた女性は恭しく首を垂れたまま無機質な声音で返事をする。
そんな彼女をバルトは鋭い瞳で見据え、釘を刺すように付け足す。
「くれぐれも傷つけるなよ。彼女は人間だ。お前たちと違って脆い。その爪を僅かにでも引っ掛ければ首が飛ぶと思え」
何か壮大なやり取りに聞こえるが、命を張るような作業ではないはずだ。
そもそも着替え自体、紗希はまだ”着替えます”とは答えていないわけだが、とても断る雰囲気ではなかった。
「我が命に代えてもご命令を完遂いたします」
頭を下げたままエギルが返事をすると、彼女の足元の陰から黒い目隠しをした同じ容姿の女性が数人這い出てきて、思わず紗希は目を瞠った。
それぞれの手には鋏と針、そして長い紐。裁縫道具なのだろうが、一見すると武器と見紛う。
「聖女様。俺は一旦退室しますね。後のことはエギルに一任しますがご安心ください」
バルトは紗希に顔を向けると、人が変わったかのように目尻を下げて微笑んだ。
エギルに対する態度と紗希に対する態度に温度差がありすぎる。
最早「はい……」と乾いた返事をするしかなかった。
――――エギルはバルトが立ち去るまで頭を下げていた。
そして衣裳部屋に紗希と二人きりになってようやく顔を上げた。
彼女の瞳は、その深紅の髪と同じで燃えるような美しい色をしている。
「エギルさん、私は紗希と申します。どうぞよろしくお願いします」
「偉大なる聖女様、敬語は不要です。それから私のことはエギルとお呼びください。これから採寸させていただきますので、私の従魔がお身体に触れますがお許しください」
「分かりました」
淡々として告げられてしまい、小さく頷くとエギルは従魔と呼んだ女性達に指示を出す。
採寸など下着を買う時以外、滅多なことではしないため僅かに肩が上がったが、緊張する間もなく一瞬にして終わってしまった。
「魔王様の心を揺さぶるドレスに仕上げます。デザインは私めにお任せください」
サイズが書かれているであろう羊皮紙のような紙を改めたエギルは、声のトーンに似合わず気合の入った言葉を紡ぐ。
無機質な声に熱が潜んでいる。いや、声というよりも瞳が物語っていたのかもしれない。
赤い瞳が自信たっぷりで紗希を見つめていたのだ。
「お手数おかけします……」
思わず頷いたものの、しかし猛烈な速さで仕上げられたドレスは、なかなかに露出度の高い破廉恥なものだった。
「あの、これはわりと大胆な感じですね……」
手に取った時、あまりの薄さとスケスケ感に紗希はぎょっとして息を呑み込んだ。
まさか嫌がらせなのかとすら感じるほどの露出ぶりに戸惑ったのだ。
しかし差し出したエギルの瞳は僅かに輝いている。
「聖女様にこそ相応しい一品です」
そして一呼吸置くとエギルはドレスについての説明を始めた。
「豊満な胸は布地であえて包み込んで隠し、胸元でのみ聖女様の渓谷の深さを感じさせております。腹部は透け感のある素材で奥ゆかしさを演出し、セイレーンを模したマーメイドラインの襞はおみ足が目立つようにざっくりと数カ所に切れ目を入れました。魔王様も必ずや満足されるでしょう」
ひと言でまとめてしまえば黒地のスケベドレス。
バルトに言い含められているうえ、あまりに熱心な説明を受けたので他意はないのだろう。きっと一生懸命考えてくれた結果出来上がったものなのだ。
そう思って一応腕を通してみたものの、仮にハロウィンだとしても身に着ける勇気ある猛者がいるかはかなり怪しいデザインだった。
――――エギルに仕上げてもらったドレスを身に着け、羞恥を堪えてバルトの前に現れるとその場はしんと静まり返った。
それからいくらか重い沈黙が続き、バルトは凍てついた声音でエギルに訊ねる。
「――これは、一体なんの真似だ?」
一つでも答えを間違えれば息の根を止められそうな雰囲気に満ちている。
「最高傑作にございます。我が一族の至高の作品です」
エギルは頭を上げバルトの冷えた視線を打ち返すかの如く熱心に見つめていた。
「お前の一族はサラマンダーだったか。配慮というものがないのか?彼女は聖女だ」
「私の母はサキュバスでございます」
次の瞬間、バルトが大きく腕を振り、びゅんと風の音が響くとエギルの頭部がその場に転がる。
「なっ!?!?なにやってるんですか!!え、エギルさん……っ」
紗希は動揺して瞳を揺らし、何度か口を開閉したものも声を張り上げエギルに駆け寄ろうとした。
しかしバルトによって腕を取られ阻まれる。恐る恐る振り返ると双眸を柔らげるバルトが首を振った。
「大丈夫ですよ。魔族はこれぐらいで消滅しませんから」
バルトの言う通り、確かにエギルは死んでいなかった。しばらくすると身体だけが動きだし自らの頭を見つけてくっつけ直したのだ。
そして再びバルトの前に進み出ると頭を垂れた。
さっき斬られたばかりだというのにそんなことをして落ちないのだろうか。
紗希のを不安をよそにエギルは淡々と尋ねる。
「申し訳ございません。この至高の作品について、なにか至らぬ点がありましたらお教えください」
絶対露出が高すぎたのがいけなかったのだ。
「見て分からないのか?」
「本当に申し訳ありません。皆目見当も……」
バルトの逆鱗に触れた理由がサキュバスの血が混じるエギルには分かっていない。最早種属レベルで違うので、無言の了解など無理な話だ。
項垂れるエギルに申し訳ない気持ちが芽生え、今後は注意しなければと紗希は己を戒める。けれど、まさかいきなり手拳で切りつけるなんて誰が想像するだろう。
今のところ首は大丈夫そうだが心配だ。
口を挟んで良いものか様子を伺っているとバルトは低い声でエギルに告げた。
「エギル、もう一度言う。彼女は聖女だ」
「はい。心得ております」
「だったらなぜ黒地の装束を身につけさせる?折角のデザインがゴミになるだろうが」
バルトは怒りを滲ませ冷ややかに告げる。
「聖女は、”白“だろ」
そっちなの!?スケベなデザインじゃなくて、色の問題だったの!?
「はっ……ーー魔王様の伴侶という概念に囚われ、このエギル失念しておりました」
エギルが我に返ったように双眸を大きく見開く一方で、紗希は頭が痛くなり瞼を固く閉じて唸った。
「しかし魔王様、白地のものはこの城にございません……」
「なぜ?」
「先日、霊虫公が配下の蟲を数えるために白地の布を大量に消費しまして……我々も神聖な色は苦手故、備蓄もしておらず」
「くだらないことに使いやがって」
バルトの素とも取れる乱暴な口調は怒鳴ったわけではないのにしっかりと怒気を孕んでいた。
「糸は?」
「そちらも魔族には人気がないのでございません」
エギルは静々と応える。
「もう良い、分かった。第五層に行って俺が狩ってくる」
「あの、バルトさん……黒で全然いいと思います。むしろデザインを変更いただけるならそっちの方が」
「何を言っているんですか、聖女様。聖女様は白でなければいけません」
言葉を言い切る前に遮られ、バルトは紗希の肩を掴んだ。
「五層の剛鉄迷宮に強く美しい白い糸を吐く蜘蛛がいます。ちょっと行って戻ってきますので、エギルと共にお待ちください。我が愛しの君」
言ってバルトは背を向ける。
「迷宮って……迷宮に行くんですか!?」
止めようとして駆け寄り後をついてゆくもバルトは歩みを止めない。
「大事な聖女様のドレスですから。ご安心ください、俺にとっては庭みたいなものです」
「庭って……」
「一時間とかかりませんので。大人しく待っててくださいね」
そのあまりの勢いに、止めるのは無駄だと悟る。紗希の背後にはいつの間にやらエギルが居た。
普通、ドレスのために迷宮と呼ばれるような場所に行く人間がいるだろうか。
どうやらとんでもない男に召喚されたらしい。




