3.大いなる力とは……。
――――大いなる力と聞いて、ここがもし現代ならば『この人、大丈夫かな』とドン引きしていたことだろう。
しかし今、紗希の脳裏に過ったのは作者の存在だった。
「この先に転移魔法陣があります。転移先は魔王城の第一層。外と繋がる唯一の階層です。俺はそこに転移出来た試しがない。この城から、抜け出すことが出来ない……」
そう告げたバルトレッドの雰囲気は先ほどとは明らかに異なり、殺伐としていた。
城から抜け出せないという部分に関して思いつくことといえば、作者が続きを書いていないから……なのかもしれないが、今のバルトレッドを前にして迂闊にそんな事は口に出来なかった。
その表情は怒りだけでなく、悲しみ、憂いといった複雑なものを感じさせる。
「……勝手に召喚したことは申し訳ありません。ですが愛する聖女様に最後までついてきて欲しかった。俺の母の故郷では、聖女は運命を凌駕する存在ですから……」
なるほど、結末まで導く存在が欲しいといった意味合いだったのか。
バルトレッドとしては、聖女ならそれが出来ると考えているらしい。
であるなら尚更である。紗希は頭を悩ませた。
バルトレッドが呼ぶべき聖女というのは、やはり作者の方ではないだろうか。
紗季自身の混乱はひとまず収まりつつあったが、苦し気に紡がれた台詞に対し、かける言葉に迷ってしまう。
とはいえ人違いであることはきちんと伝えるべきだろう。紗季は聖女でも、作者でもない。バルトレッドを結末に導く存在にはきっとなれない。
「あの。私としてはやっぱり人違いだと思います。何の力もないので聖女じゃないですし……結末に連れていく事も、きっと出来ません」
エタってしまった後の展開など作者に頭の中にしか存在しないのだから。
どう着地するつもりだったのか分からない紗希には完結させるための手伝いが出来ない。
しかしバルトレッドは首を横に振った。
「それは有り得ないですね。大丈夫ですよ、聖女様ならきっと出来ます」
「そう言われても……」
「最後まで辿り着いた暁には、元の世界の召喚時間まで戻しますから。どうか付き合ってください、聖女様」
ーー戻れるのか。
帰れないわけでないのなら、これはさほど悲観するほどの出来事ではないのかもしれない。しかも召喚時間とはなんとも都合がいいもので……そんな風に明るい兆しを見出しかけたが、待てよと眉を顰めた。
「帰せるなら、いったん私を解放して然るべき人材に頼んでくださいよ……」
それがお互いのためだろう。
「出来ませんね。召喚には膨大な魔力を使います。召喚者はさっき昼寝に入ったので、仮に叩き起こせたとしても直ぐには無理ですし」
「なら回復されてからで良いので……」
「俺が嫌です」
「人でなし!!」
確かにこれは悪辣勇者だ。
つい先ほどまで悲壮感に溢れていたかと思えば、今ではねっとりとしたいやらしい笑みを浮かべている。
なんだか深刻に考えたことが馬鹿らしくなって紗希は溜息を零した。
元の世界に帰れるか否かがこの人の心一つで決まるというのなら、彼の気が済むまで付き合う他ないのかもしれない。
「……バルトレッドさん」
「バルトと呼んでください」
食い気味で訂正して来るバルトに対し、じとっとした視線を向けるが、結局緩やかに首を傾げられるのみだった。
「ならバルトさん……」
「はい、聖女様」
「……バルトさんの気が済むまで、その最後まであなたが辿り着けるよう善処します。でも私じゃ無理だと理解いただけたら、その時はちゃんと元に世界に戻すって約束してください」
確認するように告げるとバルトは僅かに双眸を瞠った。それからパッと顔を輝かせたのち瞳を溶かして頷いた。
「えぇ、約束しましょう。俺の命に変えても約束は違えません。ありがとうございます、聖女様」
あまりに嬉しそうにするので心が咎めると共に、早く勘違いに気付いてくれればいいと心の中で願った。
「いえ……ほんと、何が出来るか分かりませんが、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ。我が愛しの聖女様……」
そして何故か再び唇が迫る。
瞬時に手で塞ぎ顔を押し返せば、耳の垂れた子犬のように寂しげな目をされた。
ーーーーバルトの顔を見ると、まるでこっちが悪いみたいだ。
しかも気のせいだったかと思うほどに殺伐とした雰囲気は一抹も残さず完全に消えていて、先ほどからずっとツッコまされている。
食えない人だ。
罪悪感を抱かせるプロなのか、先ほどのあれもこれも意図的だとすると末恐ろしい。
「というか、さっきからさり気無くキスしようとしてますけど、今の流れでどうして良いと思ったんです?」
「駄目でした?」
「駄目ですよ!!」
バルトは悪びれもせず喜色を孕む笑みを零した。
「聖女様の気を引きたいだけなのに。それに魅力的な唇を前に我慢が出来る男がいると思いますか?」
「私の世界の人達はわりと節度ありますけどね……というかですね……」
紗希が眉を顰めて咳払いした。
「なんですか?聖女様」
それだ。
「その聖女様っていうのは止めてくれませんか?私の名前は早乙女紗季なので、出来れば紗季と呼んで欲しいです」
紗季は先月で二十七になったばかりだ。
個人的な感覚にもよるのだろうが、もう聖女と呼ばれて舞い上がるような歳でもない。なんならずっとムズムズとしている。
するとバルトは顎を引き、言葉を詰まらせたかと思うと、唇を上擦らせ照れたように双眸を伏せた。
それから溜めていたものを逃すように長い息を静かに零した。
「――なんて爽やかで凛とした響きだろう……しかし聖女様のお名前を呼ぶなど畏れ多いですよ。俺には出来ません」
本当に一体何を言ってるのだろう。
抱き上げることも髪に口付けることも出来たのに、どうして名前で照れているのか。
こちらの方がよほどハードルが低い気がするのに、価値観の違いなのか……それとも世界観の違いなのか、頬を染め俯かれる始末。
「じゃあ、はい……分かりました。いいです。そのままで」
分からないけれど、ここはもう了解したことにしておこう。
バルトの大袈裟な反応に対し、呼び名一つにごねる方が大人気ない気がしてきた紗希は明後日を見つめつつカタコトで返すと頷いた。
するとバルトは僅かに顔を上げて眩しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。聖女様」
「いえ……」
それから彼はしみじみとした口調で告げた。
「……七年、この日だけを夢見てました……最後まで共にしてくれると許可を頂けて本当に嬉しいです」
まるで大切なものを扱うかの如く抱えられたまま紡がれる。その言葉に紗季は一切の言葉を飲み込んだ。
小説の更新が止まったのは紗季がまだ大学生だった頃。
きっと、七年というのは更新が止まってからの年月だろう。
たまに思い出してはページを開き確認するという何気ない癖が意外と長く続いていたことを実感すると同時に、バルトにとっては動かなかった七年だったのだと理解した瞬間だった。
何とも言えない気持ちになって無意識に眉尻は下がる。
「バルトさん……」
「では行きましょうか聖女様。俺達の式の相談もしないと」
「……はい?」
「ドレスは城の案内の後に作りましょう。いや、その前に食事か……不思議と久しぶりに腹が減ってきた気がする。聖女様はいかがですか?」
キラキラ、というよりギラギラとした野生的な眼差しで見つめてくるバルトの姿に、紗希は喉奥を密かに鳴らしたのだった。




