18.神殿は作者を知っている
「――俺は聖女様を裏切りません」
「あ、あの……恥ずかしいので下ろしてください」
人が行き交う道では幾つかの視線が紗希達に集まっていた。ある意味そのおかげで言い訳が立つと紗希は感じながら、バルトの肩を押し返しす。
これが二人きりだったなら、この話から逃げることが難しかっただろう。
バルトはまだ物言いたげな顔をしていたが渋々と紗希の身体を下ろした。
やはり足は地面に密着している方がいい。
恋愛も同じだ。他人に心を掬い上げられるよりも、自分の意思で確実なものだけを確かめながら一人で歩く方が安心する。
一度だけ他人に預けた心は、意外なほどあっさりと落とされてしまったから。
割れはしなかったが、失望して泣いたことを紗希は思い出していた。
男という存在にはいつだって父の影が付き纏い、勇気を出しても痛い思いしか出来なかった。
しかし完全に憧れが消えたわけではなく、ロマンス小説だけが安全基地だといつも逃げ込むのが早乙女紗希という人間である。父と既に縁が切れ、母も祖父母も失った今、もう二度と辛い思いはしたくない。
だからこそ創作物である他人の幸せは美しく、ただの読者として純粋に楽しむことが出来て心地よかった。どれだけページを捲っても自分が傷つく事はないのだ。
お裾分けしてもらえるだけで十分だった。
――だから引き摺り出そうとしないでほしい。
目の前の”生身のバルトレッドをどう思うか?”という質疑の舞台に立つには、やはり荷が重すぎるのだ。
それに紗希は言ったはずだ。ハッピーエンドを一緒に探すが、結婚はできないと。
加えて、流石ロマンス小説のヒーローに据えられた男というべきか、リップサービスのように口をついて軽快に流れ出てくるバルトの言葉を紗希は鵜呑みにするような少女でもない。
感情はそのまま表情に出ていたらしく、バルトは紗希を見て少し悲し気な顔をしていた。
「すみません……ですが、俺は聖女様を……――」
――あぁ、またか。
紗希は穏やかな声音で遮った。
「バルトさん。あまり強引過ぎるとミレーヌさんと一緒ですよ」
刹那、バルトの表情が強張り、戸惑いの視線が宙を彷徨う。
自覚がなかったのだろうか。
紗希はこれまで口に出して指摘するつもりはなかったが、言わせたのはバルトだ。
「そもそもバルトさん、私の名前ちゃんと覚えてます?いい大人ですし……口説きたいなら相手の名前ぐらい照れずに呼べた方が、好感持たれやすいですよ」
紗希は口を開閉し狼狽えるバルトを前に双眸を細めては、吐息を零して冷静に尋ねた。
「そろそろ宿に戻りましょうか?」
思いつめたように唇を薄く開きかけたバルトだったが、しかし幾許かの間を置いたあと諦めたように言った。
「はい……聖女様」
――――ほっと胸を撫で下ろす。
セレスティーナ達と別れて最初に宿を取った店に、気不味い雰囲気のまま二人は戻った。
その夜の会話は当然弾むわけがなく、ぎこちないまま時間は過ぎてそれぞれ部屋に別れる。
明日になれば窮屈になった関係も、少しはマシになるだろう。そんな風に考えて紗希は目を閉じた。
昨晩、ストラスは無事?に神殿制圧に成功し神官やマリアンヌ達を捕らえたらしい。事前に報告を受け、翌日はセレスティーナの実家であるヴァレリア侯爵邸にて、一同が集うこととなった。
移動中の馬車では、紗希はセレスティーナとステラの二人と対面して座ることとなり、バルトは自ら護衛を申し出て馬車のそばを馬で走った。
バルトが今何を考えているかは紗希には分からない。
結局のところ、最低限の会話はあれど、気不味い雰囲気があれからどうなったか確かめられるほど二人で話す時間はあまりなかったのだ。
「も、申し訳ございませんでしたぁっ……!!」
ヴァレリア家の一室にて、神殿の神官長がバルトの前に跪いていた。
エギルが神官長とマリアンヌを連れて現れたのは、ヴァレリア邸についてすぐのことだ。
ヴァレリア侯爵との挨拶を終え、セレスティーナが改めて事情を説明すると、速やかに憔悴した姿の神官長らが引きずり出され、一家の鋭い視線を浴びていた。
「なぜ交渉にセレスティーナ嬢を持ち出した」
バルトが問えば、拘束された状態の神官長の頬が引き攣った。
「答えなさい」
拘束具を嵌められた身体を見下ろすエギルが足先で小突き呻き声があがったが、しかし神官長は声を震わせ首を振る。
「それは……っ、とても私の口からは……精霊王に伺いを立てねば、とても……ひっ……」
エギルに睨まれ小さな悲鳴を上げるのに、しかし躊躇して頑なに口を開こうとはしなかった。
その姿を無表情のまま見遣ったエギルはバルトの前に片膝をついた。
「申し訳ございません、魔王様。私の調教が足りなかったようです。ここは日を改め調教し直します」
すかさず申し出る言葉に神官長はさらに大きく首を振った。
「ご勘弁をっ……お慈悲をくださいエギル様……!!」
「ならば速やかに答えなさい、神官長」
「し、しかし……精霊王に背くことに……」
白状したくないが、調教もされたくない。そんな神官長の主張が始まりバルトは苛立ちを露わにしていた。
しかしバルトが口を開きかけた時、傍で蹲っていたマリアンヌが頭を上げ申し出た。
「お父様、エギル様のご命令ですよ。言えぬのなら、私から申し上げます」
「マリアンヌっ……!!」
神官長が声を荒げたが、エギルの影が伸びて口元が塞がれる。
マリアンヌと呼ばれた女性は確かに紗希の髪色と近い色をしていた。
ただし彼女の方が紫がかった色味が強く出ている。瞳はアッシュグレーの薄い色素で、乱れた髪は肩につく長さをしていた。
ステラが紗希とマリアンヌを勘違いした理由には納得するものがあった。
細かい部分を見なければ、確かに似たものを持っている。
彼女は後ろ手に拘束されている身体を無理矢理起こし、座り込んだまま告げた。
「風の精霊の加護を受けているマリアンヌと申します。この度はセレスティーナ様ならびに、ヴァレリア家の皆さまに対し、甚大なるご迷惑をおかけしましたことを神殿を代表しお詫びいたします。それからこの度はエギル様という至高の存在とめぐり合わせていただきましたことを心より……――」
「マリアンヌ、魔王様の質問に答えなさい」
流暢な口上と共に出てきた怪しげな言葉をすかさずエギルが遮り、彼女にしては珍しく唸るように牙を剥いた。
しかしマリアンヌはエギルの口許から覗く牙をうっそりと見つめては、恋する乙女の如く語尾にハートマークでもつく勢いで「はい、エギル様」と頬を赤らめる。
セレスティーナに向いていた興味が他に移ったのは明らかだったが、一体、何をされたらこうなるのだろう。
直後に彼女の口から意外な単語が出た。
「……結論から申し上げますと、私達はセレスティーナ様を聖女と誤解して、あのような愚行に至ったのです」
その場はしんと静まり返った。
「聖女……?」
紗希は思わず声に出していた。
小説で出てこなかった聖女という存在。バルトが紗希を聖女と呼んではいるが、また同じ言葉が違う人間の口から出てきたのだ。
マリアンヌは戸惑う者達を置いて語り始めた。
「かつてこの国には精霊王の寵愛を受ける精霊バンシーが存在していました。しかしそのバンシーは異世界に転移させられており……どうやら異世界で”予言の書”を執筆したようなのです」
――予言の書を、執筆……?
マリアンヌは寝物語でも語り聞かせるかのように滑らかに言葉を綴る。
「今から七年前のことです。精霊王が予知夢を見ました。そしてこの国の精霊の泉がいずれ枯渇すると予言したのでございます。そして実際に泉の水位は下がりはじめ、原因は”予言の書”を書いているバンシーだと精霊王は仰ったのです。我々は直ちに執筆を止めさせるべく、バンシーをこの世界に呼び戻すため禁忌の召喚術を展開いたしました」
そこでバルトが訝しげに尋ねた。
「待て。本来バンシーは、”死を知らせる”だけの精霊だろう」
バンシーの伝承は概ねこの世界も認識は同じらしい。紗希もバルトが疑問を呈した点には不思議に思うところがあった。
「はい。ですがあのバンシーは特殊なのです。筋書きを作り結末に誘導する力を持っています。つまりこの国が死ぬ過程を描くことが出来る存在だったのです」
七年前といえば、バルトやセレスティーナに異変が起きた頃だ。
まさか、と紗希は疑った。
いやまさかそんな筈はないだろう。
マリアンヌはひと息ついた後、眉尻を下げ溜息を溢す。
「しかし結局、召喚は失敗しました。召喚中に異世界への接続が切れてしまったためです」
紗希は恐る恐る尋ねた。
「その後、バンシーはどうなったんですか……?」
マリアンヌは薄らと笑みを浮かべては力なく首を振った。
「分かりません。消滅すれば精霊王が分かるはずですが、まだ存在はしているとしか……水位の減少は止まったものの、泉の枯渇問題自体は未解決のままどうすることも出来なくなったかに思えました」
精霊王も神殿の人間も、この国の根幹の関わる問題を放置しておくわけにはいかないとマリアンヌは言う。
それからエギルに視線を移し黄色い声と言っても過言でない溌剌さと甘さを孕んだ声音を響かせた。
「しかし!バンシーの行方は分からずとも私共の手元にはバンシーの遺物が残りました!エギル様、よろしければ拘束をエギル様の御手で解いてはいただけないでしょうか?」
エギルは無言でバルトを見遣り、了承の意を含んでいるだろう短い頷きを確認すると、マリアンヌの拘束を速やかに解いた。
するとマリアンヌは胸元から赤い宝石の付いたペンダントを取り出し、呪文らしき言葉を並べ一枚の紙を取り出した。
それをエギルへと差し出し、バルトの手に渡る。
隣に立っていた紗希はその紙に書かれてあった単語を見て息を呑んだ。
「これって……」
嫌な予感は当たったのだ。
紗希の目に飛び込んできたのは紛れもなく、何年も更新を待っていた『王太子と異世界女に二度裏切られた私は、悪辣勇者に溺愛される』というタイトルだった。
ーーあれはロマンス小説じゃなく予言だったの……?
あれほどWEB特化型と言わんばかりのタイトルをつけておきながら、これが予言の書だと言うのだろうか。
ぶっ飛び過ぎている。
しかし、バルトレッドの名や、花雫の乙女について書かれており、ヒロインという単語に加えて聖女まで書き留められてあった。
しかし小説の内容にしてはそれらしい部分と、かなり曖昧な表現をされているところがあった。
「……多分プロットですね。かなり断片的で、慌てて書いているというか、殴り書きのようですけど……」
紗希は日本語ではない文字だが自然と頭に入ってくる言葉を眺め戸惑いがちに呟いた。
「そちらの書物には様々な事柄が簡易的に書かれております。我々はこれをバンシーの遺物と呼び、ヒロインと呼ばれる聖女ならば泉の枯渇を食い止められると分析しました」
マリアンヌは紙に視線を止めたままの紗希達を見て言った。
一通り目を通してセレスティーナに渡すと、彼女は眉根を寄せる。
「俺の名はともかく、彼女については触れられてないが、なぜヒロインがセレスティーナ嬢だと?」
バルトが胡乱な眼差しで尋ねるとマリアンヌは苦い笑みを浮かべた。
「……確かに遺物にはヒロインとなる聖女の名は明記されておりません。当初手掛かりとなったのは勇者であるバルトレッド様でした。そちらに記述の通り、あなたは聖女の守護者という重要な役目があるようで、聖女を愛し守り抜く予定です。しかし」
言葉を止めたマリアンヌに対し、セレスティーナが硬い声で告げた。
「勇者は死んだと報告があった、のですね」
マリアンヌは頷いた。
「はい。勇者が死亡し、いったい誰が聖女であるのか断定するには情報が不足していたのですが……――しかし、ヴァレリア家の奇妙な現象を知り、セレスティーナ様の存在に着目すると面白いことに彼女が”ヒロイン”という聖なる存在である可能性が高まりました」
紗希はなるほどと胸に落ちるものがあった。
紙にはこうも書かれていたのだ。
「死んでも状態が回帰する現象、時を逆行することなく復活し、運命に抗い進み続けるもの……勇者と同じ現象に苛まれる清廉潔白な乙女、該当しますね」
マリアンヌは沸き立つように両手を胸の前で握り締め声を上げる。
「そうです!セレスティーナ様が聖女だと気付いたとき、私は高揚しました。バンシーの遺物は本物で、我々は麗しいご令嬢の力によって救っていただけるのだと……激しく昂ぶりました」
「気持ち悪」
それまで大人しく無言を貫いていたステラがうえっ嫌悪を露わに言った。
しかしそれを一切気に留めることなく、マリアンヌは周囲を見渡し両手を広げ宣言する。
「聖女は運命を凌駕する存在です」
バルトレッドも言っていた言葉だ。
「その力を精霊王に捧げることで精霊の泉の枯渇問題を断ち切れると考えたのが今回の顛末です」
「……何よそれ、捧げるって生贄ってこと?」
そろそろステラの堪忍袋の緒が切れそうだった。
ヴァレリア家も、バルトも、紗希すらも訝しむ視線をマリアンヌに注いでいるが、しかし彼女はそれに臆する事はなかった。
「精霊王の養分となりこの地を癒すので生贄ではなく、融合とお考えください」
理解し難い返答である。
国や世界が変われば価値観も変わるものなのかもしれないが、いつの時代もいつの世界も変な人間は一定数居るらしい。
バルトは重い口を開くと共にマリアンヌの前に立ち告げる。
「理由は分かった。だがセレスティー嬢並びにヴァレリア家への手出しについては俺が許さない」
「分かっております……バンシーの存在が不確かな今、問題はひとまず先送りしましょう」
意外なことに、マリアンヌはあっさりと頷いた。
「我々は二度とセレスティーナ様に危害を加える行為はいたしません。ご家族に手を出すことも……差し出がましいお願いですが、よろしければ私は今後エギル様にお仕えさせていただけないでしょうか。命に代えて神殿を見張りますので」
言えばすかさずエギルの腕に絡みつき頬を擦り寄せる。
「お前はどうだ、神官長?」
意思を確認するためにバルトが問えばエギルがマリアンヌの腕を振り払い、神官長の口元の拘束を解いた。
脂汗と共にことの成り行きを見るだけに甘んじていた壮年の男の口から出てきたのはマリアンヌに対する罵声だった。
「マリアンヌっ!貴様、うらぎるのかっ……精霊王様に背を向けるなどっ、我が娘とは思えん!!」
しかしマリアンヌは神官長を見下ろすと口角を持ち上げてはエギルに視線を移した。
「父上、私は惚れたのです。セレスティーナ様も素晴らしい令嬢ですが、エギル様の歩く道なら舐めれるほどに興奮する……お傍にいたいのです」
神官長は絶句していた。
相手は魔族、しかもそのために神殿が奉る精霊王を裏切るというのだ。寝返りを宣言するも同然の言葉に、バルトは冷ややかな眼差しを向け片眉を上げると短く息を吐いた。
「好きにしろ」
バルトが承諾すると思わなかったのだろう、エギルはすかさず反論した。
「魔王様、私はこのような人族は要りません」
「だろうな。だが面倒ごとは手元に置くべきだ。お前が管理しろ。殺すなよ」
淡々と応えるバルトに対し、いつもより長い沈黙を作ったエギルであったが、しかし魔王の命令を退ける筈はなく最終的に頷いた。
「……業務ということでしたら承知しました」
「有り難き幸せですっ……!!」
エギルの心底嫌がっている壁のある台詞を聞いてマリアンヌは歓喜していた。
その様子をバルトは何か考えるように見つめる姿があったが、もしかすると気のせいかもしれない。
これでヴァレリア領の問題はひとまず解決の方向に進んだわけだが、しかし新たな謎と問題が浮上してしまい、紗希はひとり溜息を溢した。
紗希の世界に飛ばされたバンシーの再召喚に失敗したからバルトは魔王城に閉じ込められたのか。
精霊の泉の問題はこのままで本当にいいのか。
実在するらしい精霊王が聖女を求めているなんて怪し過ぎる。
いや、それよりも……。
ーー予言の書とか仰々しい言い方されてるけどロマンス小説なのですが。
それとも本当に精霊の泉に影響を与える国の滅亡の物語だったのだろうか。
紗希はバルトのハッピーエンドからまたさらに一歩遠のいた気分になっていた。




