19.二人の聖女
「ーーエギル。その神官長はまだ躾が足りないようだ。ガルドと同じ手法で再度調教しておけ。お前は魔族の割に人族に対し生温い」
神官の頑なな態度に辟易としてバルトはエギルに命じていた。
「申し訳ございません。魔女の元へ送ります」
「エギル様お待ちをっ、エギ…ん゛ぐっ、ん゛ーーっ!!んん゛ーーっ!!」
エギルは淡々と答え神官長の口元に再び黒い影を巻き付けていたが、その尻尾はシュンと垂れ下がっていた。
「次にそいつの顔を見せる時はもっと従順にしておけ」
「……はい。では魔王様、私はこれにて……来なさい、マリアンヌ」
「はい!エギル様」
どこか陰鬱な雰囲気を纏いながらエギルは神官長を強引に引き摺り自らの影に沈んでゆく。
反してマリアンヌは名を呼ばれ興奮気味に返事をしては、躊躇せず彼女を追いかけていった。
マリアンヌ達が消えて喧騒が去り、ヴァレリア邸の客間は静かな空気が流れている。
その変化に妙な間が流れたが、しかし不意にセレスティーナがぽつりと零した。
「精霊の泉の枯渇問題は困りましたね……未解決とは、そもそも事実なのでしょうか」
確かに神殿がセレスティーナにこだわった理由は明かされたものの、マリアンヌの語った全てが事実かというと証拠はなかった。
誰が背負うべきか分からない幻のような問題が宙ぶらりんとしている状況は座りが悪い。
しかしバルトはセレスティーナに近付いて、彼女からバンシーの遺物を回収し言った。
「今は考える必要はありません。聖女の生贄についても。あなたはステラとの愛を信じ、これからも自分の意思を貫き通せばいい」
二人が並ぶと絵になるが、しかし二人ともそれは望んでいない。
セレスティーナはバルトの瞳を見据えると、それから深く頷き形良い唇の端を緩めた。
「……そうですね。分かりました」
どこか決意を秘めたような瞳だった。
その凜とした姿に清々しさを覚える。
小説のセレスティーナも清廉潔白で自分で運命を切り拓こうとする女性だったが、その根底には責任や矜持といったものが彼女に重くのしかかっていた。
うじうじ系のヒロインとは全く異なるも、しかし抑圧されたものを無視してしまうところがあり、その硬い殻をきっと小説が完結する頃にはバルトが破ってくれるのだと紗希は思っていた。
しかし実際の彼女は違った。
七年でセレスティーナは、責任も自分の望みも自ら手に入れられる人間になっていた。
ステラの存在が彼女を変えたのか、それとも小説がエタった影響が与えた心の傷が彼女を強くしたのか……。
「あの、ところでお兄様の具合はどうでしょう?」
セレスティーナがバルトに尋ねる。
「神殿に対する狂信は消えて順調に回復されておいでです。しかし切り取った記憶の穴埋めをしない場合の処置は手間がかかるため、今は城で療養いただいております。数日は安静にした方が良いでしょう」
この場に現れなかったサイラスだが、彼はまだ魔王城に居るらしい。
神殿から受けた拷問によって精神的な支配を受けていた兄が、魔族によって癒される。字面だけ見れば、一見して役割が逆のように感じるが、事実は小説よりも奇なりというのは本当だった。
「分かりました。本当に何から何までありがとうございます」
「引き受けると決めたのは俺ですから。サイラス殿は精神の安定が確認出来ればすぐに領地までお送りします」
二人のやり取りを聞いて紗希は心の底からほっとしていた。
「よかった。本当に……」
そこへ、セレスティーナの父であるヴァレリア侯爵がバルトの前に進み出た。
ヴァレリア侯爵はセレスティーナによく似た甘い面持ちを引き締め、恭しく頭を下げた。
「バルトレッド様。この度は助力いただきありがとうございました。どうか、我が息子をよろしくお願いします」
それから面を上げ真摯に尋ねる。
「……この件に見合う礼は何が良いでしょう。あなたは何を望みますか?」
バルトは一度だけ紗希を見た。
しかしその後、すぐに視線を逸らすと彼にしては珍しく僅かに頬を緩める。
「既にセレスティーナ様よりいただいておりますので」
「しかし……それでは私の気が済みません」
ヴァレリア侯爵は眉根を寄せ訴えた。
「ーー……ならば、できる範囲で結構ですので、王都の花雫の乙女の動向に変化があった時は報告いただきたい」
バルトは少し考えたあと、そう言った。
「承知しました。お任せください」
そうしてやっとヴァレリア侯爵は安心したように笑った。
ヴァレリア家としてはひとまず大団円といったところだろうか。
完全に憂いが払拭されたわけではないだろうが、脅威は去り、領地も家族も安全が保障されたのだ。
「ではステラ、結婚しましょう」
不意にセレスティーナが鈴の鳴る声でステラに言った。
「はい?」
間の抜けた声で聞き返すステラに、紗希までセレスティーナが言った言葉が理解出来ていなかった。
戸惑うステラに対してセレスティーナはもう一度はっきりと言った。
「聞こえなかったかしら。結婚しましょうと言ったのよ」
「いや、聞こえてるわよ……なんで急にそうなるわけ?」
脈絡なく申し込まれた求婚にステラは釈然としない様子だったが紗希の傍らでバルトは満足そうに二人を眺め呟く。
「約束をすぐに履行するのはいい姿勢だ」
紗希は咄嗟にバルトを見上げた。
「バルトさん、まさか……」
記憶を手繰り寄せると、心当たりがある。セレスティーナが用意した誓約書を確認していたバルトはやけに上機嫌だった。
「えぇ。誓約した内容の一つですね。ハッピーエンドにはこうした演出はつきものでしょう。ご安心ください、彼女の意思ですから問題はありません」
セレスティーナの意思なら周りがとやかく言う問題ではないのだろうが、紗希は内心独りごちていた。
ーーヒロインが求婚してる……。
ステラはまんざらでもなさそうだが、若葉色の鮮やかな色の瞳を眇めセレスティーナを見ている。
本当に言っているのかと確かめているような視線でもあった。
そんな彼女の左手をセレスティーナが掬い上げるように取り両手で握りしめる。
「ステラ。あなたが私のために怒ってくれた日に、何があってもこの気持ちだけはあなたに捧げようと決めていたの……けれどね、心を捧げるだけでは足りないわ。目に見える形で表現したいの。私にとって、それが結婚よ。どうか私を一番星のそばで輝かせてちょうだい」
セレスティーナの白い頬は仄かに朱をさしていて、甘酸っぱい瞳は微かに揺れていた。
「セレス……」
ステラは気の強い顔立ちをくしゃりと緩め、それから自分の手を包み込むセレスティーナの手にそっと触れた。
「あなたって本当、仕方のない人なんだから……」
「返事は?」
「もちろん受けるわよ」
抱きしめ合う二人に一番に湧き立ったのはヴァレリア侯爵だった。
「……よく言ったセレスティーナ!!流石はヴァレリア家の娘だ。気概のある女に育ち私は嬉しいぞ!めでたい!!」
力強い拍手を送り大号泣している。
「ヴァレリア侯爵?」
紗希は驚いていた。
セレスティーナと同じ儚げな面差しだが中身は熱い人物であるようだ。
小説に登場するヴァレリア侯爵も家族思いの人物として描かれていたが物静かなタイプだったはず。しかし目の前の侯爵はスポーツ選手が得点を決めて沸き立つ観客そのものである。
夫人も同様だった。
「なら日程を決めなければね。招待状の紙色は何色にしましょうか?領民も自由に出入り出来る方がいいわよね。それより二人のドレスが問題ね、今から楽しみだわ!サイラスは絶対ステラのエスコートをしたがるわね」
もう既に脳内で結婚式のシミュレーションが始まっているらしい。
この家系の血筋なのかセレスティーナ自身も気が早いことを言い始めている。
「ハネムーンはどこがいいかしら。私、久しぶりに王都に行ってみたいのだけれど」
結婚式を飛び越えてハネムーンまで想像出来るあたり式の計画は彼女の中である程度固まっているのかもしれない。
「もう、セレスは侯爵領から出られないでしょう」
頬に手の平を添え小首を傾げながら語るセレスティーナにステラは突っ込んでいるが、どこかじゃれあっているような雰囲気が醸し出されている。
完全に二人の世界、いや、ヴァレリア家の世界に入りつつあったが、しかし思い出したようにセレスティーナは紗希を見て双眸を緩めた。
「その件ですが、紗希さんにご協力願えたらと思っているのよ」
「私ですか……?」
唐突に名指しされ紗希は目を丸くし何度か瞬く。
隣に立つバルトはどこか訳知り顔で、ある種の誇らしげな雰囲気を纏いながら紗希を見ていた。
ーーーーその後、紗希はセレスティーナとバルトと共に三人で領地の境界に来ていた。
「勇者様が魔王城から出られたのは紗希さんのおかげと仰ったのが気になって。私とも試して頂けませんか?」
障壁があるという場所にセレスティーナは触れながら尋ねた。
彼女はそこに何かあると言うのだが、紗希には分からない。誰もが何もないという場所はセレスティーナにとって永遠に続く壁があるらしい。
それはバルトが第一層の魔法陣に入れないという話に酷似していた。
「あれは偶然だと思うのですが……分かりました。セレスティーナ様の気持ちが晴れるなら」
広い領地でバルトと違って日に当たることが出来ていた彼女だったが、けれどきっとそれは長い鎖に繋がれているようなものだったのかもしれない。
紗希は頷き、セレスティーナの手を取った。
「ステラさんは連れて来なくて良かったんですか?」
「えぇ。ステラとは境界に来たことがないのよ。二人で来る時は一緒に外へ出られるようになった時と決めてるの」
紡がれた言葉は、まるで願掛けのようだった。
領地の外を眺める甘い瞳に紗希はしばし釘付けになっていた。
ーーセレスティーナにも自由になって欲しい。
この話のヒロインは、主人公はセレスティーナだった。紗希はずっと、彼女とバルトの物語を追っていた。
ここに来たのはバルトとセレスティーナを引き合わせるためでもあったが、根底にあるのはセレスティーナの現在を確かめたかったからだ。
紗希は心の中でセレスティーナの自由を願い、手を引いた。
バルトの七年を知り不安だった。
自分の知っている小説のヒロインが苦しんでいるのじゃないかと。
実際に会って何が出来るわけでもない、紗希はただの読者であったがバルトを引き摺り出してきた。それこそが自分の役目と信じていたからだ。
実際のセレスティーナは、自分の物語に折り合いをつけ、そして生き生きと輝ける人と巡り会えていた。
その人と、ステラと共に自由に生きて欲しい。
すると突如、パリンっとガラスが割れたような音が響いた。
その瞬間、セレスティーナの身体は領地の外へと一歩を踏み出したのだ。
「やったわ!勇者様、見てました!?」
破損する音と同時に、セレスティーナが歓喜に沸き立ち少女のような声を上げた。
真っ先に彼女から声をかけられたバルトは押し黙っていた唇をようやく開き、そして眦を下げて穏やかに言った。
「えぇ、確かに見ました。これであなたも自由だ」
境遇は違えど、二人にしか分からない七年が確かにそこにはあった。




