17.聖女の世界 ※バルトレッド視点
異なる世界から人間を召喚するには手間がかかる。
禁書の翻訳、古代魔法陣の解読、異界への接続、魂の探知、そしてようやく召喚とくる。
禁書扱いとなっていた世界干渉の古代魔法が研究されている本を手に、バルトレッドは『異世界人召喚における特異点に対する考え方と論理的手法』と記述される頁を改めて読み返していた。
本日行う『魂の探知』が成功すれば、試運転を経て聖女召喚に進めるだろう。
「エギル、今日は聖女様の魂を探す。魔力供給を命じるが、手を抜くなよ」
「承知しました」
召喚に関わる魂の探知魔法の発動に必要な魔力はバルトレッドだけでは賄えない。故に魔力量の大きい魔族に命じ、供給させる事にしていた。
異界との接続に必要な水晶の前に立ち、バルトレッドが呪文を唱えると水晶は輝き始めた。
これまでの道のりは険しく、特に異界への接続には何度も失敗を繰り返したが、しかし今回の魂の探知については何の憂いもなかった。
バルトレッドは自負しているのだ。
唯一の光であった聖女の魂を自分が間違うはずがないと。
この城で死ぬ度に何度も見てきた。視線から始まり、声も、姿もバルトレッドは記憶に刻んでいる。
水晶の輝きは白く、激しさを増して、そして異界への接続が成功する。光が安定したところで脳裏に聖女を描きながらさらに呪文を唱えれば、光は事切れたかの如くプツと途切れた。
一見すれば失敗に思える現象だが、水晶の中心にはまだ輝きが僅かに残っている。
バルトレッドはそれがこれからどう変化するか冷静に見守っていた。
しばらくすると再び水晶は反応し、ぼんやりとした淡い光を灯す。
ーー成功だ。
まるで水晶自体が魂そのもののように、青白い光が繊細にゆらめいていた。
なんて美しい輝きだろう。
引き寄せられるようにしてそれに触れると、聖女ーーもとい”早乙女紗希“という女性の記憶が断片的に開示される。
現在の紗希は“会社”という何かしらの組織を抜けて、小さな店を営んでいるらしい。
「ーー無礼を承知で申し上げますが、魂を覗くなど人族の倫理に反するのでは?」
既に魔力供給を終え、これまで黙って控えていたエギルが不意に口を開いた。
探知後に自動的に展開された記憶、水晶から宙に投影された映像を見て言ってるようだ。
こればかりは仕方ない。
記憶が自動再生されるなど、魂の探知魔法を残した開発者側の問題である。
それ以前に血で血を争う倫理と遠くかけ離れた種族から発せられる言葉ではない。
胡乱な眼差しを向けると、鉄仮面のような感情の読めない表情があった。
それが余計に苛立たせる。
「は、魔族がよくいう。そもそもこれは不可抗力だ。すぐに切断を……」
しかしバルトレッドは途中で言葉を止めた。
無数にある断片的な紗希の記憶の中に気になるものがあったのだ。
「いかがされました?魔王様」
「お前は下がれ。魂の探知は成功した。明日はレギウスを復活させ召喚の試運転に進む」
魔力の消費量は落ち着いている。ここから先は自分ひとりで問題ないと判断したバルトレッドは、その“気になるもの”をひとりで確認するためエギルに命じた。
「承知しました」
先ほどは珍しく小言を漏らしたエギルだったがあっさりと姿を消し、バルトレッドは再び視線を水晶へと戻す。
無数の記憶の中で偶然目に止まった”場面“。
肩を震わせ指先で目元を拭う姿。
「聖女様が涙を……なぜだ」
先ほどエギルから倫理という言葉を受けたばかりだったが、バルトレッドはその記憶に触れられずにはいられなかった。
ーー理由が知りたい。
死んだ後に送られる世界で見ていた紗希の瞳はいつだって温かくバルトレッドの物語を慈しんでいた。その瞳が曇っているなど、あってはならない。
その断片に触れて、時間を巻き戻していくと揉めているような場面があった。
夜とは思えないほど眩い無数の光に包まれた道、動く鉄の塊が舗装された道を行き交うなか、彼らは居た。
紗希の隣に女がひとり、その正面にひと組の男女。
「式場の予約も勝手に名前変えて、そのうえ婚約指輪も返せって、面の皮厚すぎでしょう!?」
若い女の方がキャンキャン喚いていた。
「彩花は関係ないのに、なんで来てるの……」
男の隣に居た女が困ったような顔をして、か細い声で言う。
すると男はその女の肩を抱き寄せ、彩花と呼ばれる喚いていた女がさらに語気を強めた。
「第三者が居ないと、あんたがあることないこと言うからでしょ。私は本性知ってんだからね。高木先輩も前はこんな人じゃなかったのに、あんたのせいでしょ!!紗希先輩が優しいからってつけ上がり過ぎっ」
どうやら彩花は紗希を庇っているようだ。
「孝臣さん……」
男の庇護欲を唆る怯えた表情の女は、男を”タカオミ“と呼んだ。“タカギセンパイ”と“タカオミ”はこの男を指すようだ。
「紗希、困るよ。これ以上会社で騒がれたくないのに後輩連れてこられちゃ……彼女、妊娠してるんだからストレスになるだろ」
孝臣がおずおずと零したが、紗希は被せるように告げた。
「彩花ちゃんは証人だよ。私も二度も嫌な目には遭いたくないから、知ってる人の前が安全でしょう」
「あれはちょっとした行き違いだろ」
「高木さんにとったらね。私は違うから」
紗希は背筋を伸ばし二人を正面から見据えていた。
「酷い……そんな風だから孝臣さん疲れちゃったんですよ」
孝臣の腕に絡みつきながら女は訴えた。
すると彩花が表情を険しくさせ声を荒げる。
「はぁっ……あんたねぇっ…!!」
しかし彩花の罵声が路上に響くことはなかった。
「いいんだよ、彩花ちゃん。見てくれてるだけでいいから」
紗希が前に出て制したのだ。
「これ、返すね」
四角い箱を差し出すと、孝臣はその中身を確認した。指輪だった。
「結婚前だし、結果的に損切り出来たと思えばよかった。これまでありがとう」
「損切り……?」
戸惑う男を前に、紗希は爽やかに告げると彩花を振り返る。
「行こ。彩花ちゃん、ついてきてくれてありがとね」
促すように手を引いて、しかし彩花は呪いの言葉を残すように忌々しげに孝臣達を振り返って言った。
「二度あることは三度あるって言いますもんね。お互い裏切られる心配でもしながら家族ごっこやれば」
「彩花ちゃん」
すかさず紗希が嗜めると「だって……」と歩きながらぶつぶつ何やら言い訳を初めている。
「先輩はもっと怒って良いんですよ……社内で二股とか。だいたいマウント取りたいだけなんですよ。地元が同じなんで分かるんですけど、妊娠はたぶん嘘だし、式の予定も先輩のこと傷つけたいだけで、指輪もどうせ……高木先輩は絶対あとで振られますから……縋ってきても絶対関わっちゃダメですよ」
彩花は釘をさすように言った。
「大丈夫だよ。ご忠告ありがとう」
「あ~!もう、こんな素敵な人放り出すとか気が狂ってるとしか言えませんね!」
彼女は紗希の婚約破棄を自分ごとのように憤っていた。
そんな彩花の言葉を受けて紗希は笑う。
そうやって軽くいなして、彼女との別れ際まで気丈に振る舞っていた。
けれど自宅に帰り一人になった紗希は涙を流していた。
大泣きしていた。
その涙はどこにあったのかと尋ねたいほどに大粒の涙を止めしなく流して肩を震わせる。
それほど泣けばきっと目が腫れてしまうだろう。しかし何度も目元を拭うのだ。
しばらくして紗希は何かを手に取った。
「……安心保証のハッピーエンド、っと」
明るい光を宿すそれを指先でなぞり、小さく小突く。そんな行為を繰り返しては、表情を和らげたり感嘆とため息を零していた。
「……そういえば」
ふと、四角いものをなぞる指の動きが止まって呟く。しかしまた同じように何かをし始めた。
「まだかぁ」
そう漏らしては眉尻を下げ、さらにこう言った。
「バルトにセレス……待ってるよ」
呟いた紗希は寝台に転がり仰向けになって大きな深呼吸をしていた。
ーーーーバルトレッドはこの一連の映像を見て、なるほどと独りごちた。
「タカオミか、悪くないな……」
次の召喚の試運転には彼を選ぼう、そう決めたのだ。
禁忌として封印された書物には往々にして大きな代償を伴うか、失敗した場合の執行者と対象への負荷が大きい。
一歩間違えれば互いに消滅なんてことは普通にあり得る。
もっと悲惨なのは、精神崩壊したうえ望まぬ姿となって異界を彷徨った事例だ。
バルトレッドはそんな大きな賭けのようなことをするつもりはなかった。
自分はどうなってもかまわないが、間違っても召喚失敗で大切な魂に傷がついてはならない。
紗希を五体満足、魂を傷つけることなく呼び出すには試運転が重要だ。
その対象を何にするか考えあぐねていたが、その点、孝臣という男は都合がいい。
紗希の記憶から孝臣だけを引き出し、姿形と声を拾い上げ記憶する。
紗希の記憶の孝臣は品行方正な優男だが、あまり自分に自信がないようなそんな男だった。
たとえ失敗してもこいつなら構わないだろう。
そんな考えのもと、バルトレッドはレギウスを使い召喚を実行させた。
バルトレッドが禁書を参考に編み出した魔法陣は想定通り機能し、そして一人の男が現れた。
「成功したようだな。こいつは実験だろ。返還していいか?」
召喚してすぐに少年姿のレギウスに尋ねられた。
この元魔王は極度の面倒くさがりで、核の破片から復活させた今もその気質は変わらないらしい。
成功が確認出来れば早く仕事を終えたいと言わんばかりだった。
そんなレギウスにバルトレッドは眉根を寄せ威圧をかけた。
「待て」
返事はないが、レギウスは一旦魔法陣への魔力供給を止め欠伸を溢す。従うつもりはあるらしい。
バルトレッドは召喚した男の元へ近づいた。
男はきょろきょろと辺りを見渡し、不安そうま目でこちらを見ては異界の言葉で問う。
『すみません、ここはどこですか……』と。
困惑する姿はまるで雛鳥だ。
魔法陣は巣穴、何が起きているのか答えという餌を求めて囀り口を開閉する。
「タカオミと言ったな。俺の故郷では、指輪は生涯心を捧げる者に授けるものだ……」
目を白黒させてい孝臣の前で立ち止まり、バルトレッドは冷やかに告げた。
「よくも聖女様に指輪を贈っておきながら契りを破ったな。こんな男がひとときでも聖女様の心に居たと思うと、虫唾が走る」
そしてバルトレッドは帯同していた剣を引き抜き孝臣に向けた。
殺すつもりはない。ただ、脅かすだけだ。
男は想像通りに狼狽え、勢いよく身体を引く。
『なっ……なんなんだよっ』
問答無用で足元に勢いよく剣を突き立てば、氷結魔法を施したその中心から凍っていった。
孝臣は自分の両脚が氷漬けになり唇を震わせる。
『い゛たっ……っ、あっ…足……足が……っ……』
驚愕から目を瞠り、固まってしまった足をベタベタと触れては信じられないようなものを見る目をバルトレッドに向ける。
悪くない反応である。
「こいつ言葉が通じてないぞ。言語変換魔法でも使えばどうだ?」
不意にレギウスが口を挟んだため、バルトレッドは不機嫌を隠さなかった
「不要だ」
「……何がしたいんだ?」
尋ねられ、答える義務などないように感じたバルトレッドだったが、しかし足持ちでカタカタと震える男が視界に入って薄く笑った。
「レギウス。恐怖というのは何も暴言や暴力だけが与えるもんじゃない。根底にあるのは“理解不能な状態“だ。なぜ自分なのか、なぜこんなことをされているのか。意思疎通が取れない相手にこそ畏怖するものなんだよ」
そう言ってバルトレッドが片膝を折り姿勢を変えれば、孝臣は氷漬けとなった足を引っ張りながら異世界の言葉で喚いた。
『ひっ……、くっ…来るな!!触るなっ……!!!』
「俺は別に、こうなっているのは”聖女様を愚弄したから“という理由をこいつに知って欲しいわけじゃない。また同じ体験をするかもしれないと、ただ怯えさせたいだけだ」
男の焦げ付いた色の瞳を覗き込みながらバルトレッドは冷やかに告げた。
しかしレギウスは緩慢とした口調で笑う。
「……僕には分からないなぁ、その考えは。召喚の制限上、殺せない腹いせにしか見えないが」
確かに召喚者は召喚した対象を直接殺すことは出来ない仕様となっているが、今はそれは問題ではない。
しかしそれをレギウスに説明したとして、到底理解するとは思えなかった。
「あぁ。お前には分からないさ」
顔を青くして震える孝臣の顎を無理矢理掴み、今日ぼ記憶を一日に一回思い出すよう暗示をかけてれば任務完了だ。
地味な暗示だが心が弱い者には効果的だ。
一生恐怖に震えていればいい。
バルトレッドは孝臣を魔法陣に取り押さえていた氷を溶かしレギウスに命じた。
「レギウス、こいつを返還しろ。明日は聖女様を召喚する」
ーーーーだから、何も知らないわけではない。
けれど、こうして腕に抱き上げても心は開いてもらえない。
ステルダムの街中で、夕刻のマーマレードのような日差しを浴びながら尋ねてきた紗希は美しく、そしてその目はバルトレッドを見ていなかった。
「薄っぺらい言葉も数を重ねればやがて厚みを増すのでは?」
横抱きに捕まえた身体は軽く、壊さないよう、逃げられないよう微妙な匙加減で捉え言葉を投げたものの、しかし紗希は眉根を寄せ固い表情をするばかりでバルトレッドの望む言葉が紡がれることはなかった。
「俺は聖女様を裏切りませんよ」
仕方のないことだとは分かっている。
彼女にとってみればきっと物語に出てくる男に過ぎない。
しかし駄目押しのように呟いた。




