16.相手が変わればヴィランも変わる……?
彼女達の出会いは結果として、セレスティーナが自らの意思で物語の舞台から先に降りる事を望み、生まれたものだった。
その根底にあるのは更新停止による物語の足止めだろう。
紗希の記憶の限り、王太子とミレーヌの浮気は二度だったはず。
一度目も二度目も、彼らの口付けを目撃するという内容だった。
しかしセレスティーナの話だと、魔王城から帰還したミレーヌは王太子とその先の行為に及んでいたらしい。
しかも婚約者が領地に下がったからといって堂々たる振る舞いをするなど……紗希が一番嫌悪する部類の人間達である。
けれども読者としての視点を踏まえれば、理屈自体は想像出来ないわけではない。
バルトに異常なほど執着していたミレーヌからすれば、王太子との関係は喪失を埋めるための行為に過ぎなかっただろう。
おそらくミレーヌはバルトが魔王城で死んだと思っている。
セレスティーナだって七年も生き抜けるはずがないと明言したのだから、そうに違いない。
結局のところ、彼らが燃え上がったのは、物語が止まったことによりバルトが魔王城から出られなくなった事に起因している。
そんな二人に見切りをつけたセレスティーナ。
政略婚としての婚約とはいえ、彼女の立場を考えれば胸が痛む。
理性と感情の乖離は誰にだって発生する……貴族だから、相手が王族だからと婚前の浮気まで割り切れというのは無茶な話で、清廉潔白なセレスティーナであれば尚更だっただろう。
王太子とミレーヌは、側妃になるなら口出しするつもりがなかったという彼女の矜持を蔑ろにした。
故に、その場の勢いで淫欲に耽る人間を嫌悪したというのは実に彼女らしいものだった。
とはいえそれから運命的に出会った相手がステラというのは意外である。
性別をとやかく言うつもりはないが、ロマンス小説だったはずの物語の延長線上に浮上するものなのだろうか。
しかし一息ついてステラへ向けるセレスティーナの眼差しは温かく、そして見つめ返すステラの表情もまたとても柔らかかった。
その瞬間、紗希は理解した。
――”男嫌いからのジャンル超え百合展開”なんて、そんな一言で記号的に片付けて良いものじゃない……この人はきっと、自分の人生を明るく生きるためにステラが必要だったのだ。
二人を引き合わせればハッピーエンドが見つかると思っていたのは紗希の驕りだったのかもしれない。
閉塞的で魑魅魍魎が集う魔王城に閉じ込められたバルトに対して、セレスティーナが閉じ込められたのは領地。
一見して不穏な空気と無縁に思えたが、しかし彼女の話では神殿という新たな脅威も登場している。
そもそも物語では神殿についてそこまで深く掘り下げられていなかった。
既出の情報では、せいぜいミレーヌと同じように精霊の加護を持つシスターが居るということぐらいで、祝福者と異端者を判定する試練といった歪な制度には覚えがない。
聖女といい、神殿の動向といい、ステラの存在といい……――それ以前にバルトが魔王となっていたこと自体が狂っている。
更新が止まったバルトとセレスティーナの物語は、もしかすると紗希が期待していた結末には辿り着かないのかもしれない。
そんな風に脳裏で考察を重ねていた紗希に対し、セレスティーナはさらに続けて言った。
「――マリアンヌ様が現れたのは、それから少し後の話になるのですが……彼女は神殿の高位シスターで風の精霊の加護を持ち、風魔法の使い手です。彼の方は平民を装って我が家に押し掛け、お兄様を連れ行ってしまったのです」
春の嵐のようだったと言う。
神殿に洗脳されているというセレスティーナの兄、サイラス。
厳密に言うと彼は自らの意思でマリアンヌについて行ったらしい。
「その時にマリアンヌ様は私に何か思うところがあったようで、私を理由にヴァレリア領への神殿の侵攻を一時断念されました……」
ガルドの代理、もとい尻拭いとして現れたマリアンヌだったが、ステラ不在のヴァレリア邸にてセレスティーナを見た瞬間、「素晴らしいです」と褒め称え、ヴァレリア領の管轄戦争を取り止めると突如言い出したのだ。
「――マリアンヌ様は私の所有権と引き換えにヴァレリア領の権限を放棄するとおっしゃっていて、私達は神殿側と膠着状態なのです……」
セレスティーナが声を沈ませると、ステラは神殿の要求に怒りを露わに堂々と宣言した。
「私は戦争でもいいわ。元々そのつもりだったわけだし、あんな奴らの話なんて聞く必要ないわよ」
「けれど、いつまでもこのままではいけないのよ。領地獲得を放棄するという提案は意義のあるものだから。私達の絆もここまでと諦めるしかないのかもしれないわね」
「またそんなこと言ってっ……――」
ステラはまたセレスティーナが自己犠牲を選ぼうとしているのではないかと疑ったのか、眦を吊り上げ声を張り上げた。
しかしそれは速やかに止められた。
セレスティーナが細く美しい右手をすっとステラの眼前に上げたのだ。
それからバルトに向かって緩慢と双眸を細める。
「そこで勇者様、私は提案したいことがあるのですが……分かりますよね。願いを聞いていただけますか?」
問われたバルトは即答だった。
「えぇ、分かりました。いいでしょう」
――今の話で何を分かったのだろう。
終始表情を変えずにセレスティーナの話を静かに聞いていたバルトは即答したあと、形良い瞳を深く瞬き、それから慎重に息をつくと確認するように言った。
「俺がそのマリアンヌという女と、ガルドを……つまり神殿を制圧すれば良いのですね?」
紗希はバルトの言葉を一瞬聞き逃した気がした。
とてもこの人間の口から出てくる言葉ではないと思ったのだ。
つい先ほどまで”帰る”と言っていた人物が、なぜセレスティーナに協力する気になったのか紗希には分からない。
自分の望み主体で動き、困りごとに積極的に関わるようなタイプでもないバルトにしては不審である。
けれど喜ばしいことでもある。
ステラも大きな瞳を輝かせていた。
勇者バルトレッドの名はこの国では英雄、心強いことに違いない。
一体何が起きているのか訝しむ紗希の目で、セレスティーナは満足そうに頷いた。
「その通りです。流石は勇者様。願いを聞いていただけましたら私、今後一切あなたに惹かれることはないと保証しますし、不必要に関わることはいたしません。信用のため互いに誓約書も書きましょう」
まるで詩でも読んでるのではないかと思うほど、流れるように告げられた内容に対してバルトは口角を持ち上げ手を差し出す。
「そこまで言ってくれるなら最善をつくしましょう」
「さっそく書類を作りますわ」
――そうきたか。
彼女は今、事故補償の制約あるいは保険をバルトに売ったのだ。
「あの……セレスティーナ様。バルトさんが神殿を制圧?その関わることでヴァレリア領は国から背信行為を疑われたりはしないのですか?」
紗希はおずおずと尋ねた。
バルトのやる気は二の次にして、神殿に口出しさせないようにしたところで、今度は国から目くじらを立てられるのではないだろうか。そんなことを危惧していたのだ。
「問題ありませんよ。私もヴァレリア家も覚悟を決めて、今の王家と対立するとなった場合に別の人間を擁立するつもりでいます。そのために有力貴族に声をかけております」
紗希の想像など些末なもので、セレスティーナ達による地固めは既に済んでいた。
「王位継承予定のあの王子、ちゃらんぽらんですしね。ミレーヌ様のことしか頭にないっていうか……噂じゃ、まるで呪われてるみたいに二人で部屋に籠りきりで公務もままならいとか」
ステラは呆れを孕んだ声音で告げた。
部屋に籠りきりと聞いてまさかと思ったが、しかし今は考えるのを止めることにした。
「王太子殿下は時期国王として相応しくないから、対立することにも意義がある……ということでしょうか?」
紗希が訊ねるとセレスティーナは僅かに間を置いたのち言った。
「……そうですね。公務をされない王太子は困るでしょう。とはいえ、どんな愚者でも周りに優秀な人間が居れば国は周ります。問題は、あの淫乱……ミレーヌ様を筆頭に今の国の中枢部は無能ばかりだということ。ですから、ちょうど入れ替え時なんです」
セレスティーナは両手を胸の前で合わせると上品な笑みを口元に浮かべた。
「それに……どのような理由があれ、一時の快楽に逃げる者は、そのつけを自ら払う義務があると私は考えております。他の王家所縁の人間に王座を奪われても仕方のないことです」
だからバルトに現国王と癒着が激しい神殿を叩き潰してもらえれば、あとは自分達で対処するのだという話だった。
「まだ決まったわけではありませんが。一先ずは、勇者様のご協力を賜りたく思います」
「聖女様と俺の未来のため、善処しましょう」
バルトは悪辣な笑みを浮かべた。
――この人、物語の筋書きに戻る可能性は潰すつもりなんだ。
こうして速やかに用意された不可侵の誓約書と引き換えに、バルトの協力を得ることに成功したセレスティーナに対し、紗希は感慨深い気持ちを抱いていた。
やはり正ヒロインは、逞しく美しいと。
いっそヒーローというべきか、自らを支持してくれる領民とステラを守る為なら大胆なことをやってのけてしまう彼女はやはりこの物語の主人公なのだ。
「ところで、どうするつもりですか?」
誓約書を改め終わったバルトに紗希は訊ねた。
「マリアンヌ様は、風属性の魔法を使う方なんですよね。詳しいわけではないですが、風属性って水属性に有利なのでは……バルトさん大丈夫なんですか」
小説の知識でバルトが水や氷といった魔法を使うことは知っているが、この世界においてその力がどれほどのものかは分からない。
精霊王と共に建国されたとするこの国で、精霊の加護を持つ者と勇者、彼らのパワーバランスがいまいち分かっていないのだ。
「聖女様が俺の心配を……」
バルトは眼を瞠り言葉を詰まらせ、それから頬を緩めた。
「ご心配には及びません。最上位魔法を連発出来るのが水属性に関連する魔法であって、殆どの属性に適合していますので相性の問題はさほど」
「それは安心しました」
「ちなみに今回、彼女達を捕まえるのは俺でなくストラスです」
唐突に上がった名を、紗希は無意識に復唱していた。
「ストラス……」
どうやら自分は動かず配下の者にやらせるつもりらしい。
「はい。彼が一番得意とするのは天文学から導く凶星の魔術です。特に行動制限による拘束は俺も魔王城の侵入時に苦戦しました。たとえ高位シスターで風魔法の使い手が居たとしても、ストラスを前にすれば無意味でしょう」
理解が追い付かない言葉が並べ立てられたが、セレスティーナの方はいくらか知識があるらしい。
「まぁ。凶星のストラスですか。賢者であり悪魔でもある方ですね。梟の如く一周可能な頭部に死角はないとか、星が輝く夜の魔王城は侵入不可能と言わしめる……一体どんな方なのでしょう」
紗希はおどおどした少年の姿を思い返して「可愛らしい方です」とだけ答えた。
それから自ら整理するように呟く。
「でも、なるほど……だから第一層と城門前を管理しているんですね……納得しました」
ストラスはその特性を如何なく発揮できる場所を管理していたというわけだ。
「セレスティーナ様。彼らを捕まえた後は魔王城に連れ帰り、あなた方に関わらないよう生かさず殺さず調教するつもりですが、それでよいですか?聖女様が殺生を好みませんので」
ごく自然と”魔王城”に連れ帰ると言っているバルトだったが、しかしセレスティーナ達は特に疑問を呈する様子はない。
「もちろんです、勇者様。そうしていただけると私もステラも安心します」
――魔王なんだけど本当に良いのだろうか。いや、藪蛇はつつかない主義なのだろう。
セレスティーナのしたたかさと覚悟に紗希は二人のやり取りを傍で静かに眺めた。
「ついでと言ってはなんですが……あなたの兄については、魔女がちょうど”拷問の記憶”を調合用に欲しがっていたので抜き取らせましょう。約束はできませんが悪夢が消えれば正気に戻る可能性もあるかと。完成した薬の実験体にはガルドを使わせます。それでセレスティーナ様の気持ちも少しは晴れるかと思うのですが、いかがでしょう?」
「とっても素敵です。ヴァレリア家を代表してお礼を申し上げます。お兄様もきっと救われますわ」
仕事に置き換えて考えれば、実のある商談に盛り上がってるだけのこと。
しかし内容が内容なだけに、一筋縄に”よかったですね”と喜んで良いものかは紗希には分からない。
そんな紗希の愁いを帯びた視線に気づいたのか、バルトは声音を和らげ言った。
「ご安心ください、聖女様。殺しはしません。慈悲深いあなたが傷つくような事にはならないので大丈夫ですよ」
「生か死かという極論で安心してくれと言われても……あの、バルトさんは法律がどうとか言ってませんでした?そんな拷問みたいなこと大丈夫ですか……?」
するとバルトは「あぁ……」と視線を傍ら投げたあと、薄い笑みを貼り付かせた。
「名目は魔王城の侵入者への制裁です。たまたま空から現れた侵入者をこちらの采配で裁くのは問題ないでしょう。法とは法権国家でのみ成立するものですから、魔王領でとやかく言われても」
――屁理屈だ。
ストラスを使って神殿関係者達を拉致する気でいる人間の言うことだろうか。
紗希が目を白黒させていると、バルトは静かに付け足した。
「それに花雫の乙女ぐらいの人間でなければ、恐れる必要はありません」
結局、バルトは自らの影に潜ませていたエギルの眷属を使ってストラスに指示を与え、あっという間に神殿制圧の手筈を整えてしまった。
良くも悪くも、バルトは決断が素早い。
仕事ができる上に麗しい容姿に恵まれた男は好まれそうだが、しかし性格に難アリなのは大問題だ。
これから先、この世界の誰とハッピーエンドを迎えればいいのだろう。
セレスティーナとの可能性を失った今、紗希は物語の歪みに迷いを感じ始めている。
「――駄目でしたか?」
ふと、バルトに問われた。
ストラスの凶星の魔法は夜に効力が高まるということで、報告を受けるまでの時間をバルトの希望でステルダムの観光に当てていたのだが、心ここにあらずとなっていたのがバレたらしい。
「セレスティーナさん達を助けることですか?」
「はい」
「いいと思いますよ。むしろ助けるべきです。ただ、バルトさんの理由は、ちょっと驚きましたけど」
歩みを止めて訊ねられ、紗希は困ったように笑った。
するとバルトは粛々として言った。
「彼女達が憂いなく結ばれる事が、巡り巡って俺の自由に繋がると判断したのです。セレスティーナ嬢も、俺の一番の望みを見抜いたうえでああいった話し方をしてましたので」
「バルトさんの自由、ですか……」
そういえば、小説のバルトレッドは何よりも自由を望む勇者だった。
ミレーヌの執着から逃れ、自分の望む未来を欲していた。
「聖女様が想定する筋書きには、俺があなたと結ばれる可能性はないのでしょう?その考えを少しずつ崩していきたい」
熱の籠った言葉だった。
しかしバルトが望むのは紗希との物語と言われても、それを真面目に取り合えるほどの気力はないうえ、そもそもこの世界の人間ですらない。
ないものだらけなのだ。
今はただ、この物語の行く末を読者として見ていたい。
セレスティーナとの可能性を失ったこのタイミングで、もう一度きちんと話し合うべきなのかもしれない。
なにせバルトの紗希への感情は更新が停止した七年に起きた悪夢によるもの。
それは刷り込み効果というものなのだと理解してもらう必要がある。
「あの……」
しかし、続くバルトの言葉に、紗希は鋭いナイフを突き立てられた気分になって主張するのを止めた。
「愛しているのはあなただけですから」
薄っぺらい愛の表現に無意識に身体が強張ったのだ。
あまり聞きたくない言葉だった。特に真面目なトーンで言われると、途端に喉の奥が引っかかってしまう。
「――……そういう言葉を言えちゃう人って、だいたい最後まで責任持てない人なんですよ。無闇矢鱈に言わない方がいいですよ」
急に心は萎えてしまい、紗希は力なく答えた。
そしてバルトの前を歩きだす。
ステルダムの街は活気にあふれ美しい。
赤や黄色に色づく木々を眺めながら先立ってのことを考える。
「セレスティーナさんの相手が変わったから、敵対勢力も変わったってことですかね……悪役まで変わるなんて……バルトさんをハッピーエンドにつれて行くにはどうすればいいんでしょうね?」
振り返りバルトに訊ねると、目元に影を落とした姿が近づいて、そして不意に身体が地面から離れた。
抱き上げられたのだと理解すると同時に、端正な顔が表情を歪める。
「あなたは本当に、分かってくれない方だ」
悲痛に震える固い声が響いた。




