15.似合いの二人でお幸せに、私は領地で美活中です(後編)※セレスティーナ視点
今から一年前。
五歳年上の長兄、サイラス・ヴァレリアが精霊王を奉る神殿の神官を連れ領地に戻ってきた。
兄は王城で文官をしていたはずだが、身に纏っていたのは白い神官職の衣。
セレスティーナよりも深い色の深紅の髪は以前見た時よりも長く伸びていて、暖炉の炎のように静かに力強く燃えていた美しい瞳は輝を失っていた。
それだけでも不安を胸に抱いたというのに、あろうことか兄は、ヘーゼルブラウンの短髪に銀縁の眼鏡をかけた男を恍惚と見つめ「手紙に書いていた僕の親友だよ」と紹介し薄く微笑んだのだ。
二人の後ろには神殿騎士と思われる重厚な装備の騎士達。
異様な雰囲気を醸し出していた。
「精霊王の名の下に参上いたしました。神官のオルガと申します。この度はヴァレリア家の皆様方が祝福者として認められましたことをご報告に参りました。心よりお祝いを申し上げます。よろしければ中でお話させていただいても?」
眼鏡の奥で歪な笑みを浮かべるオルガに、セレスティーナの肌は粟だった。
――――祝福者。それは精霊王から力を授かったとされる者。
神殿がそれを認めれば神殿の管轄に下り、生涯を神殿に捧げることとなる。
この国で神殿の権威は高い。先ぶれもなく現れた相手だったが、しかし無礼だと言って追い返すことも出来なかった。
並大抵のことでは動じない父も流石に瞳を揺らしていたが、しかし邸に来ていたステラを速やかに別室に移動させ、兄とオルガを客間に通し最低限の者だけを集めた。
父は自分一人で対応すると申し出たが、しかしオルガによって全員揃うよう拒否され、家族は客間に集まった。
変貌した兄に怯える弟のウィルを抱きながら話を聞いたあの日を、セレスティーナはけして忘れることはないだろう。
「一体これは……サイラス、神殿に話したのか?」
父は怪訝な瞳をオルガの隣に座る兄に向けていた。
兄は王都で家族の身に起きたことを密かに調査しており定期的に手紙のやり取りをしていたのだが、「親友が神殿に仕えているから探ってみる」という連絡を最後に暫く連絡が取れなくなっていた。
二日後には父が王都に向かうはずだった。
「彼は私の友人でしたので、貴方達の秘密を精霊王に打ち明けて下さったのですよ。サイラスは家族の身に降りかかった現象を解決するため随分と奔走し、そして憂いていました……だから私は手助けをすることにしたのです……ですので責めないでください」
オルガは感情の読めない笑みを父に向けながら言って兄の肩を抱き寄せた。
潔癖症な兄が、友人といえど誰かに触れられるのを許すはずがないのに、兄はオルガの手を一向に払いのける素振りはなかった。
それどころか興奮気味にこう言ったのだ。
「父上、もう大丈夫ですよ。精霊王は我々を認めて下さいました。これからのことは、このオルガに任せればセレスもウィルもみな救われるのです」
「救われる……?」
父の口から零れたのは、唸るような低い音だった。
「そうです。あなた方には祝福と異端の両方の疑いがかかっておりましたが、サイラスを褒めてやってください。彼が代表して試練を受け、そして祝福者として認められたのです。家族に試練を施すぐらいなら自分が身代わりになると言って私と共に証明してくれたのですから、なんと素晴らしいご子息でしょう」
「試練……っ、サイラスに……そんな」
オルガの言葉に母は卒倒した。
無理もない。試練とは拷問だ。
魔法の範疇を超える不思議な力を持った人間が見つかった場合、精霊王に対する反逆者、つまり異端者でないことを証明するため、数多の拷問を長期に渡って受けることを試練と呼ぶのだ。
その試練を乗り越え、精霊王への忠誠を証明できた時に、晴れて祝福者となれる。
セレスティーナは胡乱な眼差しで尋ねた。
「結局、オルガ様はお兄様の親友ではなかったのですね。兄が神殿を直接頼るわけがありませんし、秘密を打ちあけたとも思えません。兄を裏切ったというわけでしょう?」
兄からの手紙には探ると書いてあった。
オルガを頼るつもりならそんな風には書かないから嘘だろう。
そしておそらく……拷問によって兄は彼と得体の知れない恐ろしい絆を結ばされたのだ。
拷問とは肉体と精神の両方を支配するための行為、今の兄がどんな言葉を発しようが彼の本心とは思えなかった。
兄はいつだってセレスティーナを過保護なくらい大切にしてくれて、だからこそ領地から出られなくなった不可解な現象も含め調査をしてくれていた。
危険なことはやめてほしいと何度頼んでも聞く耳を持たず、領地から出られないことなど大したことでないと伝えても『たかが領地?馬鹿を言うな。お前の自由は何者にも奪わせない』とセレスティーナよりも憤っていたのだから。
――そんな兄に、神殿は、この男は……許せない。
しかし兄はオルガを庇うようにセレスティーナを叱咤し、そして信じられないことを言った。
「セレス、口を慎みなさい。オルガは精霊王にお仕えする素晴らしい人間だ。行き違いは確かにあったが些末なことだ。それに喜べ、お前と婚姻を結んでもいいと言ってくれている」
嬉しそうに告げる言葉はとても兄のものだと思えなかった。
「……兄妹共々大切にしますから」
舐めるような眼差しを向けてくるオルガに、あの時に似た吐き気が込み上げてくる。
――気持ち悪い。ひどすぎる。どうしてこんな事になってしまったのだろう。
ミレーヌの言っていた“天罰”は未だに続いているのだろうか。
悔しさと悲しさに震え、セレスティーナは唇を噛み締めた。
「今日からこの屋敷を拠点に神殿の支部を建てます。精霊王の祝福者としてあなた方のことは神官の私が面倒を見るよう大司教様より仰せつかりましたので、今日からよろしくお願いします」
理不尽な内容だった。
しかし神殿に刃向かうなど、国に背を向けるも同然。
ヴァレリア領ならば敵対しても、それに耐えうる力を持っているが、しかし領民を巻き込むことは別の話だ。
『潔く、自立し、よき人間となれ』そう日頃から謳う父が領民を巻き込むことは絶対にあり得ない。セレスティーナ自身もそれは望んでいない。
「こちらにも都合がある。あなたの滞在は許すが、今後についてサイラスとよく話し合いたいので家族の時間には配慮してくれ」
やはりというべきか、すべからく父はそう言ってガルドのヴァレリア家滞在を許した。
実質的、降伏宣言みたいなものだ。
話がまとまったところでセレスティーナはすぐに騎士のケイオスを連れてステラの元へ向かった。
兄に呼び止められたが構っている場合ではない。
ヴァレリア家に居る使用人達のことは父が対処するだろうが、ステラはセレスティーナが拾ってきた相手だ。
今は関門都市ステルダムに店を持ち、時々支援者であるヴァレリア家を訪れている間柄。とはいえ関係は濃密で、使用人たちの目からみても彼女は実質家族のようなものだった。
だったらステラまで関係者として目を付けられるかもしれない。
この家が神殿によって支配される前に、神殿からヴァレリア家の関係者として認知される前に逃がさなければ。
「――ステラ、あなたは悪いけど、今すぐヴァレリア領を出なさい。ここにも二度と戻ってきては駄目よ。ステルダムの店が神殿に差押えられるでしょうから、いっそ王都で新しく開業してもいいわね。当面の資金を用意するわ」
最後まで面倒を見るのが飼い主の勤めであり、手放す時こそセレスティーナ自身で見送りたい。
手短に用件を伝えると、ステラはいやに冷静な面持ちで訊ねてきた。
「……何言ってるの?あなたにしては説明がなってないわ」
外面は完璧になったがセレスティーナに対しては相変わらず素で接してくる彼女のことなので、もしかすると多少は喚かれると思ったが以外にも整然とした問いだった。
「そうね、言葉が足りなかったわ……。諸事情で領地も含めヴァレリア家は神殿管轄になることが決まったの。あなたまで関係者と思われる前に逃げて欲しいのよ」
教えられる範囲で白状するとステラはさらに訪ねてきた。
「で、セレスはあのオルグとかいう奴と結婚するの?」
どうやら聞き耳を立てていたらしい。
「聞いていたのなら余計な話をさせないでちょうだい」
「いいの?結婚なんか。あいつらヴァレリア家を好きなように弄ぶわよ。私、知ってるもの」
「……ステラ?」
「二人で逃げましょうよ」
呟くようにステラは言った。
日々花開き、薔薇のように美しい彼女を最近何度も口説いていたからだろうか。
いつもは軽くあしらわれるのに、なぜかステラは共に逃げようなどと言った。
恩や情を感じさせる育成型の恋愛術が不用意なところで発揮してしまっているのかもしれない。
「駄目よ」
セレスティーナは僅かに口角を持ち上げ首を振った。
するとステラは眉尻を下げ視線を降ろしたあと、もう一度言う。
「逃げるべきよ」
その声は真剣で、身を案じてくれていることが伝わってくる。
それだけでもう嬉しかった。
「私はここから逃げないわ。あなたは私の代わりに自由を謳歌しなさい」
すると幾許かのちに視線を上げたステラがセレスティーナをきつく睨んだ。
その瞳は何もかもが憎いといった憎悪に満ちたものだった。
そして唐突にこう言ったのだ。
「……私の母が貴族の愛人崩れっていう話は嘘。ほんとは祝福者となった男爵家の三女と神官の間にできた子が私よ。意味分かる?祝福者に人権なんてない。実験されて、狂った信者になって、そうしてるうちに女は子供を産まされるのよ」
眦を吊り上げ告白された言葉にセレスティーナは暫し絶句した。
彼女の髪色からして貴族の血が混じっていることは明らかだったが、その背景は愛人の子供とだけ触れられており、それを信じたセレスティーナはステラの出自を正しく認識出来ていなかったのだ。
お互いに秘密を抱えていたのだと分かった瞬間だった。
「だとしても仕方ないわ」
「はぁっ!?なんでよ!!」
「お兄様が代わりに試練を受けてくれたからよ。私たちのために……」
現実を知らされてもなお、セレスティーナは静かに笑うしかなかった。
神殿の理不尽にはもちろん憤っている。
両親も同じだろう。弟は可哀想に怯えてしまっていた。
しかし、だからといって何が出来るのだ。
――ステラと逃げる?家族を置いて?
仮に逃げてもセレスティーナは領地から出られない。
逃げると言う選択がそもそもヴァレリア家には無いのだ。
自分や、洗脳されている兄を置いて、両親は領地を出るはずがない。弟と母だけでもせめて、と思うが……神殿の騎士らが居るなかで、そんなことは不可能に近い。
何を考えても八方塞がりだった。
だからセレスティーナは諦めているのだ。
この状況を覆す方法などない。
なのにステラは共に逃げようとこだわる。
「セレスがサイラス様に頼んだの?神殿を調査してくれって、バレたら代わりに試練を受けてくれって」
「いいえ。兄様にそんなこと絶対させないわ」
「なにそれ。じゃあ結果的にこうなったってだけでしょう?地獄を肩代わりしてくれたから自分も地獄を受け入れるっていうこと?」
「ステラ。なんて言い方をするの……」
「だってそういうことでしょう!?絶対そうよ、絶対……!可哀想だから一緒になって可哀想でいないと許されないわけ!?」
「……地獄じゃないわ。少なくとも兄様への敬意を示せるのよ」
「あっそう、敬意。敬意ね、……でも当事者の私は、そんな悲劇で生まれたことを心の底から恥じているわ!!私のような子が生まれる未来が見えているのよ、セレスティーナ。あんたは絶対こんな理不尽を受け入れちゃ駄目。悲惨な目に遭ってまで家族の想いを守るより、抗って一緒に死ぬぐらいの気概を持ちなさいよ!」
部屋の外に響くのではないかというほど、ステラの言葉は怒気を孕んだものだった。
びくりとセレスティーナの肩は揺れ、胸の奥を針で刺されたような痛みを覚えた。
なんて眩しい子なのだろう。
出会った時、ステラは針と糸があれば生きていけると豪語していた。
セレスティーナはあの時、退屈だったから、才能があるからと気紛れに拾った気でいたが、思えば初めからこの苛烈な星を羨ましいとも思っていたのだ。
けれど頷くことなど出来なかった。
貴族である以上、ヴァレリア家の娘である以上、感情を殺してでも守るべきものを守らなければならない。
「……出来ないわ。これは天罰なのでしょうし……そもそもヴァレリア家が神殿に下る方が領民のためにも……」
なのにステラは言葉を遮り言うのだ。
「私の知ってるあんたはっ!そうじゃない!」
ステラは息を大きく吸うと、まるで商談のプレゼンでもしているように流暢に語る。
「あんたは浮気性の王子から逃げるために嘘ついて領地に籠った可哀想なお嬢様じゃない。あんたは王子を捨てて領地を選んだの。そして私を選んだの。分かる?阿保くさい泥沼愛憎劇から降りて、この領地で自立してる。美しいものが好きで、私の事が好きでしょ?そもそも、あんたって結構行動力あるのよ。お金もコネも、私達二人で蓄えてきた。なのに兄が神殿の男連れてきたからって急に気弱になっちゃって、ばっかみたい!!」
こんな風に叱られることは初めてだった。
「資金なんて要らないわ」
ステラは呆れを孕んだ大きな溜息をつくと苦々しく言った。
「一週間でいいわ。戻ってくるから、貞操奪われないようにだけ気をつけて待ってなさい。ケイオスさん、セレスティーナ様をお願いね」
そして動揺するセレスティーナを置いてヴァレリア家を去っていったのだ。
一週間後、あろうことか彼女は本当に戻ってきた。
しかも武装した大勢の人間を連れて。
見覚えのある顔が並んでいて、なんなら最近取引が成立したステルダムの冒険者組合いの人間までいた。とにかく、多くの人々が口を揃えてこう言ったのだ。
「「お嬢様とステラを引き裂く奴は神殿だろうと許さん!!」」
神殿の騎士らを優に超える領民達の蜂起は、ヴァレリア家が抱えている騎士団にも響き、あろおうことか彼らは父の意向を超えて立ち上がった。
「ヴァレリア領に二度と入ってくるな!!」
「サイラス様を穢すな!」
「なにかにつけて献金献金って我慢ならなかったんだよ!」
「お嬢様とステラは愛しあってんだ!胡散臭い眼鏡は帰れ!」
みなが口々に罵倒し、武器をつきつけ、その凄まじい気迫に、余裕の出で立ちだったオルガもとうとうサイラスを置いて逃げるように帰っていってしまった。
暗雲が立ち込めていたヴァレリア家の空は唐突に明るくなったのだ。
呆気にとられていたのはヴァレリア家だけだった。
「あの……これは?」
セレスティーナがステラに問うと平然と言う。
「セレスと一緒に居たいからみんなに協力してもらうことにしたの」
「協力って……分かっているの?神殿と対立なんてしたら……」
戸惑いの声を払拭するようにステラが笑うため、ますます困惑する。
そんなセレスティーナを宥めるようにステラは領民達を見遣った。
「いいのよ。自覚ないでしょうけど、ここの領民はヴァレリア家が好きなんだから。この家は富を齎してくれるし、税もかなり良心的。だから神殿の直轄地なんて勘弁ってね。それにみんな、私達を応援してくれてるのよ」
それから少し気恥ずかしそうに、セレスティーナの顔色を伺いながらこう訊ねてきたのだ。
「あんたが私にちょっかいかけてくるから、その気になってたんだけど……ビジネスは外堀から埋めなさいってセレスが言ったでしょう。これでもみんなが大好きなヴァレリア家のお嬢様と肩を並べても文句言われないように、私なりに努力して外堀埋めてきたつもりなんだけど……余計なことだった?」
そんな風に言われたら、落ちない者などいない。
いや、既に恋に落ちていたが、しかしセレスティーナの心はもっと深いところに落ちていった。
――もうステラを手放すなんてことは諦めよう。
こうして神殿と対立関係を作ってしまったヴァレリア家は、はからずも棘の道を歩むこととなったのだ。




