13.正ヒロインの一番星
まったく予想していなかったわけではない。
むしろ七年という月日がヒロインであるセレスティーナに何かしらの影響を与えている可能性を鑑みて紗希はヴァレリア領を訪れていた。
ただしそれはバルトと同じ物語の足止めという名の幽閉に準ずることであって、誰がここまで予想出来ただろう。
一国王子と婚約していたはずの令嬢が、まさか同性の恋人を作っているなど。
「ーーだって……この人、マリアンヌ様じゃないの?髪色も聖職者みたいな格好もここじゃ見かけないし……セレスが言ってた通りじゃ……」
咎められたステラは、先ほどと打って変わって耳の垂れ下がった仔犬の如く、しおらしい態度となっていた。
「違うわ。マリアンヌ様の髪はブラックベリーを潰したような禍々しい紫と伝えたはずよ。彼女の黒曜石の髪と一緒にしては失礼だわ。とはいえ……あなたは会った事がないから無理もないけれど」
どうやらマリアンヌと面識のあるらしいセレスティーナによって疑惑が否定され、紗希は身体の緊張が解けてゆくのを感じていた。
まさか他人の空似でここまで責められるとは思ってもみなかったのだ。
領民まで嫌悪を示すマリアンヌとは一体どのような人物なのか、忘れないよう紗希は脳裏にその名を刻むとセレスティーナとステラを交互に見遣る。
するとセレスティーナが華奢な身体で彼女より頭ひとつ分ほど背の高いステラの前に庇うように立ち、紗希達の前で片脚を静かに引き優雅なカーテシーを見せた。
「大変失礼をいたしました。私はセレスティーナ・ヴァレリアと申します。諸事情により精霊の神殿に仕えるシスターから神殿勤めを強要されている身でして、彼女達は私を庇おうとしたのです」
すっと顔を上げたセレスティーナは粛々と告げる。
小鳥が囀るような可愛らしい声音は確かな甘さを孕むも、耳孔に響く音はやけに落ち着いて聞こえた。
「皆様方も、人違いでご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません」
店の前で立ち止まる領民にもセレスティーナは視線を向け、野次るように紗希を責めてきていた人々は謝罪の言葉を残しちらほらと去ってゆく。
そんな大人びた対応をさらりとやってのけた彼女だったが、視線がバルトを映した瞬間、冷静な瞳の色が僅かに揺れるのを紗希は捉えた。
間違いない。彼女はおそらくバルトに気付いたのだ。
「ごめんなさいっ……人違いだったなんて。聖職者みたいだったから私、あなたを別の方と勘違いして酷いこと言って……」
セレスティーナに続いてステラがすかさず頭を下げ申し訳なさそうに言う。
気の強そうな大きな瞳を固く瞑り、しょんぼりと項垂れていた。
その姿はゴージャスで気品のある女性といった印象を覆し、少し幼さを感じさせる。ふと、威勢の良い新入社員にすら見えてきて紗希は眉尻を下げた。
以前勤めていた会社で彼女に似た後輩が居たことを思い出したのだ。
その後輩は、紗希と当時婚約中だった同期の恋人の浮気が発覚した際に、えらく噛みついていた気がする。
紗希は期待した自分が馬鹿だったと失望と諦めから冷めきっていたが、欠けた感情を補うように怒ってくれて、そして代わりに泣いてくれた。
その一生懸命な姿がどこか重なって、紗希は胸の前で手を広げると冷静に口を開く。
「いえ、誤解が解けたなら良かったです。驚きましたけど大丈夫ですよ」
双眸を細めていえば、ステラはばっと勢いよく再び頭を下げた。それからチラリと顔色を窺うようにセレスティーナを見ては頷く。
「寛大なお心、ありがとうございます。よかったらうちの店で……」
しかしステラの言葉はバルトによって遮られた。
「いいや、大丈夫じゃない。こいつは先ほど聖女様をブスと罵っていた」
バルトの吹雪の如く冷えた眼がステラを捉え、彼は剣呑な面持ちで指をさす。
ーーブスブス蒸し返すのはやめて頂きたい。
「それも含めて大丈夫だと言っているんです」
ようやく収まりかけた場を乱すつもりなのだろうか、紗希のことになると過剰反応するバルトは眉を顰めた。
「駄目です。聖女様、俺が我慢なりません」
きっぱりと告げる顔はいつになく真剣だ。
「仮に人違いで理性を失い、口をついて出たと言うなら改めて見解を聞かねば。俺の聖女様はこんなにも美しいのに、あり得ないでしょう!こんなことなら城から出すんじゃなかった」
「やめてください。本当に」
あんなもの敵からマウントを取るための勢い任せの言葉に過ぎない。驚きこそすれ、しかしいちいち反応する必要はない。
だというのに言及を避けたかった話題にバルトは異様にこだわっている。
そしてバルトの言葉に素早く反応を示したのはセレスティーナの方だった。
「ーーどういうことかしらステラ。女性にブスなんて言っては駄目だと再三言ったわよ……」
じとりと重い視線がステラへと送られる。
それに対してバツが悪いと言わんばかりに顔を背けて顎を引くステラに大きな溜息が零された。
「まったく。あなたの悪い癖だわ。また七年前と同じことを繰り返すつもり?折角一流デザイナーになったのだから接客も一流を目指しなさい。日々、あなたが選ぶ些細な言葉がステラという人間を形作るのよ」
すっと息を吸い込むと流れるようにセレスティーナは言った。
すると若葉色の瞳をステラは揺らし双眸を伏せる。
「分かってるわよ。でもマリアンヌ様のことは別……」
不貞腐れたような、もどかしげな顔でステラは消えそうに呟く。
それほどまでにマリアンヌというシスターは彼女にとって脅威なのだろうか。
精霊王を奉る神殿の存在は作中によく出てきており、確かにその権威は高い。しかしセレスティーナ自身とは何ら関係がなかったはずだ。
けれどステラは神殿のシスターらしいマリアンヌを強く警戒しているようだった。
不安そうな姿は誰の目にも明らかで、セレスティーナはそんなステラの手を取ると甲へ唇を寄せる。
「……私の一番星は美への情熱を燃やし輝く力強い星よ。動揺せず、星はどんな時も静かに美しく燃えるもの……後できちんと謝罪なさいね」
そして紗希とバルトを振り返ると、愛想の良い美しい笑みを向け片手を店へと広げる。
人だかりはすでに解散しており、もう誰も紗希達を気にする人間はいなかった。ただの店先での会話。周りからはそういう風に見えているだろう。
それを見越してかセレスティーナは柔らかに問う。
「よろしければ中でお話ししませんか?お詫びの印に何かお贈りさせていただきたいですし。なぜあなたがここに居るのか大変興味深いので……バルトレッド様」
やはり気付いていたのだ。
一方のバルトは自身の名を呼ばれたことに動じることなく、唇を引き結びただ静かにセレスティーナを見つめた。
そうして奇しくも紗希達は彼女達に迎え入れられ、奥の一室で対面する事となった。
店先にはクローズドの札が下げられ、質感の良いディテールの細やかな商談用の席へと通される。
目の前には香り高い紅茶と、カヌレに似た形の茶菓子が並べられている。鼻腔をくすぐる爽やかな香りに反して、紗希は意外にも理由の分からない緊張を感じていた。
「俺のような瑣末な人間の名を覚えていただいていたとは意外でした……」
口火を切ったのはバルトだった。
「私は魔王討伐部隊の出立パーティーの際にあなたを間近で見ています。あの頃はまだ王太子の婚約者でしたので」
あの頃は、というと今は違うのだろうか。セレスティーナは懐かしむように言う。
「私の知る限り、帰還した部隊の報告では魔王城で勇者様は死んだことになっていました……まさかこちらも他人の空似でしょうか……?」




