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ツギハギの方舟 ~生存確率0%の跳躍(ダイブ)  作者: Mr.Q
第1章 絶望の底で軋む星々

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第3節 幽霊の座標(前編)

頭上のスピーカーから吐き出された冷酷な通達の余波が、酒場内の空気を重く湿らせていた。隣のテーブルでは、労働者が潰れた顔で安酒のグラスを握りつぶし、カウンターの奥では老店主が不快そうにネオン管のスイッチを叩いて切った。

暗がりとなったボックス席のテーブル上には、無数の配線コードと受信アンプ、そして青白い光を撒き散らす携帯データアレイが所狭しと並べられていた。

シオンは首からかけた大型ヘッドホンを片耳に深く押し当て、凍えた指先で端末のメカニカルキーボードを荒々しく叩いていた。カチャカチャと乾いた打鍵音が、キーの底打ち感とともに狭いボックス席に響く。彼を照らすのは、波形データが幾重にも重なって高速スクロールするモニターの不気味な青光だけだった。傍らには、表面に薄い膜が張り、すっかり冷めきった安コーヒーの紙カップが転がっている。


「まだそのゴミ溜めみたいな波形と戯れてるのか、シオン。お前の指が凍りつく前に、その安コーヒーの出ガラでも胃袋に流し込んだらどうだ」


ルカは組み立て直したばかりの応力計測アナライザーの裏蓋をあてがい、精密ドライバーで四隅の小型ネジを一本ずつ手際よく締め込んでいた。指先に伝えるスチールネジの硬い手応えと、微かなギアの噛み合い感を確かめる。焦げたハンダと樹脂の匂いが、ルカの作業着の袖口から立ち上っていた。

シオンはキーボードから指を放さず、視線をモニターに固定したまま、薄い唇の端をシニカルに吊り上げた。


「文化的な作業をゴミ溜め扱いとは心外だな、現場の技術屋メカニック。僕がいま手繰り寄せているのは、死者たちが遺した高尚な詩集だよ。それも、管理局の無能なAIが掃除し損ねた、美しく歪んだパラサイト・バンド(寄生波通信)のゴミ箱から拾い集めたやつだ」


シオンは左手でデータアレイの側面にあるアナログダイヤルを回し、ノイズフィルターの帯域をコンマ数ヘルツ単位で削り落とした。ヘッドホンから漏れる「ザー……ジジ……」という不快なホワイトノイズが、徐々に澄んだ電子的な周期音へと変化していく。


「詩集だと? 腹の足しにもならない文字列のために、あたしの貴重なガンオイルの匂いを台無しにしないでくれよ」


対面に座るバーバラは、口にくわえた安タバコの先端から紫煙を吹き出させた。フライトジャケットの袖を捲り上げた丸太のように太い腕で、彼女は組み立て直したピストルのシリンダーに実弾を指先でカチリ、カチリと一発ずつ装弾していた。金属と硝煙、そして独特のツンとしたガンオイルの匂いが、シオンの発熱した電子機器のオゾン臭と混ざり合う。

バーバラは実弾の詰まった重いシリンダーを指先で一回弾いて回転させた。チャカカカ、と高速で金属が擦れ合う音が響き、彼女は手首を軽く捻ってシリンダーをフレームへ力任せに叩き戻した。ガチャン、という鈍く硬質ながたつきのない音がボックス席の空気を震わせる。


「あたしたちが欲しいのは、次のジャンプで生き残るための実弾と、このオンボロ船を弾けさせないための推力だ。死人の遺言を聞いて涙を流す趣味は、都市船のぬくぬく育った坊主どもに譲ってやりな」


「泣くわけがないだろう。僕が涙を流すのは、この耐え難い不眠の頭痛と、君の粗野な銃の作動音が僕の繊細な聴覚を破壊した時だけさ」


シオンは眉間を指で揉み解しながら、ポータブルアンプの有線コネクターをデータアレイの拡張ポートへ強引に叩き込んだ。カチリとプラスチックが噛み合う音がして、モニター上のノイズ波形が不規則に跳ね上がる。


「いいかい、二人とも。管理局が僕たちに見せている宇宙は、彼らが都合よく編み直した退屈なフィクションだ。彼らは危険な宙域や不都合な通信を『ノイズ』として削除し、残った安全そうな数値を僕たちに競り売りしている。だが、削除されたゴミ箱の中にこそ、世界の本当の姿が転がっているのさ」


シオンのアナログな解読作業は佳境に入っていた。彼は両手でヘッドホンを密着させ、画面上にレイヤー展開された無数の暗号化通信のコードを、手動でひとつずつ分離・消去していく。

ルカは最後のネジを締め終え、ドライバーを工具帯のホルダーにカチリと戻した。そして首元にアナライザーのストラップを掛け直し、冷めた合成酒のグラスのフチを指先で弄りながら、シオンの青白く照らされた横顔を冷ややかに見つめた。


「能書きはいいから、そのノイズから何が出てきたのか吐き出せ。俺の手元には、次の補強で使うサビついた圧着ボルトの計算が残ってるんだ」


シオンの指先がキーボードの上で一瞬止まり、最後の実行キー(エンター)が重く叩き込まれた。

タァン、と甲高いうちつけ音が響くと同時に、データアレイの青白いモニターから激しいノイズの波形が消え去り、暗闇の中に鮮明なホログラフィックの3次元星系図が静かに展開された。

ジャンク酒場の汚れたボックス席に、青く澄んだ幾何学的な光の球体が浮かび上がる。そこには、現在の泥船アグリ・シップが巡航している既定ルートと、経路管理局が提示している安全跳躍バブルの軌跡が立体的に描かれていた。

だが、シオンが細い指先で画面の隅の暗黒宙域をポインタで指し示すと、星系図の何もない「空白」の一角が、赤い点滅とともにズームアップされた。


「ご覧よ。これが僕のノイズ漁りの成果だ」


シオンはヘッドホンを首元へ引き下げ、気取った手つきで冷めた安コーヒーのカップを持ち上げたが、中身が空であることに気づいて不快そうに卓上へ戻した。


「数年前にエッジ・ゾーンで消滅したはずの非登録調査船が、死に際にパラサイト・バンドへ叩きつけた最後の終末通信……そのノイズの裏側に隠されていた生の空間座標さ。現行のAIネットワーク網の自動インデックスからは完全に削除され、管理局のデータベース上では『存在しない暗黒』として処理されている場所だ」


バーバラはタバコを口の端にくわえ直すと、テーブルの上に身を乗り出し、ガンオイルで汚れた親指でホログラムの赤い点滅を直接突いた。


「ただの宙域の穴じゃないか。星もない、ステーションもない。こんなゴミ箱座標に何があるっていうんだい、インテリ坊主」


「星はないが、『物』はあるのさ、バーバラ」


シオンは気障に肩をすくめ、キーボードを二度叩いた。赤い点滅の拡大図の中に、完璧な幾何学模様を描く球体状の巨大構造体のワイヤーフレームが浮かび上がる。


「《敷設者》の不活性ノード――かつて奴らがこの銀河を工事していた頃に置き去りにし、そのまま放棄された古代の巨大遺跡だ。現行の管理局AIは、このノードを『不活性なガラクタ』として認識プログラムから除外スルーしている。つまり、ここはシステムの目が完全に届かない、完璧な世界の死角(空白地帯)なんだよ」


「世界の死角……」


バーバラの鋭い眼光が、ホログラムの幾何学模様を食い入るように見つめた。彼女は実弾の詰まったピストルをテーブルの上にドカリと置き、実弾の鈍い重みが卓上の金属パーツをカチャリと揺らした。


「管理局のクソ野郎どもの監視カメラも、安全基準の押し売りも届かない場所ってわけかい。そいつは実に清々しいゴミ箱じゃないか」


「その通りさ。僕たちが毎日振らされている『生存確率』なんていうペテンから、唯一逃れられる物理的な隙間さ。神様が塗り忘れたキャンバスの端っこ、とでも言おうかね」


シオンはニヒルな笑みを浮かべ、ジャケットのポケットからポータブルのポインタを取り出すと、その先端でホログラムの座標数値をなぞった。


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