第18節 死のトラップ(後編)
シオンはルカの指示通り、周波数解析を実行する。
「あった……!一秒間に一〇八回の高周波パルス。位相が反転する切り替えの瞬間に、一ミリ秒だけ、切断格子の分子干渉が完全に物理停止する『ゼロ相』がある!」
「一ミリ秒かい!?通過どころか瞬きしてる間にコマ切れになるよ!」
バーバラがゆっくりと接近する防衛ボットを睨みつける。
「人間の反射神経で突っ込む話をしてるんじゃない!」
ルカはポータブル・プラズマ溶断機のバイパス線を腰から引き抜き、シオンの携帯端末の外部ポートへと強引に有線短絡させた。バチチッ!と強い青火花が二人の顔を照らし、焦げた絶縁シートの臭いが鼻腔を刺す。次に、壁のアクセスポートとプラズマ溶接機を接続させる。
「シオン、お前の端末が捉えた一〇八ヘルツ周波数のパルスギャップを、このプラズマ溶断機に直結(同期)させろ!溶接機のプラズマをフィードバックループさせてシステムを妨害する。効率主義の神様がケチった一ミリ秒の死角を、俺たちの泥臭いバイパス回路で抉じ開けるんだ!」
「クラシック音楽の微小な音符より短い隙間に、僕たちの薄汚い命をねじ込めって? 神様は実に趣味の悪い指揮者だね」
シオンは過熱した携帯端末のメカニカルキーボードを狂ったような速度で叩き続けた。キーの底打ち音が狭い幾何学回廊に打楽器のごとく連打される。青白いモニター画面には、ルカのアナライザーから送られてくる一〇八ヘルツの電磁脈動と、端末内部のシステムクロックが重なり合う二重の波形がリアルタイムで描画されていた。
「能書きはいいから指を動かせ、シオン!」
ルカはポータブル・プラズマ溶断機の圧着バルブを絞り込んだ。
バチチチッ!
猛烈なプラズマ炎が白熱し、異星導電フレームの接合部を灼熱の青白い火花で染め上げる。溶けた金属の皮膜が弾け、皮製アームカバーと耐熱グローブの表面に熱い粒が降り注いだ。焦げた革とハンダの悪臭が急激に鼻腔を刺す。
「俺たちの低電圧回路じゃ、あの切断格子を消し去るだけのパワーはない。だが、一ミリ秒の『ゼロ相』に合わせて高圧アークを直接回路へ逆流させれば、位相干渉の波形を歪ませて安全な『空洞』を強引に拡大できる!」
「要するに、神様の繊細な回路に泥靴で踏み込んでショートさせろってことだね」
シオンの指先がキーボードの上で不気味に滑り、実行キーを叩きつけた。彼の首から下がった大型ヘッドホンから、電磁干渉による金属性の甲高いハウリング音が漏れ出す。
その間にも、後方から迫る多脚ボットの足音が迫っていた。無音の爪先が鏡面床を滑り、三機の漆黒の胴体が完璧な幾何学陣形を維持したまま人間へ向け迫ってくる。
「少し休憩してな、古代の鉄くずども!」
バーバラが短くなった実弾ピストルの銃身を片手で抑え込み、二発の鉛弾を前傾姿勢で繰り出した。
ズドン! ズドン!
狭い通路を揺らす強烈な砲撃音とともに、撃ち出された実弾が先頭のボットの関節可動部へ直撃した。バチバチとプラズマ火花が撒き散らされ、衝撃で崩れたボットのバランスがわずかに逸れる。手元に伝わる激しい反動と硝煙の臭いの中、バーバラは足元に転がった空薬莢を蹴り飛ばしながら、空いた手で腰の安酒の小瓶を引き抜き、歯でコルクを抉り出して喉へ流し込んだ。
「ハッ! 銃身を削られたおかげで反動が直接手首に響くよ! 安全基準の甘っちょろい操縦席が恋しくなるね!」
「文句を言うな、バーバラ! 弾を惜しむな、ボットをそのまま維持させろ!」
ルカはプラズマ溶断機の圧着バルブを更に絞り込む。
ドガァン!
激しいスパークとともに、アクセスポートから青白い電磁アークが吹き出した。
シオンの端末から放たれた同期信号と、ルカが力任せに打ち込んだ高電圧バイパスが完全に噛み合った、その瞬間――。
可視化されていた白いアセチレン煙の中で、縦横に張り巡らされていた分子切断格子の青い光景が、激しく波打つように歪んだ。幅一メートル、高さ二メートルほどの歪んだ「透明な隙間」となって空間に固定される。高周波のノイズ音が不気味な重低音へと変調し、過熱した壁面からシリコンとオゾンのツンとした悪臭が吹き荒れた。
「網戸に隙間が空いたぞ!」
ルカのアナライザーの液晶画面が狂ったように明滅し、過負荷を示す赤ランプが破裂するように消灯した。
「あたしたちの体が通る分にはお釣りが出るよ!」
バーバラは迫り来る二機目のボットの光学センサーへ向けて至近距離から叩き込んだ。直撃を受けたボットの巨体が大きく後方へ揺らぐ。バーバラはその反動を利用して身を躍らせると、短くなった銃身の鋼鉄グリップで、体勢を崩したボットの球体胴体を力任せに蹴り飛ばした。
「あたしたちの邪魔をするなら、神様の網戸で細切れになりな!」
蹴り飛ばされたボットの漆黒の巨体が、波打つ分子切断格子の「同期していない死の領域」へと無造作に突っ込んだ。
音が消えた。
不可視の幾何学格子を通過した瞬間、数千トンの重圧に耐えるはずの不活性ノード装甲で作られたボットの胴体と脚部が、まるで豆腐を切るかのように滑らかに数千の幾何学サイコロへと裁断された。切断された金属片は、火花すら散らすことなく、ただ無音で鏡面床の上にバラバラと崩れ落ち、完璧なサイコロの山を作った。
「美しいね……物理法則の冷酷さには、いつだって見とれてしまうよ」
シオンは端末を抱え直し、青白い不眠の目を限界まで見開きながら、ルカが抉じ開けた歪む隙間へ向けて滑り込んだ。着崩したジャケットの裾が格子線の数ミリ手前をかすめ、静電気のピリついた感触が皮膚を刺す。
「鑑賞会は終わりだ、インテリ! 走れ!」
ルカは溶断機のトーチを引き抜き、シオンの首根っこを掴んで垂直シャフトの開口部へと力任せに放り投げた。二人の背後で、バーバラが滑り込みざまに低く身を屈め、鏡面床を摩擦で滑りながら格子の死角を疾走する。
直後、ルカたちが無理矢理たたき落とした高電圧バイパスが過熱により焼き切れ、波打っていた分子切断格子が狂ったような高周波音とともに元の冷酷な完全格子へと復元された。
カトン……。
追撃のために足を踏み出そうとした三機目の防衛ボットの爪先が、復元した格子に触れた瞬間、先端二センチだけを滑らかに切り落とされて床へ転がった。ボットは無機質なセンサーを数度明滅させ、進入経路を完全に遮断されたことを検知すると、無音で後退を開始していった。
三人が転がり込んだのは、天井も底も見えない巨大な縦坑――垂直シャフトの張り出しキャットウォークだった。
通路のハッチが不快な密閉音を立てて完全にロックされ、迫っていた防衛ボットの機械音も、分子切断格子の不吉な磁場ノイズも、すべて分厚い幾何学装甲の向こう側へと遮断された。
訪れたのは、耳が痛むほどの完璧な静寂。
シオンは着地の衝撃で床に膝をつき、肩で激しく呼吸しながら首の大型ヘッドホンをずらした。青白いディスプレイの光が、滝のように汗を流す彼の顔を照らす。
「ハッ……ハ……。僕の寿命が短くなった原因について、後で詳細なレポートを提出させてもらうよ、ルカ。……朗報は、僕たちの肉体がまだサイコロの角切りになっていないことくらいだ」
「文句なら、あの完璧な網戸を設営した古代の現場監督に言え」
ルカは胸元のアナライザーを引き寄せ、接触ノズルの先端が焦げて歪んでいるのを冷めた目で見つめた。指先でダイアルを回すが、針はピクリとも動かない。彼は短く不快そうな息を吐き出すと、壊れたアナライザーを工具帯の奥へ雑に突っ込んだ。
ルカはキャットウォークの縁へ歩み寄ると、暗闇が広がるシャフトの深淵を見下ろした。
三千メートル直下。漆黒の暗黒の底に、青白く、規則正しく打たれる極微小な光のパルスが見えた。不活性ノードの核――この巨大構造体のすべてを無音で制御し続けているメインフレームの呼吸だった。
「へっ……底が見えないのは、泥船の廃棄ダクトと変わらないね」
バーバラが短くなったピストルを腰のホルスターへ押し込み、フライトジャケットの襟元から安タバコの箱を取り出した。指先で一本を引き抜き、先端の削れたライナーで着火する。甘く不快な香煙が、無菌室めいた冷たい空間へゆらりと漂い出していった。
「さあ、神様の心臓部まで一直線だ。一気に滑り落ちようじゃないか」
三人は垂直シャフトの壁面に刻まれた幾何学的なアンカー溝に身体を預け、冷酷な静寂が支配する暗黒の深淵へと、一歩ずつ足を進めていった。




