第2節 異端者たちの溜まり場(前編)
重いスチールドアが軋んだ音を立てて開くと、湿り気を含んだ熱気とともに、焦げたガンオイルと安酒、そして過熱した基板が撒き散らす特有の静電気の臭いがルカの鼻腔を突いた。
スラム街の喧噪を隔絶した店内は、天井をのたうち回る極太の配線と、むき出しの排気ダクトが影を落とす薄暗い穴ぐらだった。古びたネオン管がジジ……と虫の羽音のような不快なノイズを立て、青白い光でスラムの荒くれ者たちの横顔を斑に照らしている。
「おい、メカニック。生きて戻ったか」
カウンターの奥で、片目をサイバネティクスレンズに換装した無口な老店主が、グラスを布巾で拭きながら低く呟いた。ルカは答えず、手垢と黒ずんだグリスで固くなった皮製アームカバーのバックルを外し、カウンターの硬い天板の上へ放り投げた。ズドンと鈍い金属音が響く。
「冷えたやつをくれ。合成グリスの味がしないやつだ」
ルカが角のボトルを指さすと、老店主は返事代わりに濁った琥珀色の液体が入った泥汚れの目立つショットグラスを滑らせてきた。ルカはそれを受け取り、一口で喉へ流し込む。喉の奥が焼けるような刺激とともに、プラズマ溶接で焦げついた気道が解されていく感触があった。
「相変わらず不味い酒を煽ってるね、ルカ。僕の脳細胞がそのアルコール分を感知しただけで、解読精度が三パーセント低下しそうだ」
酒場の奥、ノイズを遮蔽する古い遮音フェルトで囲まれたボックス席から、気取った声が届いた。
シオンだった。銀髪のショートボブを乱し、目の下に色濃いクマをこびりつかせた細身の青年は、着崩したジャケットの襟元に大型ヘッドホンをひっかけたまま、膝の上に載せた携帯データアレイのキーボードを高速で叩いている。彼を照らすのは、何層にも展開された端末の青白いディスプレイ光だけだ。その傍らには、冷めきって表面に膜の張った安コーヒーの紙カップが転がっていた。
「吐き捨てるなら、その安コーヒーを飲み干してからにしろ、シオン。こっちの鼻がバカになる」
ルカはグラスを掴んだままボックス席へと歩みを進めた。
そのシオンの対面、テーブルの上に両足をドカリと放り出して深々と革シートに沈み込んでいたのは、バーバラだった。
フライトジャケットを肌脱ぎにし、汗で肌に張り付いたタンクトップ姿の彼女は、腰の実弾銃ホルスターから引き抜いた旧式の巨大なピストルを解体し、油の染み込んだクロスでバレルを磨き上げていた。粗野な赤毛が、旋回する天井ファンの影に合わせて不規則に揺れる。
「遅かったじゃないか、大工。最下層のドブで船体と一緒に挽き肉になったかと期待してたんだがね」
バーバラは磨き終えたバレルを光にかざし、精悍な顔に凶悪な笑みを浮かべた。金属が擦れ合う鈍い音が、暗いボックス席にカチリと響く。
ルカはボックス席の空いている丸椅子を引き寄せ、腰を下ろすと同時に腰の工具帯から応力計測アナライザーを取り出した。最下層の補強作業で過剰な電圧を浴びた機器の端子からは、焦げた樹脂の臭いが微かに立ち上っている。ルカはポケットから可搬式の小型ハンダごてを引き抜き、親指で着火スイッチを倒した。青い小さな炎が先端を赤熱させ、ハンダの線がジュッと音を立てて煙を上げる。
「第4接合フレームのクラックを強引にバイパスで繋いできた。あと3回のジャンプでこの泥船は二つに割れる」
ルカは煙を吹き消しながら、アナライザーの微細な基板にハンダの滴を正確に落としていった。手元はミリ単位の狂いもなく固定されている。
「3回? そいつは朗報だね」
シオンはキーボードから指を離さず、画面に流れる無数のバイナリコードを映した瞳を細めた。
「経路管理局の広報は『最新の構造計算により安全圏は維持されている』なんて、優雅な嘘を垂れ流している最中だよ。まったく、彼らの作文能力には感服する。真実を隠蔽する技術にかけては、古代の叙事詩人だって足元にも及ばない」
シオンは手元のコネクターをデータアレイの側面にカチリと接続し、青いモニターに都市船から漏れ出た最新のニュースデータを表示させた。画面には豪華な合成肉のパーティーを催す富裕層の映像と、泥船のスラムで配給に並ぶ人々のグラフィックが、不快な対比となって並んでいる。
「ペテン師どもの綺麗事に付き合う気はないね」
バーバラはピストルのシリンダーを指先で高速回転させた。チャカチャカと乾いた金属音が響き、ガンオイルのツンとした匂いがテーブルの上に広がる。
「あたしが知りたいのは、次のジャンプでこのガラクタが何秒保つかだ。推力レバーを蹴り込んだ瞬間にケツの鉄板が引きちぎれるのは御免だからね。安全基準の神様なんて、あたしの操縦席には端から乗っちゃいないんだ」
バーバラはそう吐き捨てると、解体したスプリングを強引にフレームへ押し込み、シオンの伸ばした肘を容赦なく引っ叩いた。
「痛っ……! 何をするんだ、狂犬! この指は繊細なデータストリームをすくい上げるための精密機械なんだぞ!」
「狭いテーブルにそのひょろ長い肘を張り出すんじゃないよ、インテリ坊主。あたしのピストルが暴発してお前のその無駄に高い鼻を吹き飛ばしても、保険金は一分だって出ないんだからね」
「保険ならすでに降りないさ。僕たちの命は、この泥船の廃棄ボルト以下の価値しかないと、管理層のデータベースがご丁寧に証明してくれている」
シオンは首のヘッドホンを少し持ち上げ、頭痛を堪えるように眉間を指で押さえながら、冷めたコーヒーを一口啜って不快そうに顔を歪めた。
ルカは二人の悪態を聞き流しながら、赤熱したハンダごてをアナライザーの接触不良を起こしていた抵抗器へ押し当てた。ジュッ、と皮膜が焦げる臭いが立ち上り、アナライザーのハンディ画面が一瞬激しく明滅した後に、正常な緑色のゼロ点波形を再描画し始める。
「喋る口があるなら、手元を動かせ」
ルカはハンダごての火を消し、手垢と油で汚れたアームカバーの破れ目を工具箱の針金で強引に縫い合わせ始めた。
「船のきしみは待ってくれない。お前たちの軽口でこのフレームが補強されるなら、俺は喜んでその無駄口をBGMにしてやるんだがな」




