第15節 イデオロギーの無意味さ(前編)
垂直坑道から吹き上がる気流には、焦げついた潤滑油と、過熱した鉱石の吐き出す硫黄の匂いが混ざり合っていた。
ルカは焦げついた耐熱グローブを噛んで外し、脱出船の主機バイパス配線を引き抜いた。足裏からは、重金属の巨体が岩盤を削り取る不快な超低周波が絶え間なく伝わってくる。
「手すりを強く掴んでおけ。衝撃波の第二波が来る」
ルカは首元のアナライザーの針が危険域を振り切るのを冷めた目で見つめながら、手にしていた高出力プラズマ溶接機を圧着ボルトの肉厚補強へと向けた。青白い火花が飛び散り、皮製アームカバーにバチバチと熱い粒が跳ねる。
眼下の前線――手作りのレールガンや削岩爆薬で陣形を固めたパラテラフォーマーの防衛部隊へ向かって、《敷設者》の掘削ボットが降り立った。全長十メートルを超える多脚型の異形。その中央に鎮座する赤熱した旋回ドリルが、重圧な作動音を響かせて回転を上げる。
作業着を着た坑夫たちが雄叫びを上げ、集中砲火を浴びせた。手作りの電磁砲弾がボットの幾何学装甲に弾け、高爆発削岩薬がその足元で目もくらむ閃光を放つ。だが、機械の挙動にはミリ単位のブレすら生じない。
「誇り高き地下の住民諸君は、どうやら巨大な自動耕運機にミミズの矜持で挑んでいるらしい」
シオンは過熱した携帯端末のファンが吐き出す熱風に顔を歪め、色濃いクマの浮き出た目を細めた。大型ヘッドホンを耳に押し当て、ノイズ交じりの受動波形を追う指先は絶え間なくキーボードを叩き叩いている。
「解読するまでもなさそうだ。あの機械の制御コードに『敵』や『反撃』なんて単語はハナから存在していない。彼らにとって前線の防衛隊は、密度の違うただの粗悪な岩盤さ」
掘削ボットの先端から掃射された赤熱レーザーが、前線の防衛陣地を岩盤ごと一瞬で溶融させた。肉弾攻撃を仕掛けようと飛び出した数名の防衛要員が、旋回するドリルの刃に触れた瞬間、悲鳴をあげる暇もなく赤黒い霧となって霧散する。
ボットは一切の攻撃に反応を示さず、ただあらかじめ入力されたマイニングプログラムに従い、均一な周波数音を鳴らしながら人間の肉体と装甲板を区別なく砕石し、整地していった。
「クソが……あのバカども!操縦桿を握って逃げろって口が酸っぱくなるまで言ったろうが!」
バーバラは実弾銃のシリンダーをカチリと暴走気味に回し、耐熱手すりを力任せに殴りつけた。手袋越しにも伝わる金属の猛烈な振動が、彼女の腕を硬直させる。
「ルカ!このボルトの補強はいつ終わる!? あんな整地機にすり潰されるために、あたしはこのボロボロの機体を直したんじゃないよ!」
「黙ってスラスターの燃料弁を押さえてろ、バーバラ」
ルカは冷えた作業着の襟で額の油汗を拭い、プラズマカッターの出力を最大まで引き上げた。
「大義名分で装甲の厚みが増すなら苦労はない。あいつらのドリルにとっては、人間の尊厳も、硬度差の数値データでしかないんだ」
防衛線は一蹴などという言葉すら生ぬるい無感情さで圧殺され、作業ボットの群れは次の削岩領域へと淡々と前進を開始した。
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砕かれた天井岩盤から、濁った地熱蒸気と地下水が濁流となって地下都市のメインプラザへ流れ込んでいた。
手作りの蒸気パイプ群が不気味な悲鳴を上げて破断し、広場は逃げ惑う住民たちの狂乱と高温の排熱で地獄絵図と化していた。蜂の巣状に埋め込まれた船体モジュールやジャンク建築が、上空から降下してきた複数の掘削ボットのアームによって機械的に撤去されていく。
「家(大地)を捨てるな!我々はこの星と共に生きるのだ!」
広場の中央、崩壊する地熱発電プラントの前で、パラテラフォーマーの長老が旧式のライフルを構えて立ちはだかっていた。泥と汗に塗れた老躯を誇り高く聳え立たせ、迫り来る超巨大な多脚ボットへ向けて大声を張り上げる。
ライフルから放たれた実弾が、ボットの脚部装甲に命中し、無意味な乾いた金属音を響かせて跳ね返った。
長老の叫びも、胸に抱いた歴史も、ボットのシステムにとっては空気の振動以上の意味を持たなかった。掘削ボットの作業用重圧アームが、予定された穿孔ライン上の障害物を除去するために、無造作に振り下ろされる。
ゴリ、という重苦しい破砕音が響き、長老の身体は彼が愛した「大地」の岩盤ごと平坦に押し潰された。ボットは立ち止まることも、速度を落とすこともなく、そのまま巨大な吸塵口から破片となった岩石と手作りのライフルを清掃音とともに吸引していく。
「美しいね…。言葉もないよ」
シオンは乾いた笑いを漏らした。過熱したポータブル端末の画面には、地下都市全体の構造が赤から黒へと一瞬で塗りつぶされていくリアルタイム・マップが表示されている。
「神への信仰も、大地への愛も、ただの建設予定地のゴミ処理プロトコルで上書きされた。僕たちが涙を流そうが怒ろうが、あのルーターにはログすら残らない」
「言ったろ。神様も悪魔も、ここには乗ってないんだ」
バーバラは安タバコのフィルターを噛み潰し、紫煙を焦げ臭い空気の中へ吐き出した。
「文句を言っている暇はないよ、二人とも」
砕石・清掃の無機質な重低音が、崩落する地下都市の空間全体を均一に揺らし始めていた。人間たちが数百年かけて築き上げた誇りもイデオロギーも、ただの効率的な「整地作業」の前に、何一つ痕跡を残さず消し去られようとしていた。




