第12節 凍てつくはぐれ惑星(後編)
猛吹雪は峡谷に入るとさらにその狂暴さを増し、削り取られた氷の微粒子がナイフのように作業着の生地を叩いていた。視界は十メートルも保てない。
ルカは脱出船の装甲板を叩き伸ばして作った簡易ソリのロープを肩に深く食い込ませ、足裏から伝わる氷床の亀裂音に全神経を集中させていた。ソリの上には、機内から回収した高出力溶接機、予備のプラズマカッター、そして壊れた部品が固く縛りつけられている。ソリの鉄板が氷を擦る甲高い悲鳴と、風の重低音が鼓膜を痛めつけていた。
「左だ、大工! 氷の割れ目が二ミリ幅で開いてる。ソリの車輪……いや底板をとられたら一発で滑落だ!」
先頭を歩くバーバラが、フライトジャケットの襟を口元まで引き上げ叫んだ。彼女の赤髪は凍りついてカチカチに固まり、歩むごとに首元で乾いた音を立てている。彼女は足元の氷盤を粗野なブーツの先で力任せに叩き、積雪の下に隠れた氷の厚みを確認しながら慎重に進んでいた。
「わかってる!このソリのロープが千切れるのが先か、俺の肩の骨が外れるのが先か、いい勝負だ!」
ルカは毒を吐きながら、ロープの結び目を手袋越しに締め直した。焦げたゴムと金属の匂いが染みついた皮製アームカバーは、吹き付ける氷点下の風にさらされて鉄のように強固に凍りつき始めていた。
「ふたりとも、文句のバリエーションが貧困だよ。もっと優雅に寒さを表現できないのかい?」
シオンが携帯アレイの画面を吹雪から庇いながら、ガチガチと歯を鳴らして笑った。過熱した端末の基板からは僅かな排熱が立ち上っていたが、それも吹雪に触れた瞬間に冷やされ、彼の指先は既に感覚を失いかけて白く強張っている。
「たとえば……この吹雪は、僕たちの無謀な逃避行を祝福するために用意された、最悪の冷やしスープだとかね。朗報は、スキャナーの指示値が『真下』を示し始めたことだ」
シオンが凍えきった指で画面をタップすると、青いホログラムのグリッドが猛吹雪の中に薄っすらと投影された。
「熱流と排気圧のソースはこの直下。自然の火山活動じゃない、完全に一定のインターバルでガスを排出している巨大な排気ダクトの真上だ」
バーバラが足を止め、吹き荒れる白煙の向こう側を鋭い眼光で睨みつけた。
そこには、自然の隆起とは明らかに異質な、漆黒の絶壁がそびえ立っていた。自然の風化による凹凸ではなく、巨大人力掘削機の赤熱刃によって均一な深さで削り取られた、直径数十メートルにおよぶ幾何学的な巨大縦坑の開口部だった。
垂直に伸びる岩壁の縁からは、地底の地熱で温められた湿った黒煙と、焦げた機械油の臭いが、猛吹雪を押し返す勢いで激しく噴き出している。
「人間の炭鉱かい? 随分とダイナミックに穴を開けたもんだね」
バーバラが縦坑の縁に歩み寄り、底知れぬ暗黒の深淵を見下ろして口笛を吹いた。縦坑の内壁には、廃船のフレームを再利用した無骨な螺旋階段と、太い蒸気パイプが縦横無尽に打ち込まれ、地底からの重圧な打撃音とともに振動していた。
「構造材は旧時代の高張力鋼板……だが、熔接痕が酷い。プロの職人の仕事じゃないな。手工具とプラズマカッターで無理やり岩盤にボルトを叩き込んだ突貫工事だ」
ルカは首元のアナライザーの数値を手元で弄りながら、縦坑の接合部を冷ややかに観察した。足裏を通して伝わってくるのは、都市船の緻密なシステム音でもなく、泥船の頼りない歪み音でもない。岩盤そのものを強引に補強し、地に足をつけようとする、泥臭く力強い「硬度」の感触だった。
「文句を言っている場合じゃない。外の冷蔵庫でカチコチの氷漬けになるよりは、その粗末な大工仕事の穴ぐらに逃げ込む方が幾分マシだ」
シオンが端末をジャケットの内ポケットに押し込み、凍えた両手を口元に当てて温かな息を吹きかけた。
「さあ、見に行こうじゃないか。この宇宙の果てで、土に潜って生きている奇人たちの顔をね」
3人は簡易ソリを縦坑入口の岩盤に繋ぎ止め、工具箱と壊れた部品だけを肩に担ぎ直すと、汽笛のような蒸気音が響く螺旋階段へと足を踏み入れた。
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縦坑を下るにつれ、肌を刺すような極寒は急激に和らいでいった。代わりに全身を包み込んだのは、強烈な地熱の熱気と、湿った土、そして家畜の排泄物と安酒の匂いが交ざり合った、酷く生々しい人間の生活臭だった。
幾重にも重なる耐圧隔壁と蒸気バルブの群れを抜けた瞬間、3人の視界が一気にひらけた。
「……ハッ、こいつは驚いたね」
そこは、はぐれ惑星の地下数百メートルに広がる、ダイナミックで不気味な巨大地下空洞都市だった。
天頂の巨大な岩盤からは、赤熱した地熱タービンが重低音を響かせ、漏れ出る蒸気が天井付近に人工の雲を形成している。掘削された幾層もの岩壁には、廃棄された大型船のハルや、都市船の居住モジュール、泥船のスラムで見かけるようなジャンク建築が、蜂の巣のように無数に埋め込まれていた。
それらを繋ぐのは、太い鋼鉄の吊り橋と、力任せに配管された蒸気パイプ群。宇宙空間を漂流する艦隊社会の「無重力に浮かぶ仮初めの箱」とは根本的に異なる、泥と岩に骨組みを直接叩き落とした、力強い人間の生活空間がそこには存在していた。
「信じられないな……」
ルカは高台のキャットウォークから見下ろす街並みを見上げ、思わず息を呑んだ。
「船のフレームを宇宙空間の歪みから守るためじゃない。上からの岩盤の重圧に耐えるためだけに、フレームが逆向きに補強されている」
「都市船のハックデータにも、こんな居住区の記録は存在しないよ」
シオンが端末のローカル波形走査を実行しながら眉をひそめた。
「パラサイト・バンド(寄生波通信)の搬送波に乗らない、閉じたアナログな無線回線だ。管理局の目を逃れ、完全に自給自足で完結している……狂気的な隠者たちの国家だね」
「感心してる暇はないよ、二人とも」
バーバラが不意に足を止め、低く鋭い声で告げた。彼女の右手は既に実弾銃のグリップを固く握り締め、指先はハンマーにかかっている。
「歓迎の宴って雰囲気じゃなさそうだ」
キャットウォークの暗がりから、ぞろぞろと無数の影が浮き上がってきた。
現れたのは、油と泥に塗れた重構造用の耐熱作業着を纏った人間たちだった。彼らの手には、先端に赤熱した超振動カッターを装着した改造削岩機や、旧式の大型実弾ライフル、粗末なプラズマ切断機が握られている。その誰もが、過酷な採掘で削り取られたような精悍で無骨な面構えをし、眼光には外来者に対する剥き出しの警戒心と殺気が漲っていた。
「何の用だ、外来者」
先頭に立つ巨漢の男が、赤熱する削岩機の先端をルカたちの胸元へ突きつけ、地鳴りのような掠れ声で威嚇した。
「宇宙のゴミ箱から落ちてきたネズミが、何の用だ。ここは管理局の犬も、泥船の乞食も足を踏み入れちゃいけない場所だ」
ガチャン、と周囲の暗がりから一斉にライフルとボルトアクションの機械ロック音が響き渡った。三十を超える銃口と火炎ノズルが、狭いキャットウォークの3人を完全に包囲する。
「おっと、物騒な挨拶だね」
シオンが顔色ひとつ変えず、両手をゆっくりと頭の上に挙げながらシニカルに微笑んだ。
「僕たちは単なる遭難者さ。船が上の氷原で派手に分解してね。温かいスープと、少しばかりのハンダが欲しいだけなんだが」
「黙れ!その服の仕立て……都市船の役人か?」
男が削岩機のスイッチを入れ、先端の超振動刃がキィィィンと耳を刺すような高周波音を上げ始めた。
バーバラの瞳に野性的な火が灯り、躊躇なく実弾銃の銃身を男の額へ直撃させる角度で構え直した。鉄と硝煙の緊迫した匂いが、蒸気の充満する通路に一瞬にして広がる。
「撃ちたいなら引き金を引きな。あたしの弾がアンタの眉間をぶち抜く方がコンマ一秒早いよ」
一触即発の静寂が、重く湿った空気を押し潰す。
ルカは溶接火花で焦げた作業着の袖を捲り、首元のアナライザーの数値をゼロリセットした。彼は実弾銃を構えるバーバラと、削岩機を握りしめる男の間に静かに一歩を踏み出し、油に塗れた手工具帯を提示するように低く告げた。
「銃を引け。俺たちは戦いに来たんじゃない。……暖を取り、壊れた船を直すために部品調達にきただけだ」




